愛蔵本のこと
佐 野 良 二
本は読むためにあるのだから、中身がわかればそれでいい。買うなら単行本より文庫本のほうが安あがりだし、借りた本なら読んだら返せばいいからもっと得である。ところが、一概にそう割り切れないものもある。すっかり魅せられて熱病にかかったように読み進んだ本。読後、何日も経っているのに心のなかに住み着いてしまった本、自分にとって人生の出会いと呼べるような、そういう本を発見したとき、話は変わってくる。
私の場合、そういうお気に入りの本に巡り会ったら、それが図書館や友人に借りた本だと、すぐ買って蔵書に加える。自分で買って読んだ本なのだが、それが文庫本だと単行本を入手する。著者が気に入り、心酔、私淑の状態になると、今度は初版本へ、さらに署名本、特装本へとエスカレートしていく。われながら、読むためにある本の目的にもとる行為と思うのだが。
ゴーゴリに魅せられたのはオカシイからだ。私はこの寸鉄人を刺す笑いの作家に、ひそかに豪語裏山人≠ニの号を贈って敬愛していた。ゴーゴリは世界文学のスターだから本の入手に苦労はしない。『外套』も『死せる魂』も『検察官』も、文庫本がいくらでもある。しかし、ゴーゴリはロシア人だし、今から百年以上も昔の人物だから、初版本など手に入ったとしても全然読めないし、署名本など仮にあったとしても私ごときに入手できるわけがない。
ゴーゴリの作品に接するには翻訳を読むしかない。当然、訳し方の善し悪しに左右される。たとえば『外套』なら、平井肇(岩波文庫)、横田瑞穂(河出書房新社の全集)、北垣信行(旺文社文庫)、後藤明生(学研社の全集)というふうにいろいろな訳者の本を読んでみると、微妙にニュアンスが違う。格調高いの、会話がしゃれているの、やたらふざけるの、といろいろだ。なかにはまるで違った物語として感じられるものまである。
そのうちに私は原書を持ちたいと思うようになった。それはロシア語を習ってみずから読みたいというのではなく、ただゴーゴリの書いた原文というものを意味もなく手にしたくなっただけだ。どうすれば入手できるか、大使館なんかを通じないとだめなのかな、と考えたりした。そんなとき、洋書専門の古書店の情報で、シャガールのエッチング挿画が入った『死せる魂』が売りに出ていることを知った。絵が入っているなら見る楽しみもあると思って、さっそく問い合わせてみた。
返信がきた。宛名の私の名前の下には「様」ではなく「先生」なんぞと書いてある。そこで先生、おもむろに封を切ったのだが、手紙を読んで驚いた。シャガールのエッチングは印刷ではなく本物が入っていて、革装、金天、一冊なんと四百万円という代物! 私は当時、その本の半額で住宅を建てたばかりで、借金の支払いに汲々としていたから、いかに先生と呼ばれても無い袖は振れない。すっかり恐れ入って謝りのハガキを出したのだった。
その後、知り合いになったF君から、大学時代ロシア語を専攻し、実際にロシア旅行をしてゴーゴリの墓も参拝した、と聞いた。彼が信奉しているのはゴーコリではなく、ドストエフスキーだったが、ロシア文学全般に造詣が深かった。
F君は、そのとき私が、ゴーゴリの墓参りを常になく羨ましがったのを感じたらしく、どこかへ手を回して、間もなく『ミールゴロド』の原書を手に入れ、プレゼントしてくれた。この本には私の大好きな「イワン・イワーノヴィチとイワンニキフォロヴィチが喧嘩をした話」も収録されている。開いてみるに字面はもちろん模様にしか見えない。しかし、これが本物だと思うと嬉しくてしょうがない。その夜、抱いて寝たわけではないが、枕元において寝た。
それにしても表紙はカラーだし、本文にもたくさんの挿画が入っている。最近のロシアはずいぶん垢抜けしたものだと思って、後日、F君にその感想を述べると(原文を読めないからそんな感想しか言えない)、彼は少し戸惑ったような表情になって、実は、この本は子供向けのものなんです、と言った。
梅崎春生に感心したのは、やはりオカシイからだ。梅崎は初期の戦争もので知られているようだが、私の好きなのは『ボロ家の春秋』に代表される中期の市井もの。居直ったような、八方破れの感覚で、奇妙におかしな、しかし哀しい人間を描く。そのユーモアの底はニヒリズムと言っていいだろう。体質はゴーゴリに似ているかもしれない。
