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朝の食卓

佐 野 良 二


超能力
ジャズ管見
恩師の歌
ひらめき
母の手紙
わがアイドル
雨と雷
誤字
五十肩
カラスの贈り物
速読術
冬の虹

北海道新聞 1992.1〜12

                 



超能力

 子供のころ、鉄人ナントカという気合術の術者が、学校の体育館で実演をやったことがある。砕いたガラスの破片の上に裸で寝て、腹の上に乗せた大石をハンマーで割らせたり、腕に針を刺し、それに何人も生徒を乗せたリヤカーのひもをひっかけて引っ張ったりする。そのたびに胸が躍った。
 少年雑誌の広告に載った忍術の秘伝書を、小遣いをため、通信販売で入手した。ページを繰ると「人体操縦術」というのがあった。道路を歩いている人が仮に右側にいるとすれば、左に寄れ左に寄れと意識を集中して念じよ、というのだった。私は何回か試してみた。たまにうまくいくこともあったが、たいていの場合、どうも念じ方が足りないらしかった。
「天井逆歩術」は壁に向かって猛スピードで助走し、その勢いでかけあがるというものだった。今日は一歩、明日は二歩というふうに修行を積めば、いつか天井にまで達することができるというのだ。私は学校の体育館で数日間試みたが、せいぜい三歩くらい壁を歩くのがやっとで床に落ちてしまう。見上げる天井は遥か彼方だった。
 しだいに年をとり、物の道理がわかるにつれ、不思議なものがなくなった。いや、そんな事象よりもっと不思議なものが世の中には無数にあるが、どれも解明しないままに推移していくことに気づいた、というべきか。
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ジャズ管見

 田舎にはライブハウスもないし、ジャズ喫茶もない。だから、田舎のジャズファンは自分でオーディオを持たなければならない。その装置を自慢し合い、果てはジャズマニアなのかオーディオマニアなのかわからなくなってくる。
 わが市にも国際交流の波に乗って、ニューヨークから英語指導助手のL君がやって来た。彼はジャズが大好きだという。そんな縁で私の家を訪ねてくれた。「スピーカーはアメリカ製です」と愛機を自慢すると、オーディオのことはわからないとそっけない。関心を示したのは私のレコード、CDのコレクションで、何枚か選び「ダビングしてください」と言った。
 そこで気がついたのは、彼は、私がジャズの基本と思っている音盤をちっとも聴いていないということだった。マイルス・デイビスのマラソン・セッションやビル・エヴァンス・トリオ四部作など、日本のファンなら入門段階で聴いておくべき名盤も知らないとは……。
 ところが片言まじりの会話で少しずつわかってきた。彼は在米中、マンハッタンのライブハウスにしょっちゅう出入りし、第一級のアーチストの演奏を耳にしているのだった。擬似音でなく本物の音で。
 ふいに汗が出た。つくづく日本はコピー文化の国だと痛感させられた。といっても、今やこのコピーなしでは一日も過ごせないのだが。
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恩師の歌

 F先生は教員生活を終えられ、初任地である士別に家を建て、悠々自適の生活を送っておられる。おかげでときどき訪ねさせていただく。
 先生は、私が中学生のとき国語の教師として山形県から赴任された。飄々(ひょうひょう)としていて含蓄に富み、まさにユーモアの達人だった。
 田舎の中学生にとっては面白くてたまらない。なまりのある話し方から右下がりの文字までまねて、いまだにその癖がなおらない同級生もいる。
 私は先生から読書の楽しさを教えていただいた。教員住宅を訪ね、龍之介や直哉の本を貸してもらった。先生との出会いがあって文学を志した。今、お訪ねすると当時の本が、書斎に万巻の書とともにひっそりと並んでいる。
 先生は大切な本をいつも持ち歩いていた。それもカバンいっぱいの本である。そのカバンを肩にかけてバイクに乗る。「これぞ座右の書=vと言って。しかし片側が重いから体が斜めになる。ある日、道の悪いところでバランスを崩して転倒し、肩を脱臼(だっきゅう)してしまった。そのときに詠んだ歌。

