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われらリフター

佐 野 良 二

第一章 屈辱の炎

 動機というものは、どんなたわいのないところからでも生じるようだ。あの夜開かれた、女性ばかりの読書会の終了後、突如、メンバーの二人が腕相撲を始めなかったら、あるいは今日の私はなかったのかもしれない。ほんの小さな出来事が人生の分かれ道になる場合だってある。
 いったい、彼女たちにしても、どういう風の吹き回しで腕相撲なんかを始めたのだろうか。私にはよくわからないが、たとえば、日ごろ装っている知性とか教養とかをちょっと横においといて、地金を出してみようとの意識が動き出したのか、あるいは眠くなりかけた幼児が一時じゃらじゃらと陽気になるのに似た気分だったのか、とにかく、どうでもいいような発端だったと思われる。
 仕掛けたのは、この読書グループが、課題作品に日本の古典を選択しがちなのに対し、外国の新しい現代文学を採用するよう主張し続け、反対され続けている、どちらかといえば美人と呼んでさしつかえない詩人である。しなやかな長身を、空色のデニムにぴったり包み、あまりにぴったりしすぎて、体の線がわかりすぎるくらいだった。
 一方、受けて立ったのは、歌人として近在に名を知られ、すでに歌集を自費出版したこともある、さる銀行支店長夫人だ。その声は、私が用件で電話をかけたさい、「奥さんを呼んでください。えっ、ほんとに奥さんですか。あなたお嬢さんでしょう」と問い返すほど、つねに若々しい。また遠目にはお嬢さんのように、つねに丸顔である。当夜は和服を召し、何やら細かな花柄の袂(たもと)から、惜しげもなく二の腕まで現していた。
 世の中には「女の細腕」というような形容が一般化しているけれど、栄養も余暇も豊富な昨今の女性たちにとって、こうした表現は、もはや適切と言えないのではあるまいか。あのとき、私の眼に映じた彼女たちの腕というものは、いずれも、ほうれん草を食べたポパイのごとく逞(たくま)しいものであった。
 両者、用心深く手を組み合わせ、「いきますわよ」「よろしくって」と才媛にふさわしい言葉づかいであった。ところが力闘が始まるや、詩人女史は盛んに「このっ、このっ」と連発する。歌人女史はさすがに奥ゆかしく、無言のうちに力んでいたが、やがて「いやーん」と、いくらなんでも若すぎる嬌声を発して、ひねり倒されてしまった。
 申し遅れたが、私は当図書館に奉職する司書である。今夜の読書会を有意義に締めくくるには、いささか狂騒的になりすぎた、これらの状況を、困惑半分、面白半分の面持ちで傍観していた。ところが腕相撲の勝利者は、図に乗って、事もあろうに私に向かって、
「ねえねえ、次、司書さん、お手合わせしません?」と、軽々しく挑戦してきたのである。私の表情は、一瞬のうちに困惑が全部を占めてしまったに違いない。
 知らない方が大方だろうから断っておくが、私は三十代に足がかかりながらまだ独身で、それはとくに生き方や信条があってのことではなく、要するにさっぱりモテないからなのだ。モテるがゆえにいつまでも身を固めない者がいるけれど、私はその逆。それをよく知っているので、こちらから異性にチョッカイをかけた経験すらない。そんな種類の人間にとって、このような衆人環視のなかで、男女が満身の力で手を握り合うなんぞということは、ほとんど恐怖に近い行為なのである。うろたえないわけがない。
「こ、ここは本を読む場所です。昼間、書架の陰でかくれんぼをする子供たちに、こらっと叱りつけている立場の者が、閉館後とはいえ、そんなことをしては……」
 私は野暮な建前を口走る。すると、すでに体が発汗し始めたらしい詩人女史は、少々はしゃぎ気味になって言うのだ。
「あら、これは失礼。神聖な図書館で騒ぎ立ててしまって、私たち、悪い子でしたわ」
「い、いや、そんな……、あなた方が悪い子であるわけがありません。こうして夜遅くまで勉強されているのですし、たまにはハメをはずすことも、人間関係の潤滑油として大切なことでしょうから」
 私の、処世の知恵である事なかれ主義は、いったい何をしゃべろうとしているのか、たちまち辻褄(つじつま)が合わなくなる。
「わあ、話がわかるう。じゃあ一回、一回だけやりましょ」
 いとも簡単に話は振り出しに戻って、彼女は直角に曲げた腕を閲覧机の上に乗せ、掌(てのひら)を魅惑的にひらひらさせて私を誘う。ぐるりを取り囲んで見守るメンバーの間から、私では勝てまいとのささやきが漏れ聞こえ、同時に私の頭に血が一挙にのぼってくる。今思えば、これは彼女たちが、万事に生真面目な私をからかってやろうとの魂胆で仕掛けたのかもしれない。そうだとすれば、私は手もなく乗せられ、
