猫も歩けば
佐 野 良 二
うちの家族は、一応進化していて、ほとんど二足直立で歩く。しかし、いまだに四つ足の奴が一人いる。いや一人ではなかった、一匹。名前はチック。オス猫である。
もっとも私も四つん這いになることはあるが、それはやむを得ない場合に限られている。チックは常時四つん這いであるから、われわれより劣る種と見なして差しつかえないはずだけれども、なかなかどうして、諸事万端に抜け目なく利巧である。世渡りのうまさにかけては、進化の頂点にある人間もかなわないのではないか。
いまいる猫は二匹目で、最初の奴をチックと呼んだから、二匹目もそう呼んでいる。
初代チックは、市内のさる農家からもらった。全身真っ白で、眼が青かった。日本猫だが何代か前にシャムの血が混じったらしい。それに駄猫の遺伝子もかなり注がれたらしく、右の耳が折れ、尾の先が曲がっていた。また、よく見ると額に黒い毛が十四、五本生えていた。完璧志向の私はせめて毛色だけでも統一しようと、奴が眠っている隙に毛抜きでその黒毛を全部抜きとろうとしたのだが、そーっとやっても二、三本抜いたくらいで気づき、逃げて行ってしまう。継続作業として気長にやることにしたけれども、そのうち、寝ているところに私が近づくと気配を感じ、起き上がって逃げ出す。けっきょく完璧を期すことはできなかった。
生後五カ月を経ていたので、すでにじゅうぶん成長しており、親猫から処世の心得を一通り教わっていたのだろう。排便の始末はきちんとやるし、爪とぎは決めた場所を守るし、餌は残飯でもパンの耳でも何でも食う、まったく手間のかからない奴だった。
困ったことといえば、ハンティングがやたら上手なため、地方都市とはいえ、こんな街中のどこにそんなものがいるのかと思うほど、三日にあげず鼠だの雀だの、まれには
それはハンティングの再現というより、大げさな自慢話、ホラ話に近い。──草むらにひそんでいた吾輩は、チョロチョロやって来た愚かなる獲物にすばやい右のフックを見舞い、あわてふためきとびあがり落下するところを鮮やかな回転レシーブで受け止め、爪で引っかけ強烈な背負投げを食わせ、恐怖で引きつった顔面に必殺のドロップキックをかまし──という具合に、何だかわけのわからないごちゃまぜの演技で、ほとんど瀕死の状態のものを、とめどもなくいたぶり続けるのである。いつしか、生きのいい獲物はくたくたの死骸と化してしまう。ああやっていじくりまわすと、肉が柔かくなって味が増すのだろうか。散々もてあそんだあと、首を傾げたりしてさも旨そうに食う。
かようにして良質の蛋白質をふんだんに
初代には一つ妙な習癖があった。それは夜十時を過ぎると急にきかなくなる≠アとだった。野性の血が騒ぎ出すとでもいうか、やたら攻撃的になるのである。ソファーに腰掛けていてちょいと脚を組み替えたり、小用で立って歩いたりしただけで足に噛みつく。テーブルの下を覗いて、そこにいるチックと視線が合ったりしたら猛然と跳びかかってくる。猫の習性に通じた人の話によると、元来、猫の眼をじっと見詰めることは攻撃を意味するから、そういう
手先を使って奴の眼前でちょっかいを出したものなら、すぐさま毛を逆立て、憤怒の声をあげてかかって来る。私はトレーニングと称して、毎晩、軍手をはめてチックをかまった。興奮しすぎて本気になり、軍手二枚重ねなのに噛み傷を負わせられたこともある。攻撃は手から手首、肘に及び、それらの個所を隠すと肩先に食いついた。猛り狂ってしまうと自分でもわけがわからなくなり、抑制できないふうなのだった。私の知人にこれによく似た状態になる男がいる。彼は平常好人物であるけれども、酒を飲み、ある定量を超えたとたん、やたら他人に噛みつく(もちろん言葉でではあるが)、この性癖のため皆から疎まれている。いや、これは関係なかった。
激しい気性を
冬のある寒い日、外国人の宣教師がわが家を訪れた。二人組で、どっちも玄関の明かり取り窓から顔が見えるほどの長身である。片方が身をかがめて、微笑を浮かべながら「アナタハ、神ニツイテ考エタコトアリマスカ」と問うた。