  呻(うめ)き伏す吾に足掛け接骨師 脱臼の肩コトンと入れぬ

 実際、外れた肩の骨が入る時は大きな音がするらしい。知り合いの柔道整復師に聞くと、大きな音を立てた方がありがたみが増すので、わざと響かせるというが、冗談かもしれない。
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ひらめき

 未明の、意識がまだ半睡半醒のような状態のとき、アイデアがひらめくことが多い。生理学や心理学のことは素人の私にはわからないが、人間は眠っているときでも脳が働いていて、一番大切なものの解決方法を探っているに違いない。それが目覚めの意識の浅いときに真っ先に飛び出してくるのだろう。
 たとえば小説を夢中になって書き上げたが、どうもまだ納得できないとき、それをほうっておくと、ある日突然ひらめきが訪れ、それを書き加えて完成することがままある。いくらいいアイデアが浮かんでも、それを取り逃がしてしまっては何もならない。私はまくら元にメモ帳とボールペンを置いた。ところが陽気のせいか、ぐっすり寝込んでしまうばかりなのだった。
 無用の準備だったかと思っていたら、ある未明、とてつもないアイデアがひらめいた。きたぞ! これで世間を瞠目(どうもく)させる文学が生れる。布団から手を出して素早くメモをとり、安心して寝た。朝、目を覚ましメモ帳を見たら、何も書いてなかった。アイデアが浮かんだのも夢なら、それを記録したのも夢だった。
 ひらめきを得るには、まず徹底的に苦しんで、自分でやれるだけのことはやっておかなければならない。人事を尽くして天命を待つ、という状態でなければ駄目なようである。
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母の手紙

「だいぶ困っているやうですね。帰ると云(い)ひますがそれはいけません(中略)。母はお前を天才児として育てて来ました。母はそれが誇りだったのです(中略)。食べられなければ食べずに死になさい。何で死ぬのも同じ事です」
 これは士別出身の彫刻家・阿部晃工が、上京して修業中、貧困に耐えられず、立身をあきらめて帰郷したいとの手紙に答えた、母トメの返事である。日付は昭和三年四月十日。晃工二十二歳。叱声(しっせい)はまだ続く。
「病気ででもあればどんなことでもしてやりますが、お前は母がいつ迄(まで)も優しい母だと思って居るのは間違いです。そんな意気地なしは見るのもいやです。帰って来ても家へは入れません。死んで死んで骨になって帰って来なさい(中略)。一日も早くお前の死んで帰る日を母は待って居ります」
 晃工はこの手紙に奮起し、歯を食いしばって修業を続け、右腕の自由を失う不幸に見舞われると左手で創作し、ついには昭和の左甚五郎≠ニいわれる彫刻界の名匠に成長する。
 士別市立博物館には、晃工の代表的な作品とともにこの手紙も展示されているが、おそらく涙でつづったであろう、強く激しい文面ににじむ母の心情が、時代をこえて読む者の胸を打つ。
 ひるがえって現代の親子の愛や絆(きずな)について、考えさせられる一文でもある。
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わがアイドル

 キース・ジャレットのピアノ演奏を聴くと、平静でいられなくなる。単なる乗りのジャズではない。力強い香気に溢れ、哀(かな)しいまでに美しい。心の奥をゆさぶられる感じだ。
 ライブを初めて見たとき、ひっきりなしに唸り声をあげ、くねくねとからだを動かすのが異様に思えたが、いつか変幻自在の世界に引きずり込まれ、われを忘れた。すさまじい集中力、のめり込みの深さに圧倒された。あの奇妙な動作は、感覚を研ぎ澄ます手立てらしい。いや、自分の極限を表現するためのなりふりかまわぬ姿といえようか。
 キースが音楽について語った言葉は抽象的なものが多く、私には意味のつかめないものがほとんどだ。だが、演奏のフレーズのように凝縮した物言いに感銘させられるものもある。
「ぼくらは誕生と死の間で生きている。あるいは、そうなのだと都合よく自分に納得させている。しかし実は、自分たちの生のあらゆる瞬間に生まれつつあると同時に死につつあるのだ。したがって、ぼくらは花のようであることに、もっと努めなければならない」
 即興演奏の今≠創造することと、人生の今≠生きることに相通じる意志を感じる。キースの演奏は、そのひたむきさ、激しさゆえに昇華され、聴く者の魂を癒(いや)す。
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雨と雷

