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―――――Ryo爺の独り言――――

●アクセス解析で見えてきたこと
このホームページはエックスサーバー(旧名ネットオウル)で開設している。昨年から新プランを利用させていただいたら、アクセス解析ができるようになり、いままで見えなかったことが見えてきた。切り替えが2月だったので11か月分のデータだが、こんな泡沫のようなサイトでも訪問者は1日14~5人前後、訪問数は月に650~700件ほどあることがわかった。
ページ別で最もアクセスが多かったのは、「漢検1級挑戦記」で、このデシタルの時代に漢字を学ぶ隠れ愛好者がけっこういるようで、私の体験が受検する人たちの参考になっているなら嬉しいことだ。2番目が小説「われらリフター」が読まれているようだ。それにつれて「闇の力」「五味氏の宝物」も数字が上がってきた。“青空文庫”サイトで公開していることから目につくようになったのかもしれない。
私がいま最も見てほしいと思っているのは、80の手習いで始めた「水彩画を学ぶ」のページ、受講期間を終えいまは独学状態だが、失敗作も恥じずに毎月2作は更新している。水彩画を描く人、とくに私と同じ初心者には参考になるはずと思いたい。高齢化で会員が減少し、やむなく活動停止~解散に陥った木彫活動は、10数年続けてきた作品の蓄積をいまも「木彫は楽し」に公開している。人気は「猫」がトップで次が「動物いろいろ」、「余談」の苦労話や愚痴話もよく見られいる。いまもなお続くペットブームの余波だろうか。
日本語のサイトなので日本人にしか見られていないと思っていた。国別のデータを分析すると、やはり訪問者の約50%が国内だが、アメリカからのアクセスが25%前後、そのほか世界各国で見られていることに驚いた。次いでシンガポール、ドイツ、中国、フランス、カナダ、イギリス、オランダ、香港、台湾と続き、ロシアやウクライナも数は少ないがある。またモルドバ、アゼルバイジャン、ラトビア、セイシェルなど、あまり聞いたことのない国もあった。
日本語の小説を翻訳ソフトで自国語に訳して読む人なんていないだろうから、水彩画や木彫作品は言葉不要なので、たぶんこの視覚的領域へのアクセスだろうと推測している。国数は50数か国に及び、ちょっと検索に引っ掛かっただけのものもあるだろうが、とにかく地球規模で見られていると思うと、たとえ見知らぬ人たちであれ、姿勢を正して向き合わねば、という気持ちになってきた。 2026/1/5
●年賀状納めをしたあとに来た年賀状……
85歳を記念(?)して、勝手ながら昨年の年賀状は「いつの間にか高齢者と呼ばれる身となり、本年を以て賀状納めとさせていただきます」と末尾に書き、あまりご利益はないかもしれないが、手彫りの「金運招き猫」をデザインして投函した。だから、今年は手間がかからずラクした分、なにやら寂しい元旦かなと郵便受けを開けたら12通も来ていた。昨年の名簿をチェックすると、みんな間違いなく出してある人たち(喪中の人には「寒中見舞い」を賀状じまいのことも付記して出している)。どの賀状も見て嬉しかったけど、これ、どう対応したものか? 2026/1/1
●受講修了と共にサークル“彩友会”結成
北老人福祉センターの水彩画講座は3月で修了である。この講座は人気が高く、毎年抽選で受講者が決められる。希望者は多く、待機している人たちもいるので、1年間をもって未受講の人たちに譲ることになっている。
講師・浅野俊紀先生の導きによって絵を描く面白さを知った同期生たちは、これで絵筆をおいてしまうことができず、みんなやる気充分、意気投合して、4月から“彩友会”を結成、サークル活動として再出発することになった。わずか1年間の受講経験だけではまだまだ一人立ちできないが、仲間同士で “つかまり立ち”くらいはできるように、互いに研鑚し、かつ楽しんでいきたい。2025/4/14
●85歳の誕生日に
世の中はワルモノばかりのさばってきた。TVのニュースを見ていると吐き気がしてくる、しまいには涙が出てしまう。
昨年、もはや詞藻枯れ果て執筆する気力なく、講演・講話も人の名前や言葉が出てこなくなり、北海道文学館会員を辞めた。最後の趣味と思っていた木彫の会は高齢化で例会は出席者がほとんど居なくなったので解散した。今年の年頭には高齢につき賀状納めとさせていただいた。
マンションの駐輪場に置いていた自転車が盗まれ、このごろの移動はもっぱら徒歩だ。腰痛のせいで足裏にしびれがあり行動範囲が狭まってきた。
身体はしだいに劣化していく。脳もゆるんできたのか、本を読んでいてつい寝てしまうことも多い。木彫から水彩画に転向したが、絵を描いていても目が疲れてきて1時間くらいしか根気が続かない。
現状を正直に述べただけで、自分でも情けなくなってくるし、他人ならなおさら愚痴話にしか聞こえないだろう。
でも、生きている。孫たちが大学院・大学・高校にいて、ときおり嬉しい出来事を伝えてくれる。読書量は大幅に減ったが年に3冊くらいは目が覚めるものに出会うことがある。映画は前後が入り乱れて訳のわからない構成が多くなったが、これも3本くらいは感動する作品がある。ジャズはYouTubeという簡便な方法で古い演奏をいくらでも聴けるようになったが、いいものはほとんど聴いてしまって落ち穂拾いをしているようなものだが、2~3曲の新発見があったりする。
どの領域も労多くして利少なし、多くの時間を費やして面白いことは一瞬しかないようなものだ……。
まあこんな状態だけれど、水彩画はまだ伸び代がある、病院通いが複数あるから足は健康になる、と思って手と足を動かしていよう。2025/4/8
●「われらリフター」が高校の入試問題に
“著作権利用等に係る教育NPO”というところから、突然メールがきて驚いた。『われらリフター』の一部を高校の入試問題に使用したというのだ。「入試問題という性質上、事前のご許諾を得ることができませんでしたが、改めて御礼」とあり、この場合の無許可使用は著作権法で認められているらしい。
メールの趣旨は入試問題の二次利用のことで、次年度の受験希望者の学校説明会に無償配布したいが、その部数が著作権法に認められた「入試問題としての複製」を超えるので、著作者の許諾がほしいというものだった。
ウエイトリフティングにのめり込む力自慢の男たちの、少し常軌を逸した行動を、かなりふざけまくった文体で書いた小説なので、ちょっと信じがたい気がしたが、送られてきた設問をみると、危なくない個所を引用し、真面目な問いによって、ちゃんと学力を試す形になっていた。
自作の小説の試験問題を作者が正しく答えられなかったという笑い話を、どこかで読んだか聞いた気がするが、出題は小説から抜き出した部分の文意を問うもので、作者の意図を問うものではないので、違和感はなかった。拙作ごときを採用いただいた先生方に謝意を表したい。
ただ、改めて試験問題としての自分の文章を読んでみて、どことなく昭和のにおいがする古い文体に思えた。言葉は生き物、「やばい」とか「めっちゃ」とかを日常語として使う世代の目に、正しい国語と映るだろうかと……。2025/3/27
●木彫の会解散と新しい挑戦
北老人福祉センターを拠点に活動してきた木彫・麻の実会は3月をもって活動停止・解散した。会員がみな高齢になり、体調不良~入院治療などでグループ活動が立ちいかない事態となったからだ。
以前は30人もいて活況だったのにと惜しむ声もあったが、会員登録はしていても出席できない者がほとんどならどうしようもない。これは老人グループの宿命みたいな結末である。若い層(と言っても、この施設の利用者は60歳以上が対象)が入ってこないのは、複雑な作業を好まない傾向が若者だけでなく老人層にもあるのかもしれない。立体彫りに向いたブロック材が入手しづらい状況になってきているのも、需要がなくなってきているからだろう。木の時代は終焉を迎えているのかとさえ思えてくる。
私には木彫で表現したいアイデアはまだあるが、会の残務整理をしているうちに次第に意欲が薄れてきた。いっそこれを機に潔く木彫を休止し、何か別なことに発想を転換して老いた脳を再活性化しようと考え始めた。そして決断、4月から水彩画講座を受講することにした。
いままで私は、木彫りは楽しいが塗りが下手で何度も塗り直ししなければ思い通りにならないことがたびたびあった。「彫楽塗苦」なんて四字熟語もどきを作って自嘲するありさまだった。いままで趣味は好きなこと、面白いことをやってきたのだが、水彩画へのトライは塗りの苦手な私にとって、恥の上塗りになるか? 克服できる楽しみとなるか? 4月、84歳の新学期が始まる。2024/4/8
●オンボロ自転車を盗まれて
今朝、マンションの駐輪場に行ったら私の自転車が消えていた。カギをかけておいたのにどうやって外したのか? ところどころ錆びついてさえいる古い自転車を選りに選って?