私が梅崎を知ったとき、すでに彼は故人だった。だから、梅崎の初版本を集めるのに何年もかけることになった。先に新潮社の全集を入手して、作品はみな読んでしまっていたから、さらに単行本など要らないようなものだが、中身は同じでも装丁が違う、これで世に問うたのだなあ、という歴史的感慨も捨てがたい。いわば惚れた弱みというべきか。
古書店あさりを繰り返し、二十冊ほど手に入れた。それほど高名でない作家だが、出物が少ないせいかけっこう値が張った。デビュー作『桜島』は表紙が木版刷り、本文が藁半紙という粗末なもので戦後の物資不足を物語る。文体はもちろん旧仮名。直木賞になった『ボロ家の春秋』だってペーパーバックスで、ハードカバーではない。表紙はあっけないほど簡単な雲の絵が描いてあるだけだ。遺作『幻化』に至ってようやく布装、函付きになる。
しかし、ついに掘出し物を見つけた。やたら高いと思った『砂時計』を東京神田の古本屋から取り寄せたら、見返しに著者が自分の娘に与えた署名があった。八方破れの文体から想像できない、やや右肩上がりの几帳面な字である。「**恵存」と「様」抜きで書いてあり、日付は昭和三十年十月一日。どんな事情があって娘さんの手元を離れ、どこをどう渡って古本屋に至り、私のところに流れついたのか。梅崎の娘さんに見せたら、ぜひ買い戻したいと言われるかもしれないから、私は断じてそんなことはしない。黙って秘蔵しておくのである。(この文読んだ人、娘さんに絶対告げ口しないでください)
宮原昭夫の小説が好きなのは、これまたオカシイからだ。しかし、ゴーゴリ風な風刺の笑いではないし、また梅崎のように居直って世の中を斜にみるニヒリズムの笑いでもない。むしろ、なんでも突き抜けてしまうようなあっけらかんとしたユーモア感覚だ。どんなに深刻な重苦しいテーマも軽妙に料理してみせる。快晴の空のような明るい哀しみの世界……。
宮原の本も片っ端から集めた。この作家は同じ時代に生きる幸運から、ことごとく初版で手に入った。初版本を手にしてしまうと、今度は署名本がほしくなった。これも容易に入手できた。芥川賞受賞の『誰かが触った』、見返しに万年筆で署名してある本である。
その後、私は『海のロシナンテ』に出会って、ほとんど狂喜した。これはもう冒頭から結末までオカシイ、抱腹絶倒の世界。まさに私の一冊。笑っているうちに自身の声を書いてみたくなった。触発させられたのだ。そして私は、私の青春の一駒を、ウエイトリフティングに情熱を燃やす男たちの物語に仕立てあげた。二六〇枚のこの作は『士別市民文芸』に連載し、完結と同時に、厚かましくも宮原氏(ここから敬称をつけることにする。師を呼び捨てにはできない)に送りつけてしまった。
すると氏は、そんな不躾な振る舞いに及んだ素人の小説を読んでくれ、わざわざ感想まで記して返事をくれたのである。氏からのハガキを読んで、私は子供のように歓声をあげた。同時にふと疑問が湧いた。これは誰かのいたずらではないのか、と。信じがたい嬉しさにそんな気がして、先に入手した著名本を引っ張り出し、筆跡鑑定に及んだ。そして間違いなく氏の手になる文字であることを確認して、改めて快哉を叫んだのだった。
氏の署名は、まさしくその文体と同じく軽妙にして、あらゆる気取り、格調、約束事などというものを排し、あるいは無視した、天衣無縫とさえいえそうな文字であった。(いや、まわりくどい言い方はやめよう、要するに悪筆なのだ)そのことは氏自身も知っておられるらしくあるエッセイのなかで、サインと講演は大嫌いと書いている。とても他人に真似のできる文字ではないのだ。
さて今年の春、私は道楽が病膏肓に入り、小説集を上梓した。表題作は宮原氏に読んでいただいた『われらリフター』である。さっそく本をお送りしたら、またハガキをいただいた。「再読しはじめたらやめられなくなり抱腹絶倒……」と十数年前とちっとも変わらない筆跡で書いてあった。
『士別市民文芸』No.17 1993.12.25
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