「冗談言っちゃいけない。痩せても枯れても、私は男です。女ごときに負けるはずがない」と、声を荒らげて言い放っていた。
 たかが女性の腕力くらい、何ほどのことがあろう。今つけあがらせては、あとあと仕事のうえにも支障をきたす。それでなくてもこの読書グループは、本来自分たちでやるべき会務のほとんどを私に押しつけ、自治意識の欠如を市民サービスの名にすりかえつつあるのだ。一丁、この女の鼻をへし折ってやらなくてはなるまい。
 私は詩人女史の手をガッシと握った。彼女の手は柔らかく滑らかで温かい。そして、非常に具合の悪いことには、その手のすぐ後ろに、すなわち私の顔の直前に、彼女の憎からざる顔があり、芳しい匂いが漂ってくる。私の心臓は平常より五割方、鼓動が高鳴ったかに思えた。誰かが「ようい、どん」と言い、果たして、これは腕相撲の開始に適当な用語かどうか考えているうちに、ふっくらとした感触はいきなり強張ったものに変わり、「このっ」というかけ声もろとも、私の手の甲はピシャンと机の上に密着させられた。女性たちはやんやと喝采し、私の頬は火事場に入ったようにほてってくる。
「……いや、油断しちゃった。力を出さないうちに倒すんだもの、そんなのないよ。もう一度いこう」
「いいわ、何度でも」
 彼女の声には余裕さえ感じられた。私は、力を出さないうちに、と言ったけれど、これは嘘であって、実は相当に頑張ったのだった。それでも負けた。こんなばかな、色香に惑わされたに相違ない。──今度こそ勝つ。この女がいかなる媚態を示そうとも、私は決して彼女と同衾(どうきん)しはしない──とストイックに念じつつ闘志を奮い立たせ、次に、腕も折れよと力をこめた。しかし、彼女の腕は全然折れないばかりか、逆にじりじり圧してきて、ある角度から急転直下、私を押し倒してしまった。このっ、というかけ声さえ出さずにだ。
「おかしい。こんなはずはない。もう一度、ね、もう一度だ」
 私の狼狽はその極に達し、嘲(あざけ)りを含んだ笑声のなかで、へんに大声で再戦をねだった。私の実力を知ってか、彼女はもう乗り気でなくなったように見えた。周囲の者もシラケた顔つきになっていたが、私の気持ちは収拾がつかない。もちろん、三度目の結果については記すまでもない、前二度以上に壊滅的な敗北を喫したのである。まったく、こんなことでペンを執るのは苦痛以外の何ものでもない。しかし、私のあとに続くであろう、かよわき若者たちを鼓舞激励するこの小文の目的からして、ここはあえて私情を交えず、冷静かつ克明に描写する必要があるだろう。
 私は、あまりに腕に力を集中しすぎたため、腰が浮き上がり、そこへ容赦なく手首を返されたので、全身で引っ繰り返るという芸当を披露してみせたのである。これほどぶざまな男の姿があろうか。あお向けの私の視野に、まぶしいはずの天井の蛍光灯が、急に光量を失ったように感じられた。

 夜も深更に入り、私は薄汚れたアパートの自室で、石油ストーブをぽやぽやと燃しながら、独りウイスキーを痛飲していた。戸外には冷たい北風が吹き荒れ、今にも雪になりそうな気配だった。酔いはじゅうぶん体に浸透しているのに、頭の中が冴えきってしまって、いつまでも憂い顔を崩せないでいた。
 かつて、これほどの屈辱を体験したことがあるだろうか。私が初めての読書会の朗読で、いつも黙読ばかりしてきたゆえに文字の読みを正確に知らず、「存在」を「ぞんざい」と読んで大恥かいたときでさえ、まだ耐えられた。悪書を知らずに良書がわかるかという友人の言をもっともと思い、貸し出しカウンターに坐って、借りた週刊誌を見ているうちに、折り込みのブロンド娘の煽情的なポーズに思わず惹(ひ)きこまれ、気がつくと本を借りにきた若い女性から、軽蔑の眼ざしで見られていたときだって、これほどの痛みを感じはしなかった。
 たかが腕相撲ではないか、と軽く考えてもみた。低次元の話だ、自分の価値が下がるわけではない、と一笑に付そうともした。しかし、どうにも収まらないのだった。頭の中を渦巻くものは、はじめ詩人女史への憎しみばかりだったのだが、元来、古今東西の名著に囲まれ、それに親しみ、独り静かに思索する型の人間である私は、時間がたち冷静になるにつれ、彼女に腹を立てるのは狭い料簡というものであって、あんな小女にコロリ負けてしまった不甲斐ない大の男のほうにこそ、腹を立てるべきだと気づいた。
 もっとも、事実は、大女に小男が負けたのであったけれど、酔いが少々脚色を施したので、自己嫌悪はますます募る一方だった。安ウイスキーのボトル一本を空けて、あとは飲むものといったら、蛇口から出る水しかないので、やむなく布団に潜りこんだが、屈辱の炎は、私をフライパンで炒飯(チャーハン)でも炒めるように輾転反側(てんてんはんそく)させる。