あれは、娘たち(姉妹)が私の72歳の誕生祝いにプレゼントしてくれた水色のママチャリで、私はことし83歳になるから、もう11年も経つ。物を大事にするほうなので、要所に油を注したり、虫ゴムを取り替え空気入れで空気圧を適正にしたり、自転車店に頼らないで自分で手入れして愛用してきたが、マンションの駐輪場に置いてあるので風雨にさらされ、錆び止めを塗って拭いてもそれを止めることはできず、いつしか私自身と同様オンボロになっていた。
使用頻度で最も多いのが図書館の往復、そのほかちょっと遠い店で歩くのは億劫な距離の場合や、たまに天気のいい日で気分がよければ運動がてら娘の家まで行ってみたり……、まあそれくらいしか使わない。
高齢者の交通事故のニュースが多い昨今、加害者にはなりたくないので自家用車はすでに廃車、免許証も返上した。札幌は地下鉄を利用すれば行きたい場所に行くのに不自由しない、敬老乗車証をありがたく使わせていただいている。
だが中途半端な“ちょっとした距離”を行くには自転車は恰好の乗り物だ。自転車を乗りこなす程度の運動神経はまだ残っているつもりだ。
突然のアクシデントで面食らったか、やむなく今日は歩いて図書館に行ってきた。徒歩だと往復30分かかり、自転車の倍の時間を要した。まあ、歩くほうが健康にいいかと思いながら、日陰の遊歩道などコースを選びながら大汗かいた。
この盗難事件をどう考えたらいいだろう? 新しい自転車(電動式というのもあるらしい)を購入すべき時なのか、あるいはヘルメットも要るような時代、80代は自転車乗りも止め頃との天の声なのか?2023/8/15
●エッセイ「猫も歩けば」を公開
北海道文学館の特別展 “ネコ! ねこ! 猫!!” 展Ⅱに『われらリフター』所収のエッセイ「猫も歩けば」がパネル展示された。(2023/4/15~6/11)
小説集の巻末にいわば付け足しのように収めたエッセイなので、人目につくことはあまりないだろうと思っていたのだが、題名に「猫」の文字があるのに気づいて、学芸員が選び出したのかもしれない。
まだ猫ブームが起きる前の頃の、わが家の飼い猫・チックがもたらした小さな“騒動”……。猫を可愛い一辺倒で愛玩する人たちにはどう読まれるだろう? 文学館のパネル展示は冒頭のほんの一部だけなので、このさい全文をネット公開した(エッセイ・ページ)。2023/6/1
●ぎっくり腰になっちゃった
朝、顔を洗おうとして前傾姿勢になったら、突如腰にビリッと痛みが走った。重だるい腰痛は連日のことだが、姿勢の保ち方でゴマカシながら過ごしてきた。痛みを緩和するために膝を曲げて洗面台に向うのがコツなのだが、この日は許容範囲を越える角度になったらしい。
完全に “寝たきり老人” になってしまった。とにかく座ったり立ち上がったりするとき激痛が走る。起きたくないが頻尿のせいで1日10回以上は起きなければならない。そのたび歯を食いしばり呻き声をあげた。
ネット情報で対症法を調べると、最初の3日間は安静にし、4日目からは痛くても動け、動いたほうが回復が早い、と専門医が言っていた。それを見つけたのが4日目だったので、以後、なるべく動くようにしている。ついでに日記を検察してみたら、4回目のぎっくり腰発症だった。
人間が何かする姿勢は、直立姿勢からやや前傾になるのが基本のようであり、その姿勢がとれないのだから困る。何かを拾うために手を伸ばすことも、軽い物を持ち上げる動作もできない。着替えにさえ悲鳴をあげている。整形外科で診てもらいたいが、とてもまだ行くに行かれない有り様だ。2022/10/5
痛みが治まってきたので、整形外科病院に行き、脊椎外科で容態を診てもらった。腰痛専門医の診断は、老化による腰椎すべり症とのことだった。レントゲン写真を見せられたが、確かに何番目かの腰椎が後ろにずれて脊柱管を圧迫しているようだ。
医師は私を直立させて、前傾させたり背を押したりして問う「痛くないですか」「いまは痛くないです」、診察台に座らせて、ゴムハンマーで膝や足首を打っては問う「痛くないですか」「痛くないです」と答えると、現状では大事にいたっていないので、いままでどおり姿勢に気をつけて過ごすようにとのこと。
決定的な解決策が示されないので不満は残ったが、何かあったらまたお出でなさい、の言葉についうなずいて退出した。何かあったら……とにかく動けない、まるで芋虫みたいに床の中で寝ころがっているしかないのだ、と帰路、激痛の3日間を思い出していた。
まあ、とにかく痛みは治まっているので、私流の健康法、腕立て伏せ30回・腹筋運動30回・スクワット50回・かかと落とし50回、を再開した。2022/10/12
●ゴーゴリはウクライナ人
ロシア軍のウクライナ侵攻の残虐なシーンが連日トップニュースだ。目を覆いたくなるが、破壊と殺戮の惨状がこれでもかこれでもかと見せつけられる。毎日毎日、たった今も進行形で行なわれているのに、止めさせる手立てはなく、みんな手を拱いている……。
若いころ、文学青年だった私は、ロシア文学を質量ともに世界の最高峰と仰ぎ、ゴーゴリ、トルストイ、ドストエフスキー、チェホフをむさぼり読んだ。あの文学豊穣の国が、いまや世界平和の枠組みを根こそぎぶち壊している。
ゴーゴリはとくに私の愛読書だった。当時、川柳や狂歌、落首など江戸時代からあった庶民の反抗精神に共感し、その延長線上で広く世界の風刺文学を求めていたとき、「鼻」「外套」「検察官」に出会った。どの作品も、貧しい下層階級へは慈愛の目をもって哀しみに寄り添い、権力を笠に着て威張る者やそれにへつらう者には痛烈な皮肉をもっていじり倒す笑いに満ちていた。
そうだ、ゴーゴリはウクライナ生まれである。「ディカーニカ近郷夜話」など郷土のロマンチックな作品も残している。時代をタイムスリップして、今、彼がウクライナに現れたら、この故郷のありさまを書くことができるだろうか? もしロシアに現れたたら(ぜひ、プーチン政権をネタに風刺劇を書いてほしいが)、これは危ない、即刻 “クズども” か“裏切り者” として捕らえられてしまうだろうな。
……ウクライナはどうなる? 戦いきれるのか? ロシアはどうする気なのか? 外部情報を知る知識人や活動家は身動きがとれないのか? かつて革命を起こした国ではないか、ふたたび革命を起こす力はないのか? 2022/4/22
●同い年のGreat Man
私は1940年4月生まれ、いつの間にか80代に入ってしまったが、少なからず影響を受けている同年生まれの偉人が2人いる。立花隆とハービー・ハンコックである。
立花隆は1940年5月生まれ。「田中角栄研究~その金脈と人脈」で時の権力に真っ向から挑むジャーナリストとして名を上げ、その後、生命、臨死体験、医療、宇宙科学など多岐多様な分野にわたって徹底取材、出版するたびにベストセラーとなり、“知の巨人”と呼ばれた。残念ながら昨年4月に亡くなられたが、私はかねがねこの人の本を愛読してきた。
分野やテーマがあまりに広範囲にわたり、しかも高い知識と深い哲学ゆえに、私にはその一部分しか理解できていないのかもしれないが、『宇宙からの帰還』『精神と物質』『脳を鍛える』『巨悪vs言論』『天皇と東大』など、まさに目からウロコが落ちる感じだった。著書は読み切れないほど多く、もはや書店で見かけなくなったものもあり、このごろは専ら図書館から借りて読んでいる。今年もまた目からウロコ……いや、パラダイムの転換となる本に出会いたいと思っている。
もう一人は、まるで領域が違う、ハービー・ハンコック。アメリカのジャズ・ミュージシャンである。彼は1940年4月12日生まれ、私のほうが4日早く生まれているので、同じ産院のベビーサークルに並んでいたようにも思え、一方的ではあるが親しみがわく。そして彼は、老いた現在もなおジャズ界をリードする第一人者として活躍中、メーンストリーム・ジャズはもちろん、フュージョン、ジャズ・ファンクなど多彩なスタイルの最先端を走っている。
私のジャズ嗜好はアコースティックなものがメインなので、ベストを挙げれば「V.S.O.P. 」(中でも「Live Under The Sky」)や「Herbie Hancock Trio With Ron Carter + Tony Williams」、ウイントン・マルサリスが参加した「Herbie Hancock Quartet」、ウォレス・ルーニーとの「A Tribute To Miles」などにパワーをもらってきた。またエレクトリック・ピアノやキーボードを駆使しヒップ・ホップを採り入れた「Head Hunters」「Future Shock」「Magic Windows」「Dis Is Da Drum」など、固定観念にとらわれない奇想天外な音づくりも面白い。
マウント・フジ・ジャズ・フェスティバルのハービーを観に行ったことがあるが、やはりライヴは楽しい。YouTubeには動画も多くあって、演奏者同志の表情や仕草からインタープレイの様子が手に取るようにわかり面白さは倍加する。今年は、彼の名を冠したアルバムをことごとく聴き、かつ観てやろうと思っている。
同年生まれの人には、同じ時代の空気を吸って生きてきた、言わずとも感じられるフィーリングがあるように思われる。今年もこの二人の、同い年Great Manの紡ぎだす感動に出会いたい。2022/4/18
●難問の夢
妙な夢をみた。漢字の言葉が二つ浮かんできて、どちらも難しくて書けないのだ。それが途中から、いま就寝中なので起きたら辞典を調べてみようと思ったのだから、夢ではなく未明の半睡状態だったのかもしれない。だが起きてから、どんな言葉だったか二つとも思い出せなかった。それが一昨日のこと。
昨夜、また同じ夢をみた。こんどは二つとも言葉がはっきりしている。一つは「へっつい」、もう一つが「こめびつ」。「こめびつ」は確か「貴」が入る字だったはずと思い、子供のころ台所にあった米を入れる木箱を思い出し、木へんに違いない、たしか「枢」の「×」を「貴」にすればと考え「米櫃」と書いたようだ。
しかし「へっつい」が思い出せない、字面どころか意味すら思い出せない、何のことだったか……。また夢が半睡状態に移ったらしく、起きたら辞典を調べてみよう、と思いながら、布団のぬくもりの中でぐずぐずしていた。
今度は起床しても覚えていた。さっそく辞典を引く。
「こめびつ」は、「米櫃」で正解だった。
「へっつい」は、21画もあるややこしい漢字で、「竈」と書き、「かまど」のこと。私は少年時代から街中で育ち、煮炊きはストーブだったから家に「かまど」はなかった。
なんでこんな夢をみたのだろう。漢字検定1級にトライしていたころの記憶の断片が出てきたのか? 待てよ、「米櫃」も「竈」もかつては人間が生きていくため必死になって確保してきたもの、いまは有り余るほどの食べ物が容易に手に入り、飽食暖衣な生活に慣れきっているではないか、これは……?
夢に意味なんかないのかもしれないが、つい考えてしまった。 2022/3/26
●差出人名のない年賀状
高齢につき本年を最後に年賀欠礼したい、という人がぼつぼつ現れ始めた。実際いつもくる人が書きもらして出したつもりでいたり(翌年はくる)、同じ人から2枚も来たり、80代に入るといろいろな間違いが起きてくるようだ。自分もそういううっかりミスをしないよう、宛て名リストをしっかり点検して出すようにしている。
今年は珍しいことに差出人名のない年賀状が1通あった。首振り寅のシャレた絵が入っているが、自分で描いたのではなく図案集から拝借したらしいし、文面に「八十郎でまだ現役です」とあるがパソコンの字体だし、宛て名もパソコンの毛筆体。少しでも手書きがあれば筆跡鑑定ができるが、それは不可。また年賀状は消印がないから、どこの地域からきたかもわからない。
私はこのごろ、前年喪中の人にはとりあえず出さず、きた場合に出すようにしている。それを機に枚数を減らしていく考えからだ。で、この1通、たぶんそうした関係だろうと、宛て名リストで今年届いた年賀状をすべてチェックしてみたら……、高校時代の同級生で、前年身内に不幸があって欠礼したTのように思えた。前年の喪中欠礼はがきの宛て名をみると、ぴたり同じ字体だった。
そこで、この年賀状を写真に撮り、メールに添付して「この年賀状は君のですか?」と送信したら、翌日、電話がきた。やはり彼だった。
「女房にチェックさせたんだがもらしやがったな」とひとのせいにしている。さらに「(私から)年賀状が来ないので、いよいよ体調不良で年賀状も書けなくなったか、と思っていた」などとほざく始末。まあ、減らず口が叩けるだけ元気なようで、一件落着。
私も今年82歳になる。つくづく「人のふり見て我がふり直せ」と思った。 2022/1/1
●スマホを持つ
スマホは要らない、パソコンはやるがスマホは持たない、と言い張ってきた。だいたい必要がない。用もないのに「なにしてるの」「なにもしてないよ」なんてなことを四六時中やりとりするのは公共の電波のムダ遣い、子供はゲームばっかりで目も脳もオカしくなってるんじゃないか……と。
ところが80歳を過ぎ、このたび体調不良で入院した。私の病院の公衆電話からの連絡だけでは状況がつかめない、と妻がヤキモキしたらしく、退院してきたら新しいスマホが用意されていた。いまやワクチン接種の予約までスマホで行なうのよ、現代人必携だわ、と強制され、仕方なしに操作を覚えることに。まあ、妻の指導もあり、本気にならなくても1週間ほどで必要な機能はマスターした。
文字入力が面倒くさい。パソコンのキーボードは見なくてもタッチタイピングができるが、こいつはいちいち文字盤を見なければならない。音声入力という便利な手もあるが変換能力はパソコンに比べたら相当低い、これは追々スマホ自体が学習していくらしいが。私は外出と同様、不要不急には使う気はないので、予め用件のポイントをメモ帳に書いておき、転送という方法があることも知った。
便利だと思ったのはカメラ機能。最近、木彫の猫を戸外で四季折々の風景の中に置いて撮りたいと思っているので、よく電池が切れるデジカメよりはるかに使い勝手がいい。まずは9月のHPインデックス画像を、マンション中庭の樹木を背景に写してみた。室内で撮った画像はあるが、鼻にテントウ虫が止まって寄り目になった猫だから、戸外で撮るのが自然だろうと思ったのだ。
また娘宅の飼い猫にポーズをつけて撮ってもらうとき、文章とラフな下絵をサーッと送れるのもいい。ただ猫がそのようなポーズをただちにとってくれるとは限らないが、微妙なバリエーションを簡単に指示できる。自分が必要とする機能はすぐ慣れて、使いこなすことができそうだ。2021/9/1
●気になった好意
年をとってくると、薬の処方や検査などで複数の病院通いを余儀なくされる。コロナ蔓延のニュースは毎日のことなので、地下鉄に乗車するときも院内を歩くときも気を遣う。
定期検査があって、某病院に出掛けた。その日、検査や処置が重なったので(同日に済ませるよう医師が配慮してくれた)、1日で終えることができるのはいいのだが、検査の間合いが1時間おきなので、診療室前の待合はけっこう“密”だから、アメニティホールとかいう広いドーム状の空間に行って時間待ちをした。ここは食事ができるテーブルと椅子が一定間隔に多くあり、また何本かある太い柱の周囲はソファのようになっていて、他人と離れて座を占めることができる。
4~5歳の子が「あっ」とか「あーっ」とか大声を出していた。ドーム状の天井に自分の声が反響するのを面白がっているようだ。うるさいというよりむしろ微笑を誘った。ところが退屈になってきたらしくて、ホールの入口辺りに行って、何が不満かわからないがグズリだした。足踏みまでして泣き出した。離れたテーブルに母親らしい人と祖母らしい人がいて、遠くから諫めるがいうことをきかない。躾けを厳しくしているのか、反抗期でいつものことなのか、二人とも立ってなだめに行く気はないようだ。
すると、近くのテーブルにいた二人の女性のうちの一人が、両手を広げてその男の子を呼んだ。男の子の母親や祖母とは面識がないようである。男の子は少し戸惑ったが、けっきょくその見知らぬ女性のところに行き、抱っこされた。女性は手で男の子の涙を拭い、何やら優しく言ってなだめている。男の子は機嫌が直ったようだ。母親と祖母は女性に頭を下げている。
通常なら微笑ましい光景ということになるのかもしれない。しかし、コロナ禍の真っ只中、みんなマスクをしているし、どのテーブルにも透明の遮断パネルが立ててある。こんなことでいいのだろうか。そんなことをすべきでない、と私に注意する気まではない、傍観していただけだが。
男の子は母親と祖母のもとに戻り、それからしばらくして母親にうながされて、先ほど抱っこしてくれた女性にバイバイをして帰って行った。どうにも不安の残る光景であった。2020/11/5
●気になる言葉「……可能性がある」?