私が否と答えると、「ヒトトキ、話シ合ッテイタダケマセンカ」と控え目に要請した。不信心な私には、結果は馬の耳に念仏と同然に思えたが、彼らのこれまたすばらしく高い鼻が、寒さで赤みを帯び、いまにも鼻水が垂れそうであったので、何はともあれ、ひとまず異国の青年たちに暖をとってもらおうと、応諾した。
彼らは居間に入ると、私たち家族との
宣教師は悲鳴に近い早口で何やら叫び(英語だった)、噛まれた手を引き戻してから「オオ、痛イデスネ!」と私たちにわかる言葉で言った。私はあわててチックにビンタを食らわせた。それも自身の掌が痛いほど激しい勢いで。そうしなければ示しがつかない気がして。
チックにしてみれば、自分のテリトリーに侵入した他所者を撃退しようとした、必死の行為だったのかもしれない。私にしてみれば、ただ恐縮するばかりだった。外国人がわが家に入ってきたのは前代未聞のことであって、そのうえ「神」などという、通常考えたこともないテーマを出されて、すっかり面食らい、そのあとの会話は彼らの片言以上にしどろもどろだった。
それにしても、これは彼らが帰ってしまって冷静になってから思ったのだが、チックに噛まれて叫んだ宣教師の英語の意味である。もちろん私の語学力ではまったくわからないけれども、あの時の発音の感じは「痛っ、何すんだ、この野郎!」というふうに聞こえた。これはあまりに失敬な誤訳≠セろうか。彼はその瞬間、厳かなる聖職者から、ただの素直な若者に戻っていたと思えるのである。
宣教師たちは、その後二度ほどやってきた。その間に私は存在や宇宙について、付け焼き刃ながら考察をめぐらしていたので、少し応接ができるようになっていた。彼らが「永遠」とか「救い」とか弁ずるのを、こう否定した。
「あと数十億年たったら、太陽は赤色巨星となって膨張し、地球をも呑みこんでしまうそうじゃないですか(彼らは、このことをまったく知らなかった)。そうなったら、いやそうなる前からかな、人類はすべて滅亡します。繁栄すれば衰退する。始めがあって終りがある。この論理が、私にはすっきりして性に合うんです」
寒の入りになって、チックに初のサカリが訪れた。いかに毛皮を着ているとはいえ、素足のまま零下の気温のなかを一日中うろついては体が参ってしまうと案じられるけれども、もはや抑えはきかない。寒波も吹雪もものかは、毎朝決然と出て行く。夕方帰ってくると、よほど腹が減っているのか「アウアウ」と唸りながら猫皿をがっつく。夜は家鳴りがする酷寒状態だから、家の中に閉じこめておくと、みんなが寝静まったころ、メスを呼ぶ切なくも下手くそなヨーデルを歌い始める。浅ましくも困った猫になり下がってしまった。
二月中旬のマイナス二五度のひときわ厳しい寒波が襲来した日、奴はとうとう朝出たまま行くえ知れずになった。家族総出で捜しに出かけると、足音が金属性の響きを発する凍てついた夜だった。
何十日も奇跡を願って待ち続けたが、チックは二度と戻らなかった。そのうち妻子らは「きっと可愛い猫だから、どこかの家に飼われているわよ」と慰め合うようになった。しかし、私はそんなごまかしの言葉を好まぬ。奴は本能のままにメスの臭いをかいでうろつきまわり、ついには耐えられないシバレのなかで野垂れ死にしたに相違ない。
二代目は都会生まれであった。妻と娘たちは、初代がどうしても帰ってこないと観念すると、二度と猫は飼わないと言っていた。それが幾ばくもなく、またほしいと言い出した。そう思うと居ても立ってもいられないらしい。それも初代の清楚な印象が眼に残っていて、同じ白毛碧眼の猫がほしいと言う。探し求めて半年後、やっと知人を通して札幌の縁者の家に生まれたとの情報を得、わざわざ往復三九〇キロの道程をもらってきた。
そいつは見るからに気品ある容貌をしていた。やはり日本とシャムのハーフだったが、今度は異国の血のほうが相当勝っていて、ピンと立った耳、相手を威圧する三白眼(青目だから三青眼?)、長くしなやかな尾と、隙なく整っており、一点の
そのためか、やたら気位が高い。生意気にも汁かけご飯やパンの耳など見向きもせず、高価なキャットフードしか食わない。猫どもがみな鼻を鳴らす煮干にしたって、身のいいところだけ食い、頭は必ず残した。もっともこの美食癖は、妻がこのハンサムな貴公子にすっかりのぼせあがり、好きな餌ばかり与えた結果によると言えないこともない。