 夜も白々と明けそめるころだった。私は一大決心を固めるに至ったのである。寝ぼけて朦朧(もうろう)としたままであったけれど、ガバと起き上がり、枕元の書籍類を壁に投げつけて、こう叫んだようである。
「もう、本を読むのはやめた。体を鍛えるのだ!」

第二章 起死回生の策

 ことスポーツに関して、私は、はなはだ勘が鈍い。子供の頃、クラスメートの大半が喜ぶ「体育」という学科が最大の苦手であった。器用不器用という点からみるなら、手先のみを動かす図工や習字だと、得意とはいわぬまでも人並みにやってこられたのに、これが全身をコントロールすることになると、一転してだめなのだった。体育がある日は朝から憂鬱(ゆううつ)で、食事がまずかった。こんな伸びやかな、陽気であるべき科目に嫌悪感を抱くようになったのはなぜか。つらつら顧みるに、これはどうも「野球」にあるらしい。
 私の通学した田舎の学校は、小、中、高校を通じて、いつも野球狂の教師がいて、体育の時間には決まっていそいそとグローブやバットを持ち出してきた。教師だけではない。父兄たちにもやたら野球好きが多く、なかには体育の時間に応援にくる親までいた。あるいは、あの教師の異常な熱心さは、そんな父兄の世論におもねる行為だったのかもしれない。とにかくPTAあげて大騒ぎして、学校の伝統というものは野球でしかつくれないかのようだった。こうした事情は、田舎の学校に限ったことではないようである。それが証拠に、昨今のテレビ、新聞を見よ。これほど野球が繁盛するのは、全国いたるところの学校が、わが母校と同様な環境下にあって、そこで成長した者たちが、現在もなお、スポーツとは野球しかないものと信じているからに相違ない。
 思い出すたびに身震いが出る。バッター・ボックスに立っただけで眼の前がぼおっとなり、ピッチャーがモーションを構えると身がすくんだものだった。教室では私より成績が劣り、しょっちゅう教師に叱られているにすぎない奴なのに、不思議にも彼の手から繰り出されるボールは、眼にも止まらぬ豪速球になった。キャッチャーが景気づけに「いい球っ」と一声かけようものなら、ボールがすでにミットに入っているのに思いっきりスイングしてしまう。これでは物理的にも絶対当たりっこない、それはわかっているにはいるのだが……。
 守備はいつもライトだった。ここはさほど打球のこない位置ということになっている。ところが、私がとんでもないエラーをしでかしてから、聖域は一変して敵の射撃目標にされてしまった。「ライトを狙え、ホームランコースだぞっ」甲高い非情な声が、いまでも耳の底によみがえる。実際、晴天にしても曇天にしても、野球のボールほど人を裏切るものはない。落下地点はこの辺り、と見当をつけて構えていれば、頭上を越えてはるか彼方へ飛んで行ったり、後方と思って精いっぱい駆け出せば、さっきいた地点ヘポトンと落ちたり、左右のコースはどうにか見極めがつくものの、前後のほうはまさに前後不覚なのだった。まれには、素直なボールが、私の鼻先へ真っすぐ飛来することもある。しかし、そんなときにはすっかり焦ってしまって、グローブにまだボールが到達していないのに捕球(捕空というべきか)したりする始末だった。
 こんなていたらくだから、私は学校を卒業するや、もう野球はもとより、スポーツとは縁のない世界に住んできた。司書の道を選択したのもそれゆえである。だがしかし、このたび、よんどころない事情から、体を鍛えるとの一大決心をした。こんな私に救いの道があるものか、とあやぶむ人もあろう。私の一縷(いちる)の望みは、いつぞや図書館の書架の片隅で見た一冊の本であった。さっそく「体育」の分類棚から、その本『ボディビル入門』を見つけ、ひそかに借り出した。今朝、本を捨てると宣言したばかりであったけれど。
 さて、藁(わら)にもすがる思いで表紙を開いてみるに、かつて一瞥(いちべつ)したときには、おぞましくもグロテスクな男たちと映ったものが、いまや状況が変わって、ギリシャ彫刻と見まがう逞しい筋肉美が眼前にまぶしく輝き、羨望と憧憬以外の何ものでもなかった。なかんずく「あなたも、こんな体にきっとなれる」との解説の一句は、神の啓示ででもあるかのように私の心を満たし、唯一の起死回生の手段がここにある、と確信したのである。
 確信の最大の理由は、前述のとおり野球が苦手な私にとって、幸いなことにボディビルにおいては、ボールのように飛んでくるものが何もないことである。いかに勘の鈍い私だとて、床に置いてあるバーベルをつかみ損なうことは、まずないものと思われる。