何を指して言ったときだったか忘れたが、テレビのニュースでアナウンサーがよくない出来事の要因について「……の可能性がある」と言った。抽象的で何を言っているかわからないかもしれないから、強いて例をあげれば「逃亡の可能性がある」というような場合、こんな使いかたはおかしい。これは「逃亡のおそれがある」というべきだろう。
こんな違和感を覚えたことが2度ほどあって、「……可能性がある」は、私の耳には気になる言葉になっていた。
先日、清水義範の『日本語の乱れ』を読んでいたら、同じような事例が出てきた。以下に引用する。
「ニュースで、『誘拐された可能性もあり……』ということを言っていたが、可能性とは、それが可能だという度合いのことで、うまくいく率、ということだ。だから悪いことを予想した時に可能性というのは変だ。誘拐されたのかもしれない時は、そのおそれもあり、であろう」
わが意を得たりと思ったが、この本は20年も前に発刊されており、つまりTVのアナウンサーは20年も前から、いまだに誤用を平気でやっているということになる。
またあった。天気予報を見ていたら「午後は雪が降り、空の便に影響が出る可能性があります」と。これだって、おかしいだろう。「影響が出るおそれがあります」でないのか。
……でもなあ、と考えた。たとえば「低気圧の接近で大雪が降るおそれがあります」というのは正しい使い方とは思うが、今冬は記録的な降雪量の少なさでスキー場が開設できないとか、雪まつりの雪像つくりにあちこちから雪をトラックで運んで集めているとか聞くので、この場合、「大雪が降る可能性が高い」と言われたほうが、北海道に住む者の気持ちに添う使い方のように思えてきたが、どうしたものだろう。わけがわからなくなってきた。2020/1/15
●カラスに認められた?
夏はベランダに出て木彫作業をやる。私の住むマンションは2階で、眼下に、道路を挟んで一戸建ちの住宅が並んでいる。ちょうど真向かいの家の電線の引き込み個所に、ときどきカラスが来て止まっているのを見かけることがある。昨日のこと、いつもの引き込み線に止まったカラスがウンコをした。ちょうど真下に停めてあった自家用車のボンネットに落ちて、汚れたのがはっきり見えた。こいつめ! 面識もない他人の家のことだが、なんだか放っておけない気になった。
そのとき、私はチーターを彫っていたのだが、部屋から製作途中のワシミミズクを持ち出して、カラスに見せるように向けたら、奴はちょっと怯えたように屋根の上に移動した。さらにワシミミズクを揺らして、今にもそっちへ飛ばすぞという振りをしたら、後ずさりして屋根の向こうの傾斜に移動し、頭だけ出してこっちを見ている。もっとワシミミズクを振り上げるようにしたら、一気に飛んで空の彼方に姿を消した。一部始終を妻も見ていて笑った。「本物に見えたのかしら?」
このワシミミズクは、いま彩色の途中で、正面の色付けはほぼ終えている段階。ガラスアイを入れニラミの利いた顔立ちになっている。カラスとワシミミズクの上下関係を知らないが、とにかくあのカラスの動作はこのワシミミズクを見て、明らかに怯えて去ったと思える。「どうだ、おれの木彫技術が野鳥の目で実証されたぞ」と妻に自慢した。2019/8/22
●高齢者向き? ジャズ・トロンボーン
トランペットに似たマウスで吹くトロンボーンという楽器、いままであまり聴いたことがなかったのだけれど、ちょいと聴いてみたらこれがなかなかの味わい。力を込めて吹けばバーンと凄い迫力だし、スライド移動のせいなのかモタモタした感じがなんともユーモラス、このたゆたうような緩い感じはトランペットでは出せない音色だ。
あの長いスライドを伸縮させて音階を決めるのだから、近い音ならともかく、音階の離れた音なら、それも短いパッセージを連続して出すときなんか、スライド移動に腕を素早く前後させなければならないから難しいだろうな、とは想像がつく。想像はつくものの、実際の演奏を聴いていて、どこが容易でどこが難しいか、素人にはさっぱりわからない。
J.J.ジョンソンは完璧なテクニックといわれるが、どの当たりが凄いのかやはりわからない。ただジャズとして面白いかどうかだけの感覚で聴いている。そして興趣があって面白い。もう一人有名なカーティス・フラー、「Five Spot After Dark」のハモるところは何べん聴いても気持ちいい、ソロも黄昏どきのブルーな感覚がたまらない。技巧を比較して聴く気はまったくないので、どっちが上手いとか下手とかはどうでもいい、むしろモタモタしてくれたほうが楽しい。私が多く聴くのは後者のほうだ。いろいろ聴いていたら、もっと古い時代に活躍したベニー・グリーン(現在活躍中のピアニストと同名)という人がいた。この人の緩くてほのぼのした音色もたまらなくいいなあ。
老いて、だんだん“ゆるキャラ”化してきた身には、トロンボーンの味わいがぴったり。テレビ、パソコン、読書で目がしょぼついてきたら、目をつぶってトロンボーンのゆるゆる、もたもたに浸っている。2019/4/10
●電話の水音
今朝、起床したとたん電話が鳴った。受話器をとると水が流れているような、あるいは波のような音、「もしもし」と問いかけても声はなく水音が聞こえるばかり。
だれか水難にあって助けを求めているのだろうか? 一昨日、震度5弱の地震があったばかりなので一瞬、そんな気にもなったが、相手がだれかわからないので、悪戯電話かもしれないとも思い、一旦切って電話番号を確認してみた。「090-」に始まるので、携帯からだ。私家版電話番号簿(よくかける親戚・知人・生活関連の電話番号抽出リスト)をチェックしてみたが、初めてみる番号、つまり知らない人からだった。
ネット検索で調べてみたら、どうも通話回線の接続がうまくいかなかった時にそういう状態になるらしい(なかには生き霊からかかってきたものというアホらしい説もあったが)。それにしても、あのとき、間違いなく私のところにダイヤルした見知らぬ人がいたことは確かだ。で、間違い電話の接続がうまくいかなかった状態、と思うことにした。
正高信男著『ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊 』を読んで以来、同感して私は携帯電話を持っていないし、必要性も感じない。ケータイ~スマホと過剰な便利さを追う社会現象を苦々しく思っている、臍曲がりの老人である。2019/2/23
●真夜中の震度5~ブラックアウト
何か、とてつもない音響と震動で目が覚めた。暗闇のなか手さぐりで寝室を飛び出し、リビングの照明のスイッチを押したが点灯しない。揺れはいつ果てるともわからないほど続くように感じたが、間もなく収まった。テレビは点かない。カーテンを開けると街中が停電のようだ。これまでに体験した地震とは違うレベルと感じた。
押入れからカセットコーダーを出してみたが、単1の電池を6本使う古いもの、電池はない。無音の暗闇で何の情報も得られない。妻のスマホに入ってくる娘たちのメールで、家族に被害はないとわかり、ひとまず安心。
電気がこないと何も知ることができないし、何もすることができない。夜が明けると自転車に乗って、街なかに出てみた。麻生周辺は道路や建物の被害はないようだ。だが、普段見かけないほど人が大勢出て歩いている。ツルハとケーズデンキの前はすごい行列。セブン-イレブンは行列がないと思ったら、暗い店内に大勢のひとが右往左往している。皆いち早く、食料と電池の確保に行動していたのだ。
号外のような夕刊がきて、少しずつ状況がわかってきた。震源地の厚真町はなんと震度7、山崩れで住宅が倒壊し、死者も出ている。私の住む札幌市北区は震度5。ここに住んで17年目だが、これほどの強震は初めてだった。さらに驚いたのは、停電が道内全戸にわたっていて、復旧に1週間くらいかかりそうだということ。
娘たちからのスマホ情報では、コンビニの行列に4時間並んで、パン2個までとか制限されているところもあるとか。妻がちょうど前日に買い物をしたばかりだったので、冷蔵庫に食材が確保できている余裕の気持ちは、たちまち不安に変わった。私の住むマンションは水は出ているが、オール電化なので、煮炊きができないばかりかお湯も沸かせない。調理なしで食べられるものを計画的に少量ずつ摂ることにした。お茶(粉末茶)やインスタントコーヒーも水で溶かして飲む。
上階の住人はエレベーターが動かないから、階段を使って移動するしかない。昼間も無音のような状態なので、普段聞いたことのない昇り降りする人たちの足音が終日聞こえていた。10数階に住む人は息切れがしただろう。
幸い停電は2日間で復旧したが、電気がこないということはライフラインを断たれたに等しい。日常生活の99%が電気エネルギーの上に乗っかっている、きわめて危ういものであることを実感した。
現代文明は走り過ぎているのでないか。古い様式は時代遅れと捨て去り、最先端をよきもの、便利なものと持てはやし、それさえも修理せず使い捨て。新しいものと古いものと混在していていいのでないか、移り変わりはもっとゆっくりでいいのでないか。電力の供給も、日本は毎年大雨に悩まされるのだから、ダムをあちこちに造って水力発電所を各地に分散すれば、パニックが拡散することはなかったのでないか、と素人考えで考えてしまった。いわば今回の、天の声ならぬ地の声は、走り過ぎる文明、あるいは利潤追求一辺倒の社会のしくみ~姿勢への警告であったのかもしれない、と。
わが家としても、この2日間の反省として、まずは単3使用の携帯ラジオと、ガスボンベ使用のカセットコンロを買っておかなくてはならない。電気がつくと、またそれが当たり前になって慣れてしまう。あの不安で不便な時間を忘れる前に準備しなくては……。余震はまだ続いている。2018/9/10
●オーディオ・システム更新 700円也
MarantzのCDプレイヤーがまたまた故障した。スイッチを押してもトレイが出てこない。以前にも動かなくなって、札幌の家電修理店で直してもらったことが2回ある。なにせ24年前の発売の製品だから部品はとうになく、他の機種の部品で代用して修理してもらったのだが、「いまどきのプレイヤーと全然違います。すごくいいものですから、大事に使えばまだまだ大丈夫」といわれた。けれども3回目の故障ともなると嫌気がしてきた。歳を考えれば“断捨離”世代の真っ只中、このさい捨てることに。
しかし、まだ少々残っているような気がする余生に、ジャズだけは捨てることができない。考えたのがパソコンのWindows Media Playerで鳴らせること。ただこの場合、所有のFMV Esprimo FH52/Wのスピーカーは、仕様書がいくら高性能とうたっても物理的に口径が小さいのだから、音楽を楽しむにはほど遠い音しか出ない。で、“ヨドバシカメラ”からオーディオケーブル(3.5㎜ステレオミニプラグ→RCAピンプラグ×2)を買ってきて、いままで使っていたアンプ(Marantz MP-90)のAUXにつないだ。たちまち愛機JBLから厚みのある音量が飛び出してきて、乗りに乗れる音色に変わった。
このシステム変更の費用、ケーブル代のたった700円。苦労したのは、アンプをパソコンの近くに置かないとケーブルが届かないので、パソコンデスクと連結している最上段の棚に載せる作業だった。Marantz MP-90は重量が27kgもあるので、最近腰痛に悩まされている私としては、ぎっくり腰にならないよう充分に脚を曲げて、腰を伸ばした姿勢で、椅子の上~机の上~棚の上、と3段階に分けて慎重に持ち上げていき、やっとこ最上段に挙げ得たのだった。2018/9/5
●アート・ファーマーのフリューゲルホーンが好きになってきた
私が聴くジャズは、ほとんどピアノ・トリオなのだけれど、ピアノ・トリオ+ワン・ホーンも好きな構成だ。ワン・ホーンはサックスよりトランペットのほうが多い。マイルス・デイビスをはじめ高名なトランペッターの演奏は一通り聴いてきたが、このところアート・ファーマーにハマっている(「ファマっている」と洒落たいが、乗りすぎかな)。
ファーマーは若い頃にはバリバリのハードバッパーだったが、いつからかフリューゲルホーンを多用するようになった。私が聴きほれているのは、まさにこの柔らかい音色であり、哀調を帯びた曲であってもおおらかで毅然とし、かつ温かみを感じさせる彼の歌心だ。
トランペットの音は突出する華やかさが特色だろうが、ファーマーのフリューゲルホーンにはいぶし銀のような抑えた美しさがあるように思う。それを感じる私は、つまり老いたということか。他人と競うのは嫌になってきたし、平穏こそが幸せと感じる齢になったことと関係があるのかもしれない。
以下、愛聴盤を5枚。ジェリー・マリガンやベニー・ゴルソンとの双頭コンボの演奏はもちろんいいけれど、抒情性と格調の高い曲想を表現するには、ジム・ホールが最も相性がいいように感じられる。1964/6/6
1959 ホワット・イズ・ゼア・トゥ・セイ ジェリー・マリガンのリーダー盤
1959 ブラス・シャウト ベニー・ゴルソン編曲
1960 アート トミー・フラナガンと
1964 スウェーデンに愛をこめて ジム・ホールと
1977 クロール・スペース CTI
●秘伝 カボチャの切り方
知人がカボチャの切り方をYouTubeにアップロードした。日ごろ、男子厨房に入らず-というような謹厳な表情(それってどんな顔と問われても具体的に説明できないけれど)の彼と、カボチャのイメージとはまるで結びつかないのだが、動画はもちろん顔ではなく手先しか写っていないし、それが実に手際よく、スムーズに切ってみせている。こんな名人とは知らなかった。
カボチャが硬いのは皮の部分だけなので、最初にヘタをえぐり取って、包丁の切っ先を内部に差し込み、前後に揺らし、回しながら皮を切り下ろしていくのがコツらしい(こんな説明を読むより、動画を見たほうが早いね)。
YouTubeの「力のいらないカボチャの切り方」をご覧あれ、果物ナイフを使う1分33秒の動画がそれだ。カボチャを切るのがうまくいかない人、まだ冬至のカボチャを切っていない人、とくに力の弱い女性の方、一見の価値ありです。2017/12/18
●マイルスは50年代がいい!