「人間の食べ残しで飼うならいいが、猫専用の食糧を買ってまで与えるなんて贅沢にもほどがある。役に立たないウンコ製造のためにオレは働いているんじゃない」と私はしばしば妻に突っかかった。
「そうよねえ、チックちゃんの好き嫌いには困ってしまうわ」妻は上の空で答え、そしてひたすらペット産業に献金し続けている。そのくせ給料日には、「足りない、足りない」とこぼすのである。
そのうち妙なことに気がついた。二代目は呼んでも来ないのだ。初め、まだ幼いせいで反応がないのだろうと思っていた。ところが時日を経るにつれ、耳が聞こえないせいであることがわかった。床を叩くと気づく、これは振動が四肢に伝わるからだ。しかし、名前を呼んでも手を打っても気づかない。音は伝わらないのである。
「何匹も生まれたんだから、ちゃんとしたのと取り替えてもらおうか」と私が提案したけれども、妻も娘たちもすでに情が移っていて、そんな気になれないのだった。
初代は、家族が帰宅するといそいそと玄関に迎えにきた。呼ベばこっちを振り向いた。機嫌がいいと返事もした。動きたくなくて、しかし、ご主人様のお呼びだから無視もできない、という場合は尾だけ振って応えた。二代目にはそれがないから猫の面白さが半減すると言うと、女たちはこぞって反論した。要約すると次の三点になる。
一、音に邪魔されず完全な睡眠が得られるから、その寝姿は天使のようにあどけなく可愛い。
二、外界の現象を全身で知ろうとするひたむきな仕草は、あまりに健気で胸を打つ。
三、愛情さえあれば、振動(床をトントン叩く)と身振り手招きのオイデオイデ)で意思は伝えられる。伝達手段がむずかしいほどそれが通じたときの喜びは大きく、絆は強くなる。
どれも感情的なまでの思い入れによる、勝手な理屈であったけれども、私はもはや逆らわないことにした。いや、開いた口がふさがらなかったと言ったほうが正しい。
人間は猫を、自分が独り言をいうために飼っているのだ、とこのころに気づいた。言葉なんか通じないのに、猫に世間話を聞かせる人がいる、夫の悪口を告げる人がいる。耳が聞こえる猫ならまだニュアンスくらいは伝わるかもしれないが、うちの猫の場合は完全に独り言用なのである。そう気づきながらも、私もチックの姿を見かけるとつい、口走ってしまう。「このくそったれ!」と。
二代目チックはあまりちやほやされるものだから、自分より強いものはないと錯覚し始めた。周囲のものを威嚇するのだ。たとえば玄関に見知らぬ客が来ると、毛を逆立て、体を斜に構えて
奴は威嚇の対象を次第にエスカレートさせていった。ある日、路上をやって来る自転車を見とがめ、その前にとび出して例の威嚇に及んだ。自転車に乗っていたのは高校生で「わあ、何だっこれ!」と叫んでブレーキを掛けた。猫の子と気づくまでしばらくかかり、キタキツネの変種かなんかと間違えたそうである。笑って済ませるうちはいいけれども、まったく無知よりこわいものはない。
別の日、私が庭木の手入れをしていると、家の横の道路にチックが現れた。それから突如、いつもの威嚇行為を始め、センターラインの辺りまで出て行った。相手は誰なのか、チックの前方はあいにく家の陰で見えない。しかし、その時、私の背筋をいやな予感が走った。案の定、家の陰からとび出して来たものは大型トラックだった。奴はその大きな車体の下に呑まれた。私は全身がこわばり、同時に即死を念じた。トラックはブレーキも掛けずに走り去り、そのあとチックは弾けるように立ち上がると、よろめきながらこつちへ逃げてきた。カーッ、カーッと聞いたこともない声を出している。歩き方がおかしい。外傷はないようだが、前足の片方が変なほうを向いていて、それを引きずって三本足で駆けてくる。……
犬猫病院に連れていくと、右前足を骨折していた。手術料が七万円もかかるという。妻は気も動転していて即座に手術させそうな気配なので、私はあわててそれを断った。