 ボディビルは誰にだってできる。入門書からの受け売りになるけれど、たとえば、床の上のバーベルをぶら下げてみたとしたら、たったそれだけの動作をデッド・リフトと呼んで、背筋と握力を増強させる重要な運動ということになってしまう。大胸筋、三角筋、上腕三頭筋ほか上半身のすべてを鍛えるベンチ・プレスは、ベンチの上にあお向けに寝てバーベルを押し上げるのだし、逆三角の体になるのに不可欠の広背筋をつけるべント・ローイングにしても、せいぜい物を拾うような恰好でバーベルを引き上げる、単純この上ない動作だ。百種以上もある運動種目のすべてが、これほど単純でないにせよ、いずれにしてもバーベルを押すか引くかするだけのことである。
 これらの種目を何通りか組み合わせ、全身各部位の筋肉を鍛練していく。自身の力に適した重量を選び、筋肉が肥大し力がつくと、それに応じて漸進的にバーベルの負荷を増量していくのだから、万事、無理なく、合理的にできている。セルバンテスやドストエフスキーの複雑に屈折するノイローゼ的世界に比べ、まことに論理が明快である。ちなみに、さらに受け売りを続ければ、ボディビルの基本理念となっている「ルーの法則」というのは、
 一、筋肉は使わなければ退化する。
 二、筋肉は使い過ぎると衰弱する。
 三、筋肉は適度に使うと発達する。
 というのであった。

 ところで、二十代の男ならば、いかに痩せこけていても、いや痩せこけているゆえに、ボディビルを始めるという意義を見い出し得るだろう。しかし、これまでスポーツに無縁の者が、体力も下り坂の三十路(みそじ)に至ってからバーベルなんぞを持ち上げ始めた場合、第三者の眼には、いったいどう映るであろうか。私の僻目(ひがめ)かもしれないが、どうも笑われそうな気がしてならない。もし同僚や友人たちの耳に入ったら、これは疑いもなく噴飯ものだろう。あまりに貧弱な私の体格と、鉄のバーベルが持つ剛直なイメージとが不釣り合いに対比されて、どれほど彼らは笑い転げるかしれたものではない。私は、これでけっこう自尊心が強いほうなのだ。
 知られてならない人物として、私の住むアパートの家主もマークしておく必要がある。私の部屋はこのアパートの二階にあり、居間と寝室の二室を有している。私はトレーニングを行うのに、このうち寝室の四畳半を充てる考えだった。あくまで極秘なのだから、廊下に直結する居間のほうでは、トレーニングの最中に、誰かにドアを開けられないとも限らない。そこで奥の寝室ならば、一度居間を経由しなければ入れないし、中間の戸を閉めておけば何をやっているかわからないはずだ。バーベルは、ふだん押し入れの中に放りこんでおけばいいだろう。
 それはそうと、わがアパートはひどく老朽化していて、廊下を走っただけで、さながら地震が発生した状況となる。ここに転居して初めての冬、除雪のブルドーザーが地先を通過したさい、戸はガタガタ、壁はミシミシ不気味な音を立てて揺れ、いまにも壊れそうな気配になった。私は、屋根の上にずっしり積もった雪の量に思いおよび、危険を感じて、あわてて外へ飛び出した。もちろん、その後何度も危険そうに見えながら事なきを得ているが、除雪は念入りに行われ、大型自動車の通行も頻繁になり、こうした振動の絶え間ない繰り返しによって、アパートは少しずつ傾斜しつつあるように思われる。その徴候として、どのドアも渋くなってきて、最近では平生の表情を保ちながら開閉できないくらいだ。
 壁ぎわにスチール製の本棚をぴったりくっつけてあるのだが、くっついているのは下の端だけであって、上のほうは三センチほど隙間ができている。いつぞや、この間にネズミが落ちこみ、もがけばもがくほど下の狭いほうへ挟まって、ついに身動きがとれなくなったことがあった。私は喜び勇んで、階下の住人から猫を借りてきて待たせておき、本棚を傾けて大好物を御馳走しようとした。ところが、獲物が眼の前に跳び出しているのに、猫はぼんやり見過ごしてしまった。間をおいて、ようやく己の捕食本能に目覚め、爪を立てて追いかけはしたけれど、ネズミは壁の穴の中へ遁走(とんそう)したあとだった。近ごろの猫というものは、改良された石油ストーブの暖かい部屋のソファなんかにぬくぬくと寝そべっているばかりだから、いざというとき、こんな失態を演じてしまうのだ。まったく世の中、何から何まで軟弱化している。むかっときた私は、猫の頭をしたたかに打ちつけてやった。
 そんなわけで、いや、これは何でこんな話をしていたのだろう……話が妙な方向へ逸れてしまったが、要するに、そうそう、そんなわけで、本棚の上と下との差の分だけ家が傾いているというわけであった。かように心もとないオンボロアパートの一室で、バーベルを振りまわすということが家主に知れたら、彼は笑うどころか、こめかみに青筋を立てて怒り出すに違いない。元消防団長の家主は、頑固一徹の老人である。私がいかに居住権を主張したところで、即刻追い出されるに決まっている。