私の好きだったマイルス・デイビスは1950年代。音盤はほとんどLPで持っているが、その後追加して買ったCD、最近YouTubeで得たMP4などで、年代順に聴き直してみた。新しく発見したものはなかった。好みの演奏は年を経ても変わらず、若いころいいと思ったものが今でもいいと感じた。聴く耳が進歩していないからだ、と言われればそれまでだけれど。
1954 バグス・グルーヴ
1955 ラウンド・アバウト・ミッドナイト
1956 ワーキン
1956 リラクシン
1956 クッキン
1957 死刑台のエレベーター
1958 サムシン・エルス
トリオ+ワン・ホーンくらいが私の“わかる”範囲で、楽器の音色がはっきり明快で、奏者の歌心が肉声のように聞こえるのがいい。いくら評論家が褒めようと気に入らないものは気に入らない。音楽理論なんか知らないし、自分のハートにジンとくるかどうかでしかない。 2017/10/20
●老妻の“初優勝”に刺激されて
10月1日に開かれた全道女流囲碁選手権(北海道新聞社主催)で妻が初優勝した。男子の全道囲碁選手権は高校生の17歳が、女子はわが老妻70歳が頂点の座を占めたので、その対比に話題性があったのか、翌日の朝刊には3紙面に記事が出た。で、いつもは静かな老人宅に、祝福の電話が何度も鳴り響いた。
最初、妻に囲碁を教えたのは私である。勤めを持っていたころ、机を並べていた隣の同僚がなかなかの強豪で、昼休みになると碁を打つのが日課だった。他の同僚も周囲を取り囲み、傍目八目でささめを入れる、昼食後の恒例行事のようだった。職場の大会でトロフィーを得たこともあるが、負けると悔しくてしょうがない、あのときあそこに打てば、といつまでも後を引く。自分が情けなくて寝られなくなる……。
勝負事は身体によくない、平穏に暮らしたい自分には向いていない、と思った。それで人事異動で職場が変わってからすっぱり止めた。その代り、子供のころから好きだった読書に専念するようになった。これは腹が立たないし、本さえ開けば、どんな世界にも行け、どんな人にもなることができる。想像の翼を広げるほうが世界が広く、深いと思うようになった。
妻の碁は公民館の初心者講座に通ったのが始まりで、習い始めは面白くてしょうがないらしく相手を求めてくる。私は碁に興味を失っていたが、やむなくテレビを見ながら適当に石を並べて見くびっていたら、不思議にもめきめき腕を上げてきた。そのうちテレビを消して真剣に向うようになり、いつか真剣に向っても負けてしまうようになった。やる気がなくても負けると腹が立つ。負けばかり続いて相手をするのが嫌になり、私は書斎に引きこもって読書に耽るようになった。それが自ら小説やエッセイを書く行為に繋がっていった。
高名な漫談家の言葉ではないが、あれから40年、妻は飽かず碁を打ち続けた。勝負だから勝ちもするが負けもする。そういうとき耐えられなくなる気持ちをどうやって克服しているのか。夫婦も長年経つと空気のような存在になって、このごろは深い会話を交わしたこともない。道新の記者の問いに「70歳になってやっと優勝できた。うれしいよりも恥ずかしい」と答えている。これまで切れることなく精進してきた姿勢には、わが妻ながら感心せざるを得ない。
執筆活動から身を引いた私の、現在の興味は木彫である。ところが70代後半に到って、ここ2年ほど納得できる作品ができていない。彫り慣れた材料の入手が困難になり(クルマを廃車したことからなおさら)、技術的に高度なものを求めても大型工具や機械が使える環境にないこともあって、しだいに創作意欲を喪失。時代の流れと自分の力量に限界を感じ、もはや潮時と北海道美術作家協会を退会してしまった。
今回、妻の快挙によって、何か感じるものがあった。木彫を遊び半分の時間潰しとして彫るのでは面白くない。自分の限界を極める域までまだ到っていない、己の存在証明としての作品を生み出す起死回生の手立てはないか。老いという諦めを振り払って、もっとあがいてみよう、と。2017/10/5
●世界の国旗当てゲームも
国名当てゲームを完全制覇したら、国旗当てゲームに手(マウスというべきか)をのばした。地図上の国の位置がわかっているので、あすこの国がこの国旗、と覚え方に少しばかり根拠があるせいか、スイスイ進んだ。
少し混乱したのは赤・黄・青・緑などの横帯~縦帯3色の国旗、どの配列がどこの国やら迷わされた。ほとんど同じデザインの国も複数ある。太陽を模した国は多い、単なる円形でなく光芒まで描いたり、目鼻をつけて顔にしている国もある。日の丸は、先の戦争のイメージから引きずっている問題を別にして、単なるデザインとして見れば、シンプルで他に類を見ない出来栄えではないだろうか。
鷲を描いたものがけっこう多い、やはり強いもの志向か。十字はキリスト教、三日月と星の並ぶマークはイスラム教の国、王冠が描かれているのは王制の国。山や海、特産物までリアルに描いた旗もある。刀や槍、銃や大砲も見られ、赤い色は流された国民の血を象徴している国もある。国旗から、いまだに世界中で紛争が絶えない現実が見える。
国旗というものは不変と思っていたのが、近年変更した国もあった。国も動いている、体制が変われば国旗も変わって当然なのだ。このストアの“World Quiz -世界の国々”ゲームはいつ作成されたのかわからないが、設問に旧国旗を4か国も掲げている。
頭の体操のつもりで、ちょっとした時間に遊んできたのが、いつの間にか世界中の国旗を記憶した。テレビや新聞の世界ニュースや、スポーツの国際大会の場面が身近に感じられる。2017/9/1
●解きあかされた『大菩薩峠』の謎
中里介山作『大菩薩峠』は、①長過ぎ(トルストイの大作「戦争と平和」より長い)、②文章がまだるっこしい(まるで講談調)、③登場人物とストーリー展開の辻褄が合わなさ過ぎる(仇討ち物語のはずが、登場人物がだんだん増えてきて主人公が誰かわからなくなり、収拾がつかなくなる)……。だから、おそらくお終いまで読んだ人は少ないのでなかろうか。
私は青空文庫で、筑摩書房版を、耐えがたきを耐えて一応全巻読んだ。読み始めると異様な緊張感が張りつめ、どきどきするほど面白いのに、どうにも不明瞭な個所が多すぎ、魅力はあるが困惑させられる小説という印象だった。このたび、伊東祐吏『「大菩薩峠」を都新聞で読む』を読んで、その謎が解けた。
なんと、都新聞に連載中は構成はきちんとできていたのを、単行本にするさい作者自身が30%も削除し、残した文章も推敲したのは冒頭部分くらいで、ほとんど削除しただけの形で出版した……不明瞭さはそのせいだとわかった。当時、介山は新聞社の一社員で、まだ有名になる前だったので、そういう縮少の条件を余儀なくされたらしい。
それにしても、未完の大作として何度も全集本が発刊され、文庫化までされているのに、また評論、研究書も多く刊行されているのに、この穴だらけの削除版を完全版と思い込んでいたとは。なぜいままで、最初の都新聞の掲載文に当たってみることをしなかったのか、出版社も研究者も一体なにをやっていたのだろうか。
明らかになった部分は多々あるが、たとえば冒頭の、御岳神社の奉納試合で対戦することになった宇津木文之丞の妻お浜が、妹と偽って机龍之助に面会し、勝ちを譲ってほしいと懇願する件。龍之助は「勝負は女の操と同じこと、勝負を譲るは武道の道に欠けたること」ときっぱり断り、その上で卑劣にも下男に命じてお浜を拉致させ、水車小屋で手込めにし、さらに試合で文之丞を一撃で殺してしまう。すべて龍之助の所業のように解釈されてきた。映画もそのようなストーリーになっている。
しかし新聞掲載文では、水車小屋に若先生を探し回っている門下生の騒がしい声(机家に七兵衛が泥棒に入った)が聞こえ、龍之助に悪さをする暇はなく、お浜の縄を解き、女の操と例えたことについて「お山の太鼓(試合開始)が朝風に響くときまでにこの謎を解けまいものか」と言って立ち去る。つまりこの段階では手込めにしてはいないのだ。そして翌日、お山に向う龍之助にお浜の手紙が届けられ「強き男は世にも憎らしけれど、優れて頼もしきものを、今日の試合に勝ち給え」とあり、お浜は明らかに変心し、夫文之丞を見限って龍之助を誘惑している。魔性の女の一面を描く、この部分が無造作にカットされていた。
伊東氏がまるで虫眼鏡で確認するように照合作業をやってくれたことで、辻褄の合わないところが明らかになった。すでに氏の校訂による『大菩薩峠 都新聞版』(全9巻/論創社)が刊行されている。井川洗崖[♯山かんむりなし]の挿絵も入っていて、オールドファンには懐かしい読み物かもしれない。ただし、講談調の文体と、登場人物がどんどん増えて、主人公が誰やら判らなくなる展開は変わらないと思うが。2017/8/20
●ダジャレ人類愛?