 私の場合、寝室は真っ暗でなくてはいけない。少しでも明かりがあると眠れない。一番気持ちが安らぐのは、真っ暗で雨の音が聞こえること。風がなく、ザーッと縦に降る雨の夜はまことに気持ちよく安眠できる。身も心も雨に洗われ、溶けていくようで快い。
 つげ義春の紀行文に、貧しい宿屋でセンベイ布団にくるまって寝ていると、自分が世の中から見捨てられたような気持ちになって、何ともいえない安らぎを覚える、と書いたものがあるが、その心境がわかる気がする。暗闇の安らぎというものもあるのでないかと思う。
 私はまた雷の音も好きである。豪雨の中、町ごと揺(ゆ)るがすほどに鳴り渡るのなんか、身内に力がわいてくる気がする。夜なら稲妻がきわだってもっといい。天上から突き立つ落雷の火柱を見ることができたら幸運というしかない。もっとも家のテレビアンテナに落ちたりしては困るが、このさい、それは考えないことにして。
 そんな話をしていると、ロック好きのN君がその雷鳴CDを持っているという。さっそく貸してもらった。愛用のオーディオで聴くと、さすがに凄(すご)い迫力だ。鼓膜をもろに打ち、床や壁まで振動させる。しだいにボリュームを上げて興奮していたら、ドアが開き、何時だと思ってるの! と妻にカミナリを落とされた。
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誤 字

 先日送られてきた文書に「勇士の方々と相計りまして」云々とあった。「勇士」は明らかに「有志」の間違い。ワープロの普及は文書づくりを容易にしたが、同音異議のミスを招きやすい。変換キーをたった一、二回押し違えただけだろうに。
 文書は寄付の要請だった。「勇士」のほうがインパクトが強いし、関係者の意気込みがよく表れているといえなくもない。しかし、文字というものは、ほんのちょっとの誤りで意味がまったく変わってしまうから注意を要する。
 数年前、古い戯画や俳画に興味を持ち、市内の書店で、渡辺崋山の『一掃百態』を求めた。「一掃」とはこの場合、ひとはき、さらりと描いたとでもいう意味なのだろう。江戸の庶民の生活が洒脱(しゃだつ)な筆で描かれている。
 しばらくして請求書が職場のほうへ届いた。ところが記された本の名を見て驚いた。なんと「掃」の字が女偏になっているのだ。これではまるでイケナイ本を買ったようではないか。私はあわてて、請求書を机の引き出しにしまった。
 好事家のTさんが遊びにきたとき、これを見せると、彼は大喜びし、ぜひ譲ってくれ、自分の珍品コレクションに加えたい、と言い出した。すると、にわかにその紙片が貴重な宝物のような気がしてきて、これは蔵書に準ずるもの、手放すわけにはいかない、と断った。
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五十肩

 左肩に痛みが現れた。寝違えかなんかにちがいない、そのうち治るだろうとタカをくくっていたら、痛みはだんだんひどくなる。ひと月ほど我慢したが、夜も眠られなくなり、とうとう整骨院へ行った。「こんなになるまでほうっておくなんて。痛いと感じたとき、すぐ来ればよかったのに」と柔道整復師は肩をもみながら言った。
「どうも、我慢する癖がついていまして」
「それは昔の話。今は我慢なんかする時代じゃないですよ」
 我慢していて手遅れになってしまっては取り返しがつかない。何事も早期発見、早期治療というわけだった。しかし、物心がついたころから、我慢しなければ生きてこられなかった。我慢が身についてしまっているのだ。治療室には中年の患者さんが多くいて、そんな貧しい時代の話になった。
「こんなに何でも豊富にある世の中が嘘(うそ)のようだね。いつか、しっぺ返しがくるような気がして」と腰を痛めた男の人が言った。
 マッサージのあと、整復師は私の腕を上下左右の限界まで振りまわした。その痛さたるや、ほとんど拷問(ごうもん)に近い。歯を食いしばって耐えていたら、「それそれ、また我慢する。痛い痛いと声をあげていなさい。息をとめていると失神しますよ」と言われた。
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カラスの贈り物