 そんな危険な建物でボディビルを始めることの非を、咎(とが)める人があるかもしれない。しかし、ボディビルは、同一運動を八〜一〇回くらい繰り返せる重量を上げ下げするのであって、持ち上げられるかどうかわからない未知の重量に挑戦するものではないのだから、取り落とす危険は皆無といっていい。バーベルとは重い物との先入観が誰にもあろうが、もし私が、ふいに力持ちになって一〇〇キロを持ち上げられたところで、私の両足にはせいぜい人間二人分の体重しかかからないのだ。したがって、少しもアパートの崩壊を早める直接的要因とはなり得ないのである。人間二人分の重さが建物に害を与えるなら、しょっちゅう若い女を引っ張りこむ、廊下の向こう隣の住人の部屋の床から、真っ先に抜け落ちていくことだろう。
 私がボディビルを始めることを知られてならないのは、家主のみならず、このアパートの私を除く住人すべてについても、同様にいえることである。ここに同居している間借人たちは、どういうわけか、皆、家主と何らかの親戚関係にあって、ひょんな伝手(つて)から入居することになった私一人が、赤の他人なのだ。だから発覚すれば、ただちに通報され、やはり追放の憂き目をみるだろう。なぜ、そんなにまでしてこのオンボロアパートに未練があるのかといえば、メリットはただ一つ、間借賃がとても安いことである。
 かくて、私の悲壮なる肉体改造計画は、すべて秘密裏に敢行しなくてはならなかった。まず、この四面楚歌のなかへ、どうやってバーベルを搬入するか、それが当面の課題だった。好都合なのは、アパートの住人が皆いなくなることであるが、そんなことは、よっぽど大きな事故か天変地異でも起こらぬ限り不可能だし、万一、そんな事態になったら、人一倍臆病な私は真っ先に逃げ出すだろうから、それでは金輪際バーベルを持ちこめなくなってしまう。
 ……ところが、待てば海路の日和あり。長い忍耐の末に千載一遇の好機が訪れた。ある休館日のこと、アパートが空っぽになったのだった。管理人のごく近い縁者に不幸があって、私以外の階上階下の住人がみな葬儀に出かけたのである。他人の死に乗じて事をなそうというのは、あまり気分のいいものではないけれど、故人は紫色のチャンチャンコを贈られた高齢者とのことで、天寿全うである。私は陰ながら冥福を祈り、私の決意への協力に深く感謝して、かねてから眼をつけておいた運動具店に電話をかけ、八〇キロのバーベルセット一式をすぐ届けるよう注文した。
 待望の黒光りするバーベルは、間もなく小型トラックに乗って、二人の店員を伴って現れた。店員の一人から「これ、誰が使うんです」とよけいなことを尋ねられ、私は一瞬言葉に詰まり、そして少なからずあわてた。
「それは、つまり、あの……何だ。甥の誕生日の贈り物にするんだ。その辺に置いてっていいよ」
「それなら、甥御さんとこへ直接お届けしましたのに」
「いやいや、近く遊びに来るもんで、そのとき、びっくりさせてやろうと思ってね」
「持って行かれるかなあ、こんな重い物」
「なに、トラックを持っていてね。運送の仕事をしているから、どうってことはないよ」
 もちろん私に、運送業をしている甥などいはしない。脇の下に冷汗をかきながらではあるが、この架空の人物の設定は、機転というよりむしろ創造力といっていいのではないか。これまで古今東西のあまたの名作を丹念に熟読玩味してきたことによって、知らず知らずのうちに、私の脳にそういう作家的創造力が培われたのではなかろうか……。
 いや、つまらぬ御託を並べている場合ではない。私は店員が帰ると、さっそくバーベルを部屋まで運ぶ作業にとりかかった。しかし、どうしたことか、満身の力を込めて持ち上げようにも、バーベルはいっかな持ち上げられようとせず、それでも新しい所有者の機嫌をそこねないよう、ほんの少し、床から離れてみせた。当然のことながら、やはりバーベルは鉄製なのだった。
 私は、こいつをぶら下げて廊下を渡り、階段を登り、再び廊下を渡って、わが部屋の奥の押し入れまで行き着くことは、とうていできないことを悟り、カラーをはずし、バーからディスクを引き抜いて運ぶことにした。力不足を回数で補うのであるが、考えてみるとそれだけ時間がかかるわけだ。いつ、アパートの住人が忘れ物でも思い出して戻ってくるかしれない。にわかに空巣ねらいの心境に似て、気がせいてくる。
 バーの一番端のディスクは、小皿ほどの可憐さで軽量だったから、二、三枚重ねて楽に運べたけれど、バーの中央に進むにつれて、しだいに大きさと厚みを増し、ズッシリとした手応えになってきて、私の息を切らせ、手をしびれさせた。こんなことなら、ごまかしを言って早々に帰らせたりせずに、あの店員たちに部屋まで運んでもらうのだったと、後悔はやはり先に立たない。冬の訪れをひかえ、肌寒い気温なのに、全身汗みずくになって往復を繰り返した。