きょう、駅前通りを歩いていて大通り公園を横切ろうとしたら、道端にダンボールのプラカードを掲げた青年が立っていた。通り過ぎるとき見ると「8/9 ハグしませんか」と書いてある。思わず、笑い転げそうになった。青年は、どうみてもハグしたくなるようなタイプではなかったからだ(これは、あくまで私の個人的な印象です)。
こんな親父ギャクを掲げて、小雨もよいの蒸し暑い日に、ずーっと立ち続けているなんて、つまらないダジャレで笑いを誘うのか、都市砂漠の人類愛の実践か、迷うところだけれど、その勇気ある行動には拍手をおくりたい。札幌もまんざら捨てたものではない。
でもなあ、外国人ならなかには陽気な物好きがいるかもしれないが、日本人はなかなかその気にならないだろうな。本日限定ギャグだ。道行く人に、彼の意図は伝わったのか、結果は出たのか? 2017/8/9
●暑さしのぎに国当てゲーム
暑い日が続き、何もしたくない気分。体を動かすと汗をかくので、頭だけ使うことに。ストアから無料インストールしたゲーム“World Quiz”(世界の国々)。これなら指先をクリックするだけでいい。
設問は、地図に着色された部分の国名を4題から択一する。日本の属するアジア諸国なら全問正解できるかも、と意気込んでやってみたが、中近東やNIS(ソ連崩壊後独立した国)も含まれていて、そう簡単にはいかなかった。何度も繰り返して、やっと全47か国をクリア!
面白くなってきて、ヨーロッパ・アメリカ・アフリカ・オセアニア……と続けて挑む。クリアできるとちょっとした達成感がある。ゲームの国数は全部で195か国。いったい地球上にはどれほどの国があるのか、外務省のホームページでは196となっている。これは日本が承認している195か国に日本を加えた数ということだ。
ヨーロッパには語尾が「ア」で終わる国名が多い。エストニア・ラトビア・リトアニア・オーストリア・スロバキア・ルーマニア・スロベニア・クロアチア・セルビア・ブルガリア・マケドニア・アルバニア。カスピ海以東には「スタン」のつく国々が並ぶ。カザフスタン・ウズベキスタン・トルクメニスタン・タジキスタン・キルギスタン(これは旧称)・アフガニスタン・パキスタン。それぞれ謂われがあるのだろうが、全問クリアに向って挑戦中なので、横道に逸れていられない。
いま難問なのは、アフリカ大陸の国々があまり馴染みがないことと、南太平洋や中米の海に浮かぶ島嶼諸国がほとんど未知の領域で、しょっちゅう間違える。暑さしのぎのはずが、しだいに頭が熱くなってきた……。2017/7/22
ようやく、このゲームの195か国をすべてクリアした。札幌が猛暑に襲われたのは12日だったかな。このゲームを始めたのはそのころだから、2週間かかって、ほぼパーフェクトに到った。若い頃のように一発で覚えることはできないにせよ、繰り返しトライすれば、“たそがれ脳”もまだ使えるようだ。
何度も間違えるところは、漢字当てやダジャレ式の記憶法を試みた。聞いたこともないカタカナの国名も、表意文字(漢字)を当てることで連想できるし、ダジャレは変な発想ほど記憶に残る。
たとえば「スタン」の付く国は、傘フスタン・渦ベキスタン・取るクメニスタン・多事キスタン・切るギスタンという具合。
いつまでも覚えられなかったモルドバは「盛る土場」、ベラルーシは「ベラベラおしゃべりなルーシー」と女性に見立てた(これは擬人法というべきか)。
アドリア海に面する国々では、形から、クロアチアが口を開け、その口に食べられているボスニア=ヘルツェゴビナ。中腰で立っている「セルビアの理髪師」の手の下に「持ってネグロ(モンテネグロ)」、お腹の辺りが「こそばしい」コソボ、足で踏んづけている「負けドニア」。
ペルシャ湾の小国も「食えと(クウェート)」「馬連(バーレーン)」「語る(カタール)」。
それと、国名を言葉として口で発音してみること。とくに馴染みがなかったアフリカのシマラレオネ、ブルキナファソ、カーボ・ヴェルデ、サントメ・プリンシペ。カリブ海のセントクリストファー・ネイビス、アンティグア・バーブーダ、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、なんて長すぎるけれど、何度も声に出していると耳にも馴染んでくる。
テレビを見ていて、いままで聞き流していた国の名が耳にとまるようになった。ニュースやトピックスの起きた国、野球選手~力士の出身国、サッカーやラクビーの対戦国などなど。付け焼き刃の知識でも、見聞きする世界が広がったように思える。2017/7/27
●本は寝ころんで
毎年、1年間に本を100冊ほど読む。平均すると月に7~8冊ていど。
私の場合、本はたいてい仰向けに寝ころんで読む。著者には申しわけないが腰痛防護のために最も楽な姿勢をとらせてもらう。この場合、文庫本や新書版、単行本などはいいが、全集本なんかの大きい本、重たい本は手がだるくなるので床に置いて、うつ伏せになって読むことになる。この姿勢はどうも腰痛に最もよくない形らしいのだけれど。
読むといっても最初から最後まで全ページを読む本ばかりとは限らない。画集や写真集は見る本だし、ノウハウ本や参考書の類なんかは大事な部分の拾い読みということもある。だから“読んだ”といえそうなのは小説やエッセイ、評論の類で、それだって流し読み、斜め読み、飛ばし読みなど、自己流の速読術で端折ってしまうことが多い。きっちり“精読”するのは、よほど気に入った本との出会いがあったときで、滅多にあるわけではない。しかし、それを求めていることは確か。
面白い本は面白さに引かれて一気に読んでしまうため、付き合う時間が短い。反面、面白くない本はなかなか読み進まず、ときには眠気を催してしまって、けっきょく付き合いが長くなる。なんか矛盾した気持ち……。とくに70代後半に入ってから、睡魔に襲われる回数が増えてきたようだ。これは私の読む体勢に起因しているかとも思われ、本のせいではないと著者に叱られそうでもある。
あと数日で年が暮れるが、今年はそんなことで100冊に達しなさそうな状況だ。しかし、読書の楽しみは冊数ではなく、面白がることであり、感銘を受けることであり、そして自身にパラダイムの転換が生じたら最高である。2016/12/27
●スローな仕事
このごろ、木彫作品が完成するまで、時間がかかるようになった。
いままで一つ仕上げてから次作に進むというやり方で進めてきた。大体、1~2か月に1作というペースだった。それがこのごろ、どうもその期間内に完成させられなくなっている。制作途中でこのあとどうするか、決断するのに時間がかかるようになった。数年前までは頭にイメージがまとまっていなくても、彫っていればできちゃうという感じだったのに……。
これが老いという現象か。年賀状の添え書きに、そろそろスローライフに切り換えます、なんぞと書いていたのだが、言葉だけで自覚はなかった。それがフェードインするようにゆっくり現われてきた。私は、来年喜寿を迎える。
先日、横尾忠則さんのテレビ番組を見た。80歳になったというポップアートな画家のアトリエには、描きかけの絵が何点も並んでいた。カメラが入っているのに、ぐずぐず画集をめくったり、ぼんやりしていたり、そのうちに散歩に出かけた。なかなか仕事をしない、まるで急ぐ風がない。
翌日、やっと描き始めたが、いくらもしないうちに止めてしまった。で、最初からこのように描こうと思ったのか、との問いに、黒いバックにしようと思っていたが、絵の具を選んでいるうちに忘れて焦茶色になったと言ったのには、笑ってしまった。でも、これもいいのでないかと思う、という。もちろん、まだ途中経過、未完成の状態だ。未完成の作品を放っておき、時間をおいて、その絵ともう一度出会うと、新鮮に見えることもあるらしい。どうも、放っておくことも大事なことらしい。
画家は今後どこに向うのか、インタビューに答えていた。
「肉体は退化するかもしれないが、創作意欲は退化しない」
「いい絵が描けないから引退しますとはいわない、いい絵が描けない状態を体験したい」
「体力も衰えてくるし作品も劣ってくる、そういう作品をみたい。頑張って描いた作品は重苦しい。作品に力がなくなってくるのは精神が軽くなっているのでは……」
そのうち、猫の話になった。
(愛猫が2年前に亡くなったそうで、会いたいときに猫の絵を描くという。アトリエに猫の絵が何枚もあった)
「猫はアーチストの鏡だ。わがまま、気まま、妥協しない。どんな場合でも虎視眈々と遊ぶことを考えている」
「猫の性質はアーチストが持っていなければならない性格だ。ぼくの先生でもある」
「創作の原点は遊びにつながる。大義名分のためでなく、描くことが目的なんだ」
そうだ、猫を彫っているのに気づかなかった。私が猫のようになればいいのだ。ジャレること、遊ぶこと。いつまでにやらなければならないなんてことはないのだから、3か月かかろうが半年かかろうがなんら支障があるわけではない、要するに面白がっていればいいのだ。面白くないなら放っておいて、面白くなるまで待っていよう。スローライフのあり方を見つけた。
横尾さんの言葉に力づけられた、いや違う、力を抜いてもらった、と言ったほうが正しい。なんか体も気持ちも軽くなった。2016/12/20
●体操だらけ
このごろのテレビ番組は、ずいぶん健康に関するものが多くなった。腰痛・肩凝り・腸内フローラ・ダイエット等々、毎日のようにある。高齢化社会~メタボ症候群が大勢を占める視聴者の、ニーズに応えた番組づくりをしているということか。
自身の体調で思い当たるものはつい見てしまう。すると決まって、取り上げた病症の名医先生が登場してきて、1週間で治る体操とか3週間で根治した体操とかをゲストに指導する。
見ている私もつい立ちあがって、一緒に真似て見る。ほんの少し真似ただけでなんとなく効いた気がするし、治りかけてきたような気にさせられるから不思議なものだ。
しかし、こんなに次々に番組を見ていたら、あの体操もこの体操もと毎日何種類もの体操が日課になって、全部やっていたら体操だけで一日を費やしてしまいそうだ。けっきょく、やってられないなあ、ってことに……。
まあ、それほどにもあちこちガタがきているということか。2016/11/4
●スパシーボ
水曜日は木彫“温故の会”の例会日。道民活動センター“かでる2.7”の6F創作室が私たちの活動拠点だが、しのぎやすい気温になってきたので、このごろは部屋のドアを開けたまま作業をしている。
中を覗けるから廊下を通る人がたまには来客になることがある。先日は珍しく“ロシア人”が来訪した。
歳の頃30~40代にみえる女性で、顔を出すと同時に何やら言葉を発した。ロシア語のようだ。しかし顔立ちはどうみても日本人、体型も小柄だ。まず私の彫っていた猫に目を止め、「オオ」と感嘆めいた声をあげて近づいてきた。
日本語が多少はできそう、隣の部屋で開かれる日本語講座を学びにきたらしい。片言まじりに話していると、両親とも日本人で、女性はサハリンからやってきて、いまは札幌に住んでいるという、いわば同胞だった。それからしばらく一問一答が続いた。
私は若いころ、ロシア文学に夢中になった時期があったので、ドストェフスキーとかトルストイとかチェーホフとか、知っている文豪の名前を言って、正しいロシア語の発音を聞いた。どれも私のカタカナ語とはかなり違う。「チェーホフはサハリンにきたことがある」とか「横綱・大鵬はサハリン出身だった」とか、知っている話を思いつくままにいうと、いちいち大きな声とゼスチュアでうなずいた。
I会員(わが会の紅一点、といっても姥桜)がお茶を出すと「スパシーボ」と言った。これはどこかで聞いたことがある。映画「罪と罰」だったか「戦争と平和」だったか……。私の知っているロシア語といえば「ダー(はい)」「ニェ(いいえ)」くらいなので、そのことを確認した。
間もなく講座が始まるらしく、彼女は室内を回り、会員の一人一人に握手をして、さようなら、と推定される言葉を言った。耳が遠くて、いつも一心不乱に彫っているO会員は、突然、手を差し出されて面食らったが、彼女の笑顔を見て応じた。