 夕方になると住宅地の空がにぎやかになる。カラスの大群が帰ってくるのだ。私の家は、後ろに彼らのねぐらである鎮守の森が控えているので、この騒ぎは日課である。
 まちの人口は減りつつあるのに、カラスばかりが増えつづけ、世紀末的様相を呈する。電線や屋根の上に何百、何千とも知れぬ黒い鳥がずらり並んでいる光景は、まるでヒッチコックの映画「鳥」の一シーンのように不気味だ。
 ヤキトリにでもして食べられるなら役に立つものを、どうしようもない。実際、カラスの肉を料理する試みをテレビ番組でみたことがあるが、とても食欲をそそられるどころではなかった。同じタンパク質なんだし、みんなで食べれば怖くないかもしれない。利潤追求の文明の中で、毒を食らうことには慣れているのだから。
 寝る時間が近づいたのか、彼らは一斉に飛び立ち、薄暮の空を乱舞した。中には糞(ふん)を落とすやつもいる。そんなものを頭で受けたりしては大変だから、早々に家へ逃げ込んだ。
 何日かたって庭の草刈りをしていると、雑草の間から山ぶどうの蔓(つる)が伸びているのを発見した。カラスの糞に混じっていたものに違いない。刈ってしまうのはもったいない気がして、それを残して周囲を刈ったので、その後順調に生育している。
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速読術

 速読術というものがある。マスターすれば新書判なら二時間ぐらいで読んでしまえるらしい。忙しい現代人には、うってつけの技術だ。図書館でその本を見つけ、借りてきた。
 一字一字読んではいけない、とある。数文字ごとすくうように読め。それに慣れたら、一行の真ん中のあたりに視点をおき、しかし全体を視野に収める感じで読んでいけ。次に二行ずつ読め、さらに一ページ丸ごと、字面の右肩から左下に向かって一気に斜め読みせよ……。
 最初はむずかしいから、一行の字数が少ないもの、たとえば北海道新聞の「卓上四季」なんかを、真横にサーッと視線をずらしながら読み、あとで要点を思い返してみた。何度か試みたがうまくいかない。今まで必要にせまられて、飛ばし読み、斜め読みはあるていど実践してきたことなのだが、このレベル・アップは意外にむずかしかった。つい文字そのものを見てしまう。焦点をはずすと寄り目になっていたりする。私にはその能力がないのか。
 とうとうあきらめた。というより考え方を改めることにした。私が読むものは小説やエッセイの類(たぐい)がほとんど。芸術的な文章は速さよりも味わうこと、いい文章に出合ったら読み直して感心したり、腕組みしてうなったりするほうがいいのだ、と。
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冬の虹

「スイキンチカモクドッテンカイメイ」──。これはだれでも知っている。太陽系惑星の順、水金地火木土天海冥のこと。もっとも楕円(だえん)軌道の関係で今は最後のところが「メイカイ」だそうだが。
 子供のころ、いろいろなことを記憶させられた。歴史の年代をシャレたのや古文の冒頭、詩の一節などはまだよかった。意味があるだけに脳の襞(ひだ)に引っかかってくれた。無意味な音が並ぶ、冒頭のようなものは覚えづらかった。だが記憶力の旺盛(おうせい)な時だったから詰め込めた。
 最近、物忘れが激しくなって、とくに他人の名前を忘れるので困る。人前で話すときなんかは参ってしまう。出てくるまで時間がかかる。その間「えー」とか「あー」とか引っ張って時間稼ぎをしなければならない。それでも思い出せばいい。ほとんど喉(のど)まできているのに出てこない場合がある。出番が終わってから思い出したりして、文字どおり後の祭りだ。
 風邪気味なのにどうしても出なければならない宴があって出席。夜、酔って帰宅の途中、咳(せき)がとまらない。すると「セキトウオウリョクセイランシ」。こんな言葉が口を出た。一体何のことだったか? 数歩あるいて思い出した。そうだ、虹の七色だったな。赤橙黄緑青藍紫。
 新しいことはすぐ忘れてしまうのに、記憶の芯のほうは消えないらしい。何の役に立ちそうもないことばかり覚えているなんて、と嘆きつつ、冬の夜空に七色を描いてみた。
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