 やっと最後に、残ったバーを運ぶところまでいきつき、階段を駆けあがったとき、玄関で人の訪ねる声がした。どきりとした私は、急いで廊下から部屋の中へ逃げこもうとしたが、体が一歩も前へ進まない。怪訝(けげん)に思い、その原因を調べてみると、何のことはない、バーを横に持ったために、狭い入口につかえていたのだった。そこで今度は槍を突き出すように室内に放りこんだのだが、重くて遠くへ飛ばず、バーの後ろ端が踏み出した左足の甲へいやっというほどぶち当たった。泣きたいような激痛を堪えて下りていくと、弔電を間違って管理人宅に届けにきた電報配達夫だった。腹立たしくなった私は、葬儀会場の寺の名を叫んで追い払った。
 こんなふうに、トレーニングの開始前から気を遣いすぎ、また急激に力を使いすぎて、ほとほと心身ともに疲れ果て、われながら前途多難が予感された。それにしても、バーベルを運び終わって感じたのは、運動具店に支払う代金がなんら惜しい気がせず、むしろ近ごろにない安い買物だったと、しごく満足気な微笑みさえ湧いてきたことだった。いままでなら、ラーメン一杯食べては文庫本が何冊買えたのにと計算し、ネクタイ一本買っては全集本の何巻が揃えられたのにと悔やんで、本以外の購入はことごとく無駄に思えてならなかったのだ。成り行きはともかく、汗というものは実に健康な心理的効果をもたらす。

第三章 ひそかに開始

 いよいよ、ボディビル入門書の初心者スケジュールに基づき、数種目について私の体力に合わせた重量を選択し、週三日のトレーニングに入った。退館し帰宅してからなので、時間はだいたい夕方の六時から七時半ころまで。場所はもちろん、秘密の四畳半。
 箸より重い物とはいわぬまでも、せいぜい『広辞苑』より重い物を持ったことのない私は、あまりの非力ゆえに、種目のなかにはディスクを付けず、バーだけを上下するものまであった。三十にして立つ──私の人生にとって記念すべき出発であるはずなのだが、満面朱を注いで力む、その両手に支持しているものが鉄棒一本とあっては、絵にも何にもなったものではない。ただ密室であることで、辛うじてこの恥を我慢できた。ところで気になったのは、日ごろの運動不足を証明するかのように、トレーニング中、屈伸のたびに腕や脚の関節がコッキンコッキンと音を発し、隣室にばれてしまうのではないかと懸念されたことである。
 それはさておき、このあとに最高の楽しみを発見した。つまり、適度な運動のあとで一風呂浴びること、さらに、そのあとで食事をとること。この場合、アルコール飲料があればなおけっこう。私はトレーニングを終えると銭湯へ行き、まことに快適な気分を味わい、次いで街の食堂でビール一本とカツカレー一皿を注文、思わず「うまいっ」と叫んで、これまでにない味覚を味わった。こんな日常的な瑣事が、ボディビルによって至福の極みと感じられるのを喜び、帰途、角の雑貨屋で豆パンと牛乳を買ってきて、これもたちまち平らげた。
 翌朝、体の諸筋肉に疼痛を覚え、その覿面(てきめん)な効果に一驚させられたが、困ったことには、立ったりしゃがんだりはもとより、歩行さえ難儀になり、場合によっては笑ったり咳をしたりしただけで、その個所が響く。もともと、私は、あまり笑いたがる性質ではないほうだし、威張って咳払いをしたりもしないほうだと思っているけれど、図書館にやってくる子供たちのひそひそ話が、だんだん大きくなって、他の来館者に迷惑をかけているときなど、やはり咳の一つくらいは出して静粛を保つよう注意を促さなくてはならない。ところが近ごろの子供たちは、咳の一つくらいでは一向におしゃべりをやめようとせず、まったく傍若無人な態度をとり続けて平気なのだ。そこで立て続けに二つも三つも四つも咳をすることになると、今度は私までが館内の静粛を乱す者になっていたりして、何かとややこしい。要するに、そんな些細なことでも全身に痛みが走るのである。
 こんな状態でトレーニングを続行することは拷問に等しい。バーベルを持ち上げる私のささやかな筋肉の束は、ワイヤーが切れるようにプツプツ千切れていく危惧すらした。しかし、初日に持ち上げられた重量なのだから、無理なはずはない。たかが、隔日一時間半の苦しみではないか。私は初志貫徹を心中に唱え、歯を食いしばり、脂汗を流しながら、この自虐的トレーニングに耐えた。
 二、三日たつと微熱が出始めた。一週間後から扁桃腺(へんとうせん)が腫(は)れた。二週間後には両手首を傷め、整骨院に通うという情けない事態となった。そのため十日間もトレーニングを休まなければならなかった。開始早々のつまずきは、いささか精神面にもショックを与えたが、私はこれを挫折ととらず、「一旦停止」と称することにした。そして、ほとんど執念と化して、手首が治るとともにすぐさまトレーニングを再開した。今度は半月くらいで肘と膝を傷め、また十日間、マッサージと低周波治療を受けた。次いで、肩、背中とバーベルの増量につれ、体の末端から中央部へかけて、一通り故障が発生し、そのたびに一旦停止を余儀なくされたのである。