国境という壁が彼女の人生に少なからず影響を与えたに違いないと思ってみたが、そんな疑問も暗さも感じさせない、明朗快活な感じの人だった。そうだ、片言会話のなかで、猫はロシア語でなんというか聞いてみたのだった。「コスカ」か「コッカ」に近いような発音だったと思う。
戸を開けておくと、いろいろな人がきてくれる。木彫に関心がある人も数人来訪しているが、入会して一緒にに彫りたいという人がまだいないのが残念。2016/6/18
●母校“北手宮小学校”が閉校に
“さっぽろ雪まつり”のルーツとされる小樽の北手宮小学校が、この3月で閉校になるそうだ。
私は小樽生まれで、9歳までこの街で過ごしたのだが、昭和22年4月、1年生の新入学はこの北手宮小学校だった。ただこの学校に通ったのはほんの少しの間で、その後すぐ手宮小学校に通うことになった。
古い通知戔を見ると、1学期から手宮小学校のものなので、1学期の途中に学区の変更があったのだろうと思って、北手宮小学校のWebサイトで沿革をみると、なんと、
22年5月1日 廃校式挙行(新学区制により北山中学校に校舎転換)
と記されているから、4月にこの小学校に入学した新入生はわずか1カ月で転校させられたことになる。
当時、私の家は梅ケ枝町7番地だったので、裏山の頂きにある北手宮小学校には急な坂道を何度も曲がって登っていかなければならなかった。
記憶に残っているのは運動会だ。5月に廃校式を控えて忙しい時期、果して4月に運動会を開催しただろうかと、いま思えば疑念も湧くが、私にとって初体験の運動会はこの北手宮小学校の記憶で、スタートラインに並んだところから(グラウンドのフィールドでなくトラックだった)必死に走った体感まで明瞭に覚えている。これは思い違いとは思えない。
また脈絡もなく断片的ながら、体育館の壁に、今では見かけなくなった肋木(等間隔に横棒が並んでいて、ぶらさがったりよじ登ったりして体を鍛える)があったことを、いま不意に思い出した。
その後、転校させられた手宮小学校は海側の山の上にあり、小樽港が見下ろせた。この小学校も3年生のとき、こんどは家庭の事情で道北の士別に移り住むことになり、この内陸の地方都市で人生の大半を過ごすことになる。
北手宮小学校は、雪まつりのルーツとして有名なのらしい。昭和10年に校長の発案で第1回雪まつりを開催、七福神の布袋様の大雪像をつくったということだが、私が生まれる5年前の話。そして北山中学校に校舎が転換されてから12年後、再び現在地に北手宮小学校が開校され、それ以後、雪像づくりと雪まつりが同校の伝統行事になったという。
このへんのことは、遠く離れた士別にいた私には知る由もなかった。ましてや、その学校行事が“さっぽろ雪まつり”誕生のヒントになったということは、テレビや新聞を見て初めて知ったことであった。
通知戔に記録もなし、したがって証拠は何もない。わずか1カ月足らずの北手宮小学校旧校舎最後の通学は、私の頭の中の幻のような記憶だけだ。いや、同じ体験をした当時のクラスメートの記憶の中にもあるはずである。2016/3/23
●点眼タイム
白内障の手術後1年ほど経つが、目薬を毎日、朝晩2回さす。いつまで続けるべきなのかわからないが、目を使うことが趣味の私にとって、目はとても大切なので、医師の処方を忠実に守っている。
点眼の正しいやり方は、薬をさしたあと瞬きをせず、1分くらい目を閉じていなさい、とリーフレットに書いてあった。ところが目をつぶると、当然ながら時計を見ることができない。まあ自分で60まで数えればいいわけだが、毎回この計測法では、どうも味気ない。
思いついたのは、好きな曲のメロディーを口ずさむことだった。そして「ダニー・ボーイ」がちょうど1分間になることがわかった。しかし、目を閉じて鼻歌まじりに唸っている老人というものは、どう見てもボケが始まったように見えるかもしれない……。
で、声は出さず、頭のなかで“演奏”することにした。この曲はフレーズが次第に盛り上がる構造になっていて、最後のところは絶叫するような形で終わる。シル・オースティンやサム・テーラーのようなムードテナーの趣でやると楽しい。脳内の仮想演奏だから、如何ような演奏も可能だ。フェイクを入れたり、アドリブを加えたりして興が乗り、1分間をオーバーすることもある。2015/6/1
●チーターに魅せられて
ドキュメンタリー番組「ライフwithチーター」(CS放送“アニマルプラネット”)を見た。動物写真家キム・ウォルフターさんが、ジンバブエの野生動物保護区でチーターの親子を撮影する姿を実写したものだが、この人の野生動物への接近の仕方が尋常でない。チーターのすぐそばへ無造作に近づいていって、草をむしったり寝ころんだりして何気ない風を裝う。決して視線を合わせないのだそうだが……。
普通、子持ち動物の親は異常に周囲を警戒するものだ。だが、この“何気ない風”に母親チーターも無害なものと認識したのか、まるで気に止めない。驚いたのは、仰向けに寝ている彼のもとに、チーターの子供たちが寄ってきて、足の臭いをかいだりしていたのが、ついには腹の上にあがってきて彼の顔や指を舐めるシーンだった。その辺の草木のような、というより動き回るから動物と思っているかもしれないが、敵対しない、餌になりそうもない、“変な生き物”という存在にさせてしまったのだろう。
そうやって彼は、至近距離からチーター親子のサバンナの生活を撮りまくる。生まれたばかりのとき、子供は5頭いたが、ライオンや豹に狙われたり、感染症で次々に死んでいき、ついには2頭だけになる。子チーターは子猫に勝るとも劣らない可愛さもあって、腹を裂かれて死んでいる姿を見るのは痛ましい。猛獣は狩る側だから獲物を襲い喰う残酷な印象が強いが、子チーターはひよわで常に予断を許さない。母チーターも子がケガや病気になり生きていけないと判断すると、容易に見捨ててしまう。見捨てられた子は観念したかのように死を待つ、その姿も胸痛むが、これがサバンナの掟というものか。
残った2頭は母親に狩りのテクニックを習って、次第に一人前(一頭前?)の成獣になっていく。主食のインパラを襲い、はじめは首の後ろ側から噛みついて手間取っていたのが、喉元を噛むことで即座に息の根を止める技を覚える。練習台にされるインパラ側からみれば残酷極まりないが、弱肉強食はサバンナの日常だ。いや、原理的には人間社会もなんら変わるところはないか。子チーターの狩りの様子を、キムさんはカメラを抱えて必死に走って追いかけ、その現場を至近距離から迫真の映像に収める。その徹底した執念も驚異だ。
母チーターに再び発情期が訪れ、アカシアの木に尿をかけまくっていたと思ったら、ふいに姿を消す。残された子チーター(人間でいえば中学生くらいか)は、母恋しさにチッチッと必死で呼びつづける。まるでスズメのさえずりのような、短くてかぼそい悲しげな鳴き声。傍らで撮影するキムさんの肩にすがりつくように前足を乗せて甘える仕草もいじらしい。しかし母親は姿を見せない。悠久を感じさせる広大なサバンナで、これから、この2頭は自ら獲物を狩って生きていかなければならない。
チーターは地球上で最も速く走る動物だが、なんと走り出してからわずか3秒で時速100キロに達するという。だから狙いをつけた獲物は絶対に捕えずにはおかない。また仕留めて食べているところをライオンやハイエナなどに襲われたら、闘わず譲ってしまう。他の動物と争うより新たに獲物を捕えるほうがエネルギー消費が少ないそうだ。獲物を捕えて喰うと2~3日は木陰で寝て暮らす。脚力への絶対的な矜持、そして無駄なことはしない合理性。番組を見て私は、この動物にすっかり感情移入してしまった。2015/2/25
●「必」の筆順
かつて、岳父が地方都市のコミュニティに推されて市議会議員に立候補したときのこと。娘婿の私として顔を出さないわけにはいかず、選挙事務所を訪れた。正面のダルマの後ろの壁に、市長さんの揮毫による「**殿 祈 必勝」の大きな文字が墨痕淋漓と書かれている。しかし「必」の筆順が違っていた。
私は以前から、この字の書き方が普通でないことを不思議に思っていたから気づいたのだが、「必」はなぜか筆順がややこしい。たいていの人は「心」を書いて、それから「ノ」を入れる。楷書で書けば過程がどうであれ、紙の上に残った筆跡は正しく見える。しかし、少し続けて書いたりしたら、最後のところが「ゆ」のようになって筆順も見えてしまう。市長さんの揮毫はそれだった。
「必」の正しい筆順は、まず「ソ」を書いて、次に左上から右下に滑って跳ねる曲線(「∟」のような形)を書き、次いで左端の「ノ」、最後に右端の「\」を書いて終わる。左に行ったり右に行ったり、まるで多数の敵に囲まれた侍がバッタバッタと斬りまくっているような、チャンバラみたいな筆順なのだ。
と、文章で説明しても、しかもネット上では記号も適切なものがないので、何を言っているのかわからない人がいるかもしれない。と思っていたら、それを解く絶妙の説明に出会った。一昨日、コメントを寄せられた“漢検1級ブログ ボクちゃん日記”で見つけた。
必ずかける「必」それはソレハである
そう、「ソレハ」と書けば、正しい筆順になる。こんな簡単な説明があるとは……と感嘆した。
それにしても、わざわざこんなややこしい筆順を考え出した本家本元がオカしい(成り立ちの根拠はあるのだろうが、あいにく浅学な私にはわからない)って気がするけれど、結果オーライのような今日、経過を大切にする日本文化の奥ゆかしさとして受容すべきなのだろうか。
競技大会に出場する選手や、選挙に立候補する人の激励会などで、「必勝」の文字を揮毫する立場にある方、くれぐれもご注意を。
なお、岳父は見事当選し、本人の人望もさることながら、市長さんの揮毫も与って効力があったかもしれない。筆順の違いに、選挙運動員は誰も関心がなかったようだ。2014/10/20
●病院の待合室で
世知辛い世の中、せめて笑って過ごしたいと、日常、笑えることを探して暮らしている。1日に1回でも笑えたら得をしたと思いたい。笑いは健康にもいいそうだ。
病院の待合室の椅子に腰掛けて名前が呼ばれるのを待っていると、小太りのお爺さんがやってきて、私の前の空いている席にドスンと座った。待合室の椅子は4席が連結しているので、そのドスンの瞬間、隣に座っていた3人も振動の余波を受けて、体が揺れた。本を読んでいた人は読んだまま、頬杖をついていた人は頬杖をついたまま、余儀なく揺れた。一瞬笑えたが、声を出して笑うには到らない。
これと同じ状態を私は地下鉄の青いシートに座っていて体験した。隣にきたお爺さんが、横にドスンと座ったので、私のからだが少し跳ねた。これは、そのお爺さんの膝が弱くなっていて、中腰で体重を支えることができないから、座りかけた状態からいきなりお尻がシートに落ちたためだ。
笑えるが大笑いにはならない。もし力士かレスラーが座って起きた現象なら、心底笑えるのだろうが……。
別な病院の待合室にいたときのこと。前の椅子の背もたれ(待合室は患者がまばらで、その椅子に人はいない)に片足を上げるお婆さんに、付き添いの娘さんが「やめて」と下げさせる。が、ほどなくまた上げてしまう。たぶん足がダルイからついそうなるので、行儀がわるいのではないのだろうが、娘さんは周囲の目を気にしている。包帯でも巻いていれば案外ごまかせるかもしれない、と思ったりして頬に笑いが浮かんだ。これも声をあげて笑うには到らない、どこかに抑える気持ちが働く。
私が感じた笑いは、自分はまだ大丈夫という優位意識からの笑いだろうか(笑いの根本はそういうものらしいが)、それとも老いた者同士の相哀れむ、あるいはほどなく自分もそうなるという憫笑だろうか。いずれにせよ、病院は笑う場所ではないようだ。2014/9/22
●年金生活者の確定申告
確定申告の時期がやってきた。毎年、国税庁ホームページの確定申告作成コーナーで申告書を作成する。e-Taxは利用しておらず、作成したpdfをプリントアウトして、札幌北税務署まで歩いて行くことにしている。自宅から1.2キロ、往復して40分ほどなので足の運動も兼ねている。