妙案が浮かんだのだ。それは懇意にしている整骨院に診てもらうことだった。十数分後、その柔道整復師が「猫は犬とちがっていうことをきかんからだめだ」と言うのを、無理に頼みこみ、みんなで押さえつけてギプスを着けてもらった。うまくいって一安心していたら、チックはギプスの重さで、治療台の上に転倒した。そのとたん、再び患部をくじいたのか、痛くてたまらんというふうに「ニャッ」と叫んで、半狂乱になって暴れまくり、ほとんどアクロバットを演じて、ギプスから折れた前足を引っこ抜いてしまった。
いまさら犬猫病院に戻れず困惑していると、柔道整復師は「放っておけば……。なあに猫なんて奴は何だって自分で治しちゃうんだから」と呑気な調子で言う。何年か前にやはり骨折した猫が持ちこまれ、暴れてどうにも手がつけられず、けっきょく放っておいたら自然に治ったと言うことだった。それなら今回もと自然の摂理に委ねることにした。妻はなかなか納得しなかったけれども。
帰宅するや、チックはさっさと押し入れにもぐってしまった。覗いてみると奥のほうで行儀よく胸を張り、お坐りしている。折れた前足をちょうどぶら下げる恰好にして。後日、整復師に聞いたところによると、骨折部位をぶら下げておくことは、正常な位置を保つため理に適った方法なのだそうだ。奴はその整骨理学を知っているかのようである。それから、眠る時さえ整理箱なんかに寄りかかってお坐りの姿勢を崩さなかった。
あれほど甘えていた妻にも寄りつかない。ただひたすら押し入れの奥に坐っている。まさに
「こんな時だから、せっかく面倒見てあげようとしているのに」と、妻は不平を鳴らした。しかし、私は感心していた。もし、いま自分に思いもよらぬ厄災が降りかかったら、果して、じたばたせず、死すらも平然と受け入れる
その後、二代目がどうなったかというと、何のことはない、いま、そこら辺を走りまわっている。たった三週間で完治したのである。人間の骨折なら治癒するまで一カ月はかかるし、そのあと萎縮した筋を伸ばすのに相当日数苦しまなくてはならない。猫は成長が早いうえ、もともと体が柔軟だから後治療も要らないのだろう。とにかく徹底したお坐り療法で治してしまった。触ってみると、骨折部位は何ミリかずれて着いているが、機能的には支障がないようだし、外見は毛皮を着ているので全然わからない。
耳が聞こえないから、いつまた事故に遭遇するかしれない。間もなく生後一年になるので、サカリがきたら、うろつく回数も増えて危険この上ない。愛猫家は、こういう猫は戸外へ出してはいけないとか、犬のように引き綱でつないでおくと安心だとか、忠告してくれる。しかし、猫からうろちょろすることを奪ったら何が残るか。私は奴を拘束したりしない。初代同様、本能のおもむくままに行動すべきであるし、また本能によって危険を回避ないし克服するのでなければならないと思っている。それが至らず災厄を被ったら、それは運命というものだ。猫の運命なんぞを、人間の才智で変更してやることはない。現にその後、奴は自動車を太刀打ちできぬ相手と身をもって知り、二度と無謀にかかっていくようなことはなくなった。
チックが、うちの家族で最もなついているのは妻である。これはいつも餌をやるし、何でも奴のいいなりだから当然だろう。ところが、二番目になついているのはどうも私らしい。猫を可愛がっている者は妻の次に二人の娘だが、小学生の娘たちは自分本位の可愛がり方だから、チックが寝ているのをいきなり抱きあげて頬ずりをしたり、姉妹で自分のベッドヘ連れていくとて引っ張り合いをしたりするので、嫌がるのだ。
その点、私は可愛がったりしないけれども、家にいるときは本を読むか、あるいは本を枕にして寝ているかのどっちかだから、私の周辺は猫にとっても安息が得られて具合がいいのだろう。
ことに先日、この界隈のボス猫に追いかけられ、家の中まで入りこんで苛められているのに出くわし、スリッパで相手を叩き出してやってから、私を頼もしく思ったらしく、よく私の部屋に入ってくるようになった。別に膝の上にあがってくるわけではないが、気がつくと、いつの間にか部屋の隅にいて、私の顔を眼を細くして見ていたりする。すると不思議なもので、そう憎からず思え、「ニャにか用か」なんて言ったりしているのだった。
『士別市民文芸』No.9 1985.11「うろちょろ二代」を加筆、改題。
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