 往々にして初心者は、筋肉を早くつけたいとの焦りから、体の発達に先行する重量や練習量を強いて、かえって過ぎたるは及ばざるがごとき結果となりがちなものなのだ。し過ぎないということにも強い意志が要るのである。──筋肉は使い過ぎると衰弱する──単純明快なルーの法則も、これで実践するとなると、なかなかむずかしい理論であった。それはそうと、私の体はあまりに軟弱なために、ちょいと負担が過ぎると決まってどこかが痛み出し、そこで休息期間が設けられて、紙一重のところでオーバー・トレーニングになるのを防いでいたらしい。
 バーベルを持ち上げるという行為は、非常にハードな運動であって、事前にじゅうぶんなウォーム・アップが必要不可欠なのだが、あいにく、このアパートは縄跳びなどの振動に敏感すぎる建物なので、秘密を守るため、その点がおろそかになった。そんなことにも、整骨院のお得意さんになる遠因があったようである。そうこうして試行錯誤を重ねながらも、着実に私のトレーニング方法を見つけていった。
 バーベルを押し、汗を流し続ける私にとって、時間は止まったもののようであった。この四畳半の外の世界は、なんら眼中になかった。気がつくと、いつしか街は雪に覆われ、そして、それもやがて融け始める季節に移り変わろうとしていた。

 私の胸が、思春期を迎えた少女のようにふくらみ始めてきたことに気づいたのは、いつだったろう。銭湯の脱衣場の大鏡の中にそれを発見したとき、心臓が激しく高鳴ったものだ。薄っペらで肋骨の浮いていた胸に大胸筋が盛り上がり、その厚みでみぞおちから乳頭の下にかけて、曲線を描く影ができている。尖って貧相だった三角筋が丸みを帯び、男らしい肩幅をつくっている。ひょろ長いだけの腕に力瘤が硬くソフトボールほどの塊をなし、その裏側になかったはずの三頭筋が現れて、腕の太さは優に一・五倍に増えている……。裸になると、思わず肩をすぼめ、前屈みになってしまった、あの私が、肩凝りと胃痛に悩まされ続け、いつも鬱屈としていた私の体が、確実に変革しつつあったのである。
 筋肉痛はもう起きなかった。食欲は増し、体に充実感が満ちていた。ボディビルにはシット・アップと称する腹筋運動を、必ずスケジュールのなかに組み入れることになっている。これが胃腸をはじめ内臓諸器官に刺激を与え、消化機能を促進させるのである。この腹筋を折りたたむ屈伸運動は、やればやっただけ必ず腹が減るから効き目はあらたかだ。
 筋肉を肥大させるには、もちろん適度な運動量と、同時に栄養の摂取が不可欠だ。小食のうえ、偏食の激しかった私は、このごろ、いままでのロスを取り戻すかのように、徹底した食欲魔に変じてしまった。かつては淡白な日本料理が口に合っていたのに、このごろは油っこい肉料理を猛烈に好んでいる。安月給では厚い牛肉のステーキなぞ望めないので、もっぱら羊肉のジンギスカン鍋、豚肉の鉄板焼きを愛好し、加えて生野菜を馬みたいにばくばく食べている。これで体重が増えないわけがない。銭湯へ行って、ヘルスメーターに上がるたびに目盛りは確実に上がっていく。こうして、この一冬の間に体重はちょうど一〇キロ増加して五八キロに達した。
 入浴は、いまや私にとって一つの快楽であった。実際、運動したあとで汗を洗い流す爽快感というものは、やってみた者にしかわからないだろう。自分で鍛えあげた筋肉の一つ一つに石鹸をこすりつけるのが、これまた楽しくてしょうがないのだ。
「あんさん、いい体しとるねえ」
 銭湯で隣から声をかけられたことがある。見知らぬ老人で、私は少々面食らった。
「ボクシングでもやっとるのかね」
「いや、ちょっと別な運動ですけど」
「やっぱり、力もあるんだろうな」
 上気した皺(しわ)だらけの顔は、私に見とれている様子だった。
「まあ、普通の人よりは」
 私は得意気に答えたものだ。
「そんな見事な体じゃあ、病気なんか知るめえさ」と言ったあたりから、話題は一転し、最近、神経痛でかなわないと訴え始めた。けっきょく、老人が話しかけてきたのは、私の体に見とれたのではなく、悩みを聞いてくれる話相手がほしかっただけのことなのかもしれなかった。しかし、体をほめられたのは生まれて初めてのことであった。私は嬉しさに顔がほころびてくるのを、どうにも止めようがなかった。
 ふと、私を嘲弄した女性たちに、この筋肉美を見せてやりたい気分が少なからず起きてきた。──あの読書会は、このところ活動が停滞気味で、さっぱり腕相撲のチャンスもない。だからといって、今、隣の女湯のほうへ入って見せるわけにもいかず、また彼女たちが来ているとは限らない。それにしても、もっと若い女性がきっと入っているに違いない。……いや、これは関係ないことだ。熱い浴槽に体を沈めながら、私は妄想を打ち消した。