24年分は、妻も年金をもらうようになったので、それも雑所得と思って私の年金額に加えて計算した結果、還付は940円程度だったから、申告しなかった。公的年金等による収入が400万円以下に適用される“確定申告不要制度”によったつもりだった。
ところが今年、25年分の作成に当たり、いろいろ調べてみたら、確定申告は個人単位で行うもので、世帯単位で行うものではないことを知り、私が申告する雑所得に妻の年金も加えることは間違いと気づいた。これまで公的な届の類は、私(夫)が世帯全体を仕切って、一括して行うべきものとしてきた考え方が、確定申告においては誤りだった。
で、昨年分を“正しく”計算し直すと、7,400円ほど還付されることがわかった。いまごろわかっても後の祭りかなと思ったら、確定申告は5年間さかのぼって提出できるという。で、25年分と同時に24年分も申告することにした。
さて25年分は、収入は公的年金だけ、同じ間違いをしないよう今度は妻の年金を加えず、私だけの年金額を雑所得とした。医療費控除は、体調不良がいろいろ出てきて、治療や手術があり、保険給付を差し引いても10万円をはるかに越えた。なお、この医療費控除は私(夫)個人の分だけでなく、妻の分も含めた世帯単位に考えていいとのことで、それも加算した。さらに社会保険料控除、生命保険料控除、地震保険料控除、配偶者控除、基礎控除を満額差し引いて、11,000円ほど還付される結果となった。
というようなことを、同じ年金生活者で木彫仲間のTさんに話したら、「オレは役所だの公文書だのが嫌いだから出さない。年収400万円以下なら出さなくていいんだろ」と言った。なるほど、こういうことに無頓着で、面倒くさがりな人は案外多いのではないだろうか。納税は国民の義務だが、過払いは還付してもらう権利がある。これは国民に平等であるべきなのに、“申告”というハードルのせいで善良な国民はどのくらい損を(あるいは国庫に貢献)しているのだろうと考えてしまった。2014/2/18
●読み書きクイズ番組に思うこと
テレビのクイズ番組で、漢字の読み書き問題が出ることがけっこうある。しかし、その識字能力の低さに驚かされることが多い。もちろん回答者が芸能人ということもあるから、しゃべりは得意でも読み書きは苦手なタイプも参加していて、それを笑う意図があるのかもしれないが……。
しかし、これは現代の私たちの生活が、筆記具を使って一字一字書かなくなった(また、やたらに意味不明の和製英語~カタカナ英語を乱発使用し、日本語をおろそかにした)ゆえに失った結果なのではないか。番組の回答者だけでなく、私たちもテレビを見ながら、忘れてしまったことを痛感することになる。
文章を書くことを職業にしている人たちは別にして、いまや、普通の人たちが文章を書く機会といえば年賀状の添え書きくらいか。手紙の奥ゆかしい作法はもはや過去の長物、ケータイやメールがとって代わった。最近のケータイやパソコンの普及率からいえば、むしろ文章を書く機会は増えているはずだが、本質的に違うものがあるように思う。
IT機器には、やたら便利な機能がついていて、頭文字を打つだけで過去に入力した単語やフレーズが変換候補として出てくる。それによって書く文章は、そのときの新たな発想を表現するのではなく、既成パターンの組み替えの域を脱しないことになる。これでは構想力も表現力もつかないのではないか。
識字力や文章力が必ずしも最優先する時代ではないかもしれないが、人間のクリエィテブな可能性を前進させていく要素であることに間違いないだろう。書くという行為は思考することでもある。気ままに言葉を垂れ流すような文章は思考につながらない。文明は便利になりすぎると安易さに走って、大事なものを失いつつあることは確かなようだ。2014/1/5
●「大菩薩峠」リメーク待望
中里介山「大菩薩峠」を全巻読んだ人は少ないだろう。何せトルストイの「戦争と平和」よりも長い超大作で、それでも未完なのだから。でも、私は青空文庫で読んだ。巻を追うごとに登場人物が際限なく増えてきて、主人公は誰なのか、作者は何を軸にして物語っているのかわからなくなってくるし、何よりも文章が下手くそで嫌になってしまう。長過ぎ、焦点が絞れない、文章が下手、だから速読法など知らなくてもついつい斜め読み、飛ばし読みになってしまう。
ハナシは面白いのだ。時代小説としてこれほど面白いものはないとも言える。登場人物を絞り込んで、ストーリーも要約~圧縮した映画のほうが面白い。映画はこれまで3作品を観た。
①片岡千恵蔵主演
大菩薩峠 1957 内田吐夢
大菩薩峠・第2部 1958 内田吐夢
大菩薩峠・完結編 1959 内田吐夢
②市川雷蔵主演
大菩薩峠 1960 三隅研次
大菩薩峠・竜神の巻 1960 三隅研次
大菩薩峠・完結編 1961 森一生
③仲代達矢主演
大菩薩峠 1966 岡本喜八
①は、主人公の千恵蔵が50代の出演だから、白皙の青年のイメージがない、それでもおどろおどろしいニヒルさは一番かも。②の雷蔵はカッコいいが眠狂四郎のイメージを抜け出ず浅い、ストーリーもはしょり過ぎて飛ばし気味だ。惜しいのは③、達矢の狂乱の立ち回りは異様な凄味があるが、残念ながら第1部で中止になっている。盲目になってからの続編を見たかったが、作られていない。なぜなのか地団駄踏む思い。
①の脚本で、豊川悦司あたりを机龍之助役にして、誰かリメークしないかな。2013/11/28
●ビル・エヴァンスを偲んで
9月15日はエヴァンス忌。久しぶりに、ビル・エヴァンス・トリオを懐かしむ。
晩年の「ユー・マスト・ビリーヴ・イン・スプリング」は明澄で好きなアルバムだが、あまりにも哀しすぎる美しさ、白鳥の歌というか遺言集とでもいうような趣なので、今日は雨も降っているし、沈んだ気分になるのを避けて、青年期の昇り調子な元気をいただくことに。
で、ビル(ピアノ)と、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)の、世にいう黄金トリオから、とくに大好きな曲を選んだ。
1. 枯葉 Autumn Leaves
2. ブルー・イン・グリーン Blue In Green
3. イスラエル Israel
4. ナーディス Naedis
5. マイ・フーリッシュ・ハート My Foolish Heart
6. ワルツ・フォー・デビイ Waltz For Debby
どの演奏もフレッシュな気鋭に満ちている。感性の衝突と融合がよどみなく小気味よい。ライブ盤は食器のぶつかる音やらおしゃべり、咳払い、笑い声なども聞こえて面白いのだけれど、聴衆は熱心に聴いていないような雰囲気にも感じる。ビルはまだ無名で、今このとき歴史的名演奏が始まっているのに、聴き手は気づいていないのかもしれない……。
おしまいに、これらアルバムより少し前の音盤から、ピアノ・ソロ「ピース・ピース」を聴く。安らぎのあるしっとりした響きに心が洗われるようだ。
それにしても、昔、繰り返し聴いたから、アドリブのフレーズまで先がわかってしまう。これってジャズの聴き方じゃないなあ。名盤なんて、みんなこういう聴き方をしているのだろうが。2013/9/15
●岩合さんの猫写真展を見て
“ねこ歩き岩合光昭写真展”が札幌三越で開かれているというので、さっそく行って観た。
私の木彫は猫がメーンなので、ポーズや表情をとらえる参考に、岩合さんの写真集を何冊か持っているし、テレビ番組の“世界ネコ歩き”も欠かさず観てきた。猫の気ままでのんびりした情景を、自然そのままに撮られていて、観る者も、気まま~のんびりした気持ちにさせられる。会場に展示された写真は、どれも本よりも大きいサイズだけに、ほっくり感がいっそう増したように思えた。
テレビ番組の撮影シーンで気づいたことだが、岩合さん(面識もないのに馴れなれしい呼び方になった。岩合氏というより“さん”付けしたくなるのは、猫の持つ雰囲気のせいかもしれない。ご寛恕を)の被写体への近づき方をみていると、腹這いになって、まるで自身が猫になりきっている。つまり猫目線=低いカメラ・アングルで被写体を狙うことによって、猫のポーズや表情がより生き生きと捉えられるわけだ。
で、木彫猫のことを考えた。私も猫目線で立体像を捉え、彫刻しているつもりである。しかし、展示場ではテーブルの上に置くことになるから、来観者にはたいてい立った位置で、つまり上から目線で観ることになる。
写真の場合は撮る段階で低い位置から撮るので、来観者が立って観ても写真自体は低い目線と同じだ。しかし、私の木彫猫の意図した角度は低い位置で、来観者の立っている位置ではない。もちろん、なかには膝を曲げ、 しゃがんで観てくださる方もあるが、それはまれなことである。
いっそ「作品に手を触れないでください」なんぞと野暮ったい表示をするのでなく、「しゃがんで、猫目線でみてください」とでも書いておきたいな、と埒もないことを考えた。2013/8/13
●温故の会木彫作品展にて
温故の会の木彫作品展が開かれ、当番で2日間貼りついた。
会場の“かでる2・7”では他の行事もあるので、そのついでに見ていこうという人もいるから、来場者は引きも切らない。展示作品について問われれば答えるのも当番の役目、いろいろ会話を交わしていると、木彫をやっている人~やりたいと思っている人(たいていは年輩者)に出会うと話が弾む。
私の専ら彫るものは小動物だが、今回は猫だけにして、それも彩色仕上げの5作品を出展した。会場にいてやはり自作品の反応が気になる。
わが猫の前で立ち止まる人、素通りする人、まちまちだが、なかには頬をゆるめて笑顔になる人、近づきしゃがんで猫目線で見ている人、連れの人と指をさしたりして話している人――こういう関心ありそうな動作に気づいたときは、「猫がお好きですか」とさりげなくシャシャリ出ていく。
「猫を飼っているでしょう」と当然のように聞かれる。飼っていないと答えるとたいていは驚く。老い先短い身、あとに残しては猫が気の毒ですから。「じゃあ、どうやって彫るのですか」。インターネットの猫サイトから写真をパクリまくり、面白いポーズを基に下絵を描きます。「だって、写真をどうやって立体に」、向こう側がわからないときは、猫カフェに行って観察します、場合によっては触って骨格の形や筋肉の付き具合を調べたり……しつこくしていつも猫に嫌われますけど。
うちとけて、ケータイの飼い猫写真をみせてくれる人もいる。ああ、可愛いですね、お宅がうちの隣なら、ときどき餌をやったりして、懐かせてモデルになってもらうんですが、私はマンション暮らしですから、それができない、残念です。
猫に関心のない人は作品の前を素通りする。二人連れの来場者、一人が「あら猫だわ」、連れの人が「わたし猫嫌い」。もちろん、こういう人には声をかけない。人それぞれ、押しつけがましいことをしてはいけない。
犬派の人も多いようだ。「犬は彫らないんですか」と聞かれた。テレビの和風総本家に出てくる“豆助”を彫りたいと思ったことはありますけど……。「ああ、あれ可愛いわ、ぜひ彫って見せてください」なんか約束させられた感じ。
見てくれた人たちの大方の感想は「まるで生きているみたい」という。要するに私の作品は生きている猫の再現ということか。猫好きな人たちの思い入れがあって評価されるものなのか。
具象を彫る以上、リアリティをおろそかにはできないが、バードカーヴィングのようなスーパーリアリズムを目指してはいない、そのちょいと前のところで私の味を出したい。それがなんなのか明確に言葉にはならないが……。自分の力からして、民芸品とアートの中間にあるような領域とは弁えているつもりだが、できるだけアートに近づきたい、と老いの身に野心のようなものが湧く。2013/6/22
●“泣ける映画”ベスト10
昨年末に、“笑える映画ベスト10”を挙げた。今回は“泣ける映画ベスト10”を列挙してみる(古いなぁ、という人がいるかもしれないが、私の年代だとどうしても落とせないものがあってね)。
