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「ほんとに」と「しっかり」

佐 野 良 二


 手仕事をしながらテレビの音声を聞いていると、いままで耳を素通りしていたような言葉が耳につき出した。とにかく誰でも頻繁に使っている言葉なんだが。
「ほんとにすごいと思いました」「ほんとに命懸けでした」「ほんとに感動しました」「ほんとに勇気をもらいました」
「しっかり練習できてよかったです」「しっかり取るものは取っていく」「しっかり責任を果したいと思います」
 まあ意味は通じているし、文脈になんの問題もないのだ。ただ「ほんとに」や「しっかり」をつい口にしてしまう人の気持ちを考えてみた。もちろん私は心理学に明るいわけではないし、単なる揚げ足取りをやっているのかもしれないけれど……。

「ほんとに」は、強調するときに使うように思う。己の体験の場合なら、いかに大変な事態のなかで健闘したかということを、また他人の場合ならいかに超人的な技や勇敢な行為だったかをホメるときに。
 中には口癖のように使っている人もいる。まるで「あのー」「えーと」の代わりみたいに「ほんとに」と言って間を持たせ、次に言うことを考えている場合もある。
 ちょっとしたコメントに数回連発する人もいる。とくに謝罪〜弁解の会見なんかで立て続けに言われると眉唾めいてくる。「ほんとに」とは「ウソじゃない」と言っているわけだから、「ウソじゃない、ウソじゃない」と繰り返せば繰り返すほど、ウソくさく聞こえてしまうのだ。

 同様に「しっかり」もこの伝で、何回も繰り返されると、なんだか疑わしい気分になってくる。しっかりやっていないのに「しっかり」と言うことで、他人に「しっかり」やっているように見せかけているのでないか、なんて意地悪な見方をしてしまいそうだ。私が猜疑心の強い性格なのか、世情のあくどさを見聞きしているうちに言葉にまでバリアを張ってしまうようになったのか……。
 そんな疑わしい気持ちになっているとき、なんと、この「しっかり」という言葉を政治家がしきりに使う場面に出くわした。「しっかり国民の声を聞いて」「しっかりと議論して」「しっかりと政策を実行していきたい」
 かつての政権担当には「しっかりせよ」と言いたかったのだが、現政権担当はまるで他人の声に耳を貸さず、自論を声高に繰り返している。大声で言い続ければそれが世論になると思い違いしているのか。こんな人に「しっかり」やられたんじゃあ、この国はいったいどこに向かうのか?
 政治家が「しっかり」を連発したら、これは眉唾ものだ。国民は「しっかり」見極めなくちゃいけない。
                    (2014/3/14)
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