老いては個≠ノ従え
佐 野 良 二
私は小樽で生まれたが、家庭の事情で少年時代に道北の士別に引っ越した。高校を出ると地元市役所に職を得たので、他市に移ることなく、以後ずーっとこのマチで生きてきた。余暇に手を染めた小説作品も、ほとんど士別が舞台である。まるで幕藩制下の侍のように、このマチと運命を共にすることに何の疑問も抱かなかった。それは公務員としての私の掟だった。
定年退職して肩書が消えると、人間一個に立ち戻った。自分は何なのか、どこからきてどこへいくのか。にわかに読むものが、宇宙、進化、脳の科学等々、文学よりサイエンスに関する本がもっぱらになった。
どうやら宇宙は、つまり私の生きているこの世界は、エントロピー増大の法則によって確実に破滅に向かっているらしい。しかし、まだ当分、それも想像できない天文学的な数字で持続するらしい。むしろ、そういう限られた時空にある人間同士が、やたら角突き合わせて自らの崩壊、滅亡を早めているようだ。それはそれとして、私も一個の生物として、法則どおりそろそろ残り時間が少なくなってきている……。
枷が外れた。人はどこに住んでもいい、またどこに住んでも同じともいえる。私はこの士別の恵まれた大自然を愛しくは思うが、それを楽しむ術を知らない。釣りや山菜とりをやるわけでなく、パークゴルフをやるわけでもない。新たにそうした楽しみを始めるのもいいが、私の至福の時は本を読むこと、ジャズを聴くこと、映画を見ること。長年にわたるこの領域をさらに深め、高めていくことのほうにより興味を覚える。それには都会のほうが情報量が多いし、ちょいと歩いて行ける距離にそれがあるというのは好条件にちがいない。
毎日が暇だから、冬は丹念に雪はねをした。ある朝、何げない動作で腰を痛めてしまった。老化を痛感。国際雪はね選手権を世界に先駆けて実行し、観光の目玉にしているマチでこの体たらくとは。腰を押さえながら、ふと退聴後は都会のマンション暮らし≠ニいうフレーズが頭をかすめた。雪はねをしなくていいな。
いささか安直な発想と思いながら、札幌で暮らす二人の娘に話すと、「ぜひおいで。近くにいればなにかと安心だし」という。婿たちも「大歓迎です、応援します」という。果たして係累以外知らない他人ばかりのなかで暮らしていけるだろうか。大きな不安とかすかな希望の交錯する日が続いた。
そんな話を私はどこかで漏らしたらしい。小説修業中のT君がわが家を訪れた。
「噂を聞いたんですけど、札幌に行くって本当ですか」
「……う、うん」
「えっ、もう決めちゃったんですか」
「うん、決めちゃった」
答えながら意思が固まった。
「都会なんかに行ったら、人間関係がなくなって寂しいですよ」
「個≠ヘ孤≠ナもある、その覚悟はできてるさ。病気になるくらいでないといい小説は書けないんだ」
「あーあ、師匠がいなくなっちゃあ、困っちゃうなあ」
「君も孤≠ノ徹して書きなさい。作品ができたらメールで送ってよこしたらいい、添削してあげるよ」
「でもねえ、こうやってしゃべれなくなるじゃないですか。困っちゃうなあ」
「……」
それから間もなく、今度はジャズ友のO君がやってきた。
「小耳に挟んだんだけど、マチを出るって嘘でしょ」
「いや、本当だよ」
「そんな……。定年退職したら、田舎に引きこもって土いじりをするっていうのが普通だよ」
「オレは普通じゃないんだね、きっと」
「オーディオに凝ったのに、マンションなんかじゃガンガン鳴らせないし」
「ジャズ喫茶を探すさ。ライブも目の当たりにできるじゃないか。君もキタラに来たら、一緒に聴こう」
「ふん、そんな都会なんかに行ったら、それこそオヤジ狩りに遭うよ」
引き止めたいゆえの憎まれ口。この友情を断ち切るわけではないにしても、やはり疎遠になることは辛い思いだった。そう感じながら応えた。
「スキンヘッドにして(もうなってるか)、サングラスをかけるさ」
そして、けっきょく札幌に転居した。娘たちは私たち老夫婦の新居をよく訪ねてくれる。しかし、老いの弱りとて子にすがりたくはない。老いては個≠ノ従え──と言い換えたい。好奇心のおもむくまま、ビルの谷間をうろついている。
北海道新聞(夕刊)2002/11/15
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