汚れた現実を多く見すぎたから、虚構の世界で大いに泣いてみるといい。涙は目のくもりを洗い流してくれるだろうし、何よりも心を洗い清めてくれるだろう。(例によって年代順)2013/4/2
1. 王将 1948 伊藤大輔/阪東妻三郎 水戸光子 滝沢修
2. 自転車泥棒 1949 イタリア ヴィットリオ・デ・シーカ/ランベルト・マジョラーニ エンツォ・スタヨーラ
3. 禁じられた遊び 1952 フランス ルネ・クレマン/ブリジット・フォッセー ジョルジュ・プジョリ
4. 東京物語 1953 小津安二郎/笠智衆 東山千栄子 原節子
5. 野菊の如き君なりき 1955 木下恵介/有田紀子 田中晋二
6. 大地のうた 1955 インド サタジット・レイ/カヌ・バナルジー コルナ・バナルジー サビル・バナルジー ウマ・ダス・グプタ
7. 道 1957 イタリア フェデリコ・フェリーニ/アンソニー・クイン ジュリエッタ・マシーナ
8. 遥かなる山の呼び声 1980 山田洋次/高倉健 倍賞千恵子 ハナ肇
9. 八月のクリスマス 1998 韓国 ホ・ジノ/ハン・ソッキュ シム・ウナ
10. 變臉(へんめん)この櫂に手をそえて 1996 中国=香港 呉天明/朱旭 周任瑩
●お仕事中
地下鉄で青いシートに座っていたら、どこの駅だったか、中年女性に導かれてきた老年男性が、「はい、左」との声とともに私の横に座った。女性は「私は前に座るから」と言って向い側の座席に座った。男性の前には黒い犬がいて、服のようなものを着ている。背中に「お仕事中」と札も付いている。私は思わず頬が緩むのを感じて、向いの女性をみると、彼女も微笑みを返した。
数日前にテレビで放送された盲導犬の映画「クィール」をみたばかりで、こんどは現実に、初めて盲導犬に出会ったのだった。この偶然に、日ごろ猫を彫っている私が、人の役に立つ犬の姿に関心が行ったのかもしれない。というより、人と犬との関係に、なにか温かいもの、微笑ましい光景に感じたのだ。
隣の男性は走行中、しきりに犬の頭を撫ぜ、小声で歌をうたっている。触覚と聴覚で犬も安心するのか、男性の膝に頭を寄せてうずくまっていた。よほど「犬の名前はなんていうんですか」「おとなしくていい犬ですね」と話しかけたくなったが、男性と犬との親密な関係に割り込むのがためらわれて、声が出なかった。
私が降りるとき、彼らも立ちあがった。ドアが開くのを待ちかねるように、犬は後ろから私の足の間に鼻先を出した。「そんなに早まるなよ」と声をかけて降りたが、乗降客でごった返すなか人の動きに合わせて移動し、振り返ってみると、3人、いや2人と1頭は人波に紛れてもう見えなかった。2013/3/10
●“風のかたりべ-アイヌ工芸展”を観る
道立近代美術館で開かれた“風のかたりべ-アイヌ工芸展”を観てきた。19世紀から20世紀はじめに実際に使用された祭具や衣服、装身具、木彫り熊などと、その伝統的な民族感覚を現代に引き継ぐ美術作品の刺繍、布アート、木彫刻など、合わせて280点を展示している。
木彫をやっている者としては、どうしても木彫作品に目が行ってしまい、それこそ目で舐めるように観た。床ヌプリの荘厳な「ユーカラクル」、藤戸竹喜の精緻なリアリズムからくる「狼」「川の恵み」などの躍動感、瀧口政満「シマフクロウ」、貝澤徹「ホタル」などアイヌ文様を活かした斬新なデザイン、造形に力がこもっていた。
帰り道、昔、音威子府にいた砂沢ビッキさんを訪ねたときの、ごつくて大きな風貌と、意外に優しい声を思い出した。同時に考えることがあった。“森の民”であったはずの彼らが、この否応なしに汚染されていく現代社会をどう見ているのか、彼らの神はどこへ行くのか、人類の発展とはなんなのか……。2013/3/8
●頑張るな!
日本人は「頑張る」という言葉が好きだ。年賀状にも、ことしも頑張って、なんて書いてある。競技場でみんな声をそろえて、頑張れ~と絶叫する。見舞いに行って頑張ってねと手を握る。国のために頑張る、復興のために頑張る、明日のために頑張る……大事なことだろう。頑張る人がいてくれて助かる人もいる。しかし、誰にでも当てはまることではない。頑張る必要のない人もいるのだ。
老人や病気の人は頑張らないほうがいい、マイペースでジンタカジンタカやったほうがいい。また政治家(政治屋というべきかな)は国民のためなんかではなく、自分のためか党のためにだけしか頑張っていない人もいる。こういう人に頑張られると、みんなが迷惑する。あえて「頑張るな」と言いたい。2013/1/1
●“笑える映画”ベスト10
なんだか世の中、面白くないことばかり。テレビを見ても新聞を読んでも、鬱陶しいことだらけ、不愉快になる。笑える映画を観よう、笑えば気持ちがほぐれ、力が湧いてくる。
私の乏しい映画鑑賞歴から10選。年末はわりと映画放映もあるので、同じ思いの人にオススメ。(面白度の順位に非ず、年代順に列挙)
1. 赤西蠣太 1936 伊丹万作/片岡千恵蔵 毛利峯子
2. けんかえれじい 1966 鈴木清順/高橋英樹 浅野順子 川津祐介
3. フロント・ページ 1975 米 ビリー・ワイルダー/ジャック・レモン ウォルター・マッソー
4. ダイナマイトどんどん 1978 岡本喜八/菅原文太 北大路欣也 宮下順子 嵐寛寿郎
5. お葬式 1984 伊丹十三/山崎努 宮本信子 高瀬春奈 江戸屋猫八
6. ジャズ大名 1985 岡本喜八/古谷一行
7. 無能の人 1991 竹中直人/風吹ジュン 山口美也子 マルセ太郎 神戸浩
8. シコ踏んじゃった。 1992 周防正行/本木雅弘 清水美砂 竹中直人
9. 過去のない男 2002 フィンランド アキ・カウリスマキ/マルック・ペルトラ カティ・オウティネン
10.イングロリアス・バスターズ 2009 米 クエンティン・タランティーノ/ブラッド・ピット
なお「男はつらいよ」「釣りバカ日誌」の両シリーズは別格扱いとし、入れなかった。2012/12/21
●カタカナ英語
中学生のとき英語が必修課目になったが、当時、子供心に、どの国も平等に共通語を学ぶならいいが、戦勝国の言葉を押しつけられるのを卑屈と感じて、熱心に学ばなかった。だから英語は苦手である。
昔の人はもっと苦手だったようで、私の父はバス(乗合自動車)を「パス」と言っていたし、冬、隙間風を防ぐために窓に張る透明なビニールを「ピニル」と言っていた。なんでも半濁音で発音すれば英語になると思っていたのかもしれない。
朴訥で力強い農民詩を書いたYさんに、私が小説「闇の力」を書いたさい、昭和30年代の稲作技術について指導を受けた(時代劇に殺陣師が必要なように、農村の物語に“農業師”がいてくれてリアリティを保てたと感謝している)。その彼が団体役員になり、必要に迫られて私にワープロを教わりにきたとき、「ややっこしくて、“アニマル”見てもわからんでや」と言い、笑いを堪えるに苦しんだ記憶がある。
いまや身の回りは、看板も電器製品も雑誌も薬も、カタカナ英語が大氾濫。テレビのニュースでもそうだが、とくに頭文字を抽出したような略語なんかチンプンカンプン。時代の流れが早すぎて、手持ちの外来語辞典にも載っていないから、ググってみなければならないが、パソコンのスイッチを入れている間に、なんていう言葉だったか忘れたりして、どうでもいくなってしまう。しだいに父やYさんの域に入りつつあるようだ。 2012/10/10
●気になる言葉
スポーツ選手のインタビューで、またかと思うほど無神経な言葉が繰り返される。
「みんなに感動を与えたい」「元気を与えるプレイをしたい」、そのたびにムカッとする。犬や猫に餌をやるんじゃあるまいし「与える」とは何事か、いったいキミは何様のつもり?
スポーツマンだから言葉を知らない、ではすまされないだろう。大の大人が、監督クラスの者まで平気で言っている。真似してか高校球児まで言っている。上から目線で話していることに気づかないのだろうか。せめて「みんなに感動していただけるプレイをしたい」とでも言ってほしい。意味は同じようでも、これは大違いなのだ。ファンに対する態度の問題だ。「いただける」と言えて初めてファンから声援がいただけるのでないかい。
と、ここまで書いて、まだ言い足りない、もっと大事なことがあるような気がしてきた。だいたい“感動”という現象は一人一人の心が感じることだし、それも人生において生きていてよかったとさえ感じる瞬間なのではないか。もし私が選手なら、そんな崇高であるべき“感動”について、差し出がましく自ら口にするなんて恥ずかしくでできないね。
まあ、「粛々と」とか「不退転の決意で」とか「国民のために」とか、言葉遣いは正しいようだが、さっぱり内実が伴わない“先生”方にもうんざりだが……いや、こっちのほうが大問題か。2012/9/1
●アラン・ドロンの帽子
病院で採血されたとき、看護師さんに「素敵な帽子ですね」とホメられた。「ボルサリーノです」と応えたが、ブランド名を知らないようだった。
「アラン・ドロンの映画の題名にもなってる、イタリア製の……」
「そうなんですか、すごいですね」
実は、アウトレットモールで、妻の助言もあって買ったものなのだ。
「もう、汚い爺になっちゃったから何を被っても意味ないんだけど」
「そんなことないです。よく似合ってますよ」と看護師さんは如才ない。
爺は機嫌よくなって、思い出すままに、
「殺し屋に扮するドロンがね、鏡を見て、こうやって」と左手で(右手は採血されているので使えない)ソフトの前ツバを「真っ直ぐにしてから殺しに出かけるシーンがある。それがカッコよくてね」……ん、あれは違う映画だったかな。
「そうなんですか、気持ち若いですねえ」と看護師さんは上手をいう。そのとき、血液を採り終えるまで、機嫌をとって動かれないようにするのが仕事なのだ、と気づいた。2012/8/27
●映画鑑賞
同年の友だちと映画を月1回観ることにしている。鑑賞後は居酒屋で一献傾けながら映画批評をやり、それから政治やスポーツや読書を語り、お互いの健康状態も確認し合い、なるべく深更にいたる前に帰宅する。
しかし、このごろ観たい映画がなくなってきた。2人が共通して選ぶのは、戦争物、犯罪物、時代物、たまに問題作というところ。それが次第に月1から2~3か月に1と間遠になってきた。宣伝広告をみても観たい気が起きないものばかりなのだ。
洋画を選ぶことが多いが、戦闘やカーチェイスなんかはCGを使ってどのシーンも物凄い。“物凄い”カットは1篇に1個所(最大のヤマ場)くらいが効果的なのに、アクションシーンになるとどれもこれも凄過ぎて、なんだか疲れる。
邦画はテレビ番組とほとんど変わらない手抜き作品が目立つし、漫画を映画化したのなんか観る気になれない。時代物にいたっては現代の若者がそのまま出てきて、刀を差しているのに腰が入っていないから歩き方さえ成っていない。女性もみんな今風の顔でアッケラカンとしていて、切なさや憂いというものがまるでない。
時代の空気が合わなくなってきたのかなあ、と楽しみが少なくなってきた同士で嘆いている。2012/8/18
●シルバーシート
木彫仲間の一人と市街へ出かけたとき、地下鉄のプラットホームの雑踏を縫うように走って青い座席を確保したら、追ってきた仲間に「この席に座る者が、そんな元気に走るもんじゃないよ」と言われた。そうかもしれない。社会的弱者のために専用席を設けてくれているわけなのだ。ただ私はできるだけ青い座席にすわり、普通席は若い人たちに開放しておくべきだと心がけ、実践している。若作りしてあっち側に座るなんてもってのほか。
別の日、同年配に見える白髪の老人が、シルバーシートに座っている私の前に立って、吊り革につかまった。私の横は2人分も空いている。不思議に思い、席を叩いて「座りませんか、それとも健康法?」と聞いてみた。すると白髪氏はにっこりして「いや、いままで音楽会で座ったままでしたので、いまは立っていたいのです」と言った。なるほど、そういうこともあるわな、と納得、うなずいて微笑を返した。 2012/8/10
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