第四章 奇妙な出会い

 まずいことが起きた。この半年、ひそかに続けてきたトレーニングが、ついに発覚してしまったのである。
 ちょうどスケジュールが次の段階に入り、増量したバーベルで、いつものように開始した日であった。トレーニングの順序は、比較的軽い腕の種目から入って、肩、胸、下肢と、筋肉の小さいほうから大きいほうへ、つまり重量の軽い運動から始めて、より重い運動へと移行していくのだが、フロント・プレスのあたりで早くも汗をかき、あくびまで出始めた。数日前から、図書館で目録カード作成の根をつめる仕事が続いたので、体内に疲労が溜まっていたのかもしれなかった。
 こういうときは軽く流しておけばよかったのだが、負荷を新たに加重したこともあって、気持ちのほうは、体調とは別に張りきっていたらしい。かまわず続けて、下肢を鍛えるスクワットに入った。脚は最も筋肉が太いから、使用重量が最も重くなる。この種目は、傍目(はため)にはバーベルを担(かつ)いで立ったりしゃがんだりを繰り返すだけに見えようが、ボディビルのなかで、一番苦しく、一番疲れる運動である。何度目かの立ち上がりのあと、急に眼の前が暗くなり、意識が遠のいていった。
 ……気がつくと、バーベルを枕にして仰臥(ぎょうが)している。平らに寝ているのでなく、頭がどこかに落ちこんでいく気がした。それもそのはず、床が畳ごと斜めに陥没していて、私の体もその床下の暗い穴へずり落ちそうなのであった。バーベルの重みで、古びて弱っていたタルキその他が折れてしまった、と判断できた。
 これはまずいと思っていると、案の定、ドアをどんどん叩く音、それに「どうしたんだ、おい、何があったんだ」と叫ぶ声が聞こえる。私は観念して、床の穴に滑りこまないように起き上がり、ドアの止め金をはずしに行った。廊下に、家主、部屋の直下一階の住人、そして隣室の住人が怪訝な顔つきで立っており、半裸で汗まみれの私の姿を認めて、一瞬驚いた表情になった。
 先に、ボディビルは重量挙げではないから、バーベルを取り落とすことは絶対にないと記したのであったが、貧血を起こしたときのことを考慮していなかった。私は、八〇キロのバーベルを担いだまま意識を失い、後ろに転倒したもののようである。その衝撃で、とてつもない轟音が響いて床が下がり、直下の部屋は天井板が下がり、夕食の用意をしていたテーブルの上に蛍光灯がはずれて落ち、粉々に飛び散ったということだった。
 彼らは、私の体に怪我がないのを知ると、突如、私の行為を糾弾し始めた。家主は、あたかも爆弾製造中の犯人でも見つけた口調で、「何をやってんだ、君は」と怒鳴った。私は平身低頭ひたすら謝るばかりだった。体を鍛えたかった、ただそれだけの一念であって、アパートをぶっ壊したかったのではないことを強調した。深くうなだれて謝罪に徹したら、破損したもの一切の修理および今晩の夕食代を弁償すること、アパート内において二度とボディビルを行わないこと、を誓約させられた。
「それが嫌なら出て行ってもらおう」家主は眼を据えて切り口上で言った。安普請のせい、手抜き工事の疑いもあると反論したい気がしたが、私の過失で壊してしまった以上、何も言える立場ではなく、降参するしかなかった。とりあえずここは収めておき、他日に適当な住まいを見つけて移ろう、内心でそう考えていた。
 家主と階下の住人は最後まで憤然とした面持ちであったが、隣室の住人は、帰りしなに「ふだん、服を着てるし、顔が痩せているから気づかなかったけど、すっごくいい体してるんだねえ」と、私をしげしげと眺めながら嘆息したのであった。しかし、この言葉はさっぱり私を嬉しがらせなかった。その隣室の住人のへんな眼つきが気持ち悪かったし、何よりも弁償代の負担やらトレーニングの中断やらで、すっかり頭の中が混乱していたのだ。

 代わりのアパートも下宿もおいそれとは見つからなかった。ちょうど年度変わりの月で、転勤者の新旧交代などの多いときだったのだが、どこも新建材を使って美しく、広く、便利である反面、家賃がひどく高かった。
 家主は私のバーベルを物置に入れて鍵をかけてしまった。それだけでなく、ときどき部屋をのぞいては監視を怠らない。こうして、いたずらに時日を費やしていると、体がだんだんナマって、元の痩せ細った姿に戻っていく気がして、私はいらいらしてきた。思い余って腕立て伏せを試みたら、バーベルで鍛えた体には手応えがなく、五〇〜六〇回ならいとも簡単にできてしまう。そこで、このように回数の多い運動は、体を引き締めるにはいいが、筋肉肥大には逆効果であることに気づき、あわててやめるのだった。
 銭湯へ行って、鏡に写して見る私の体は心持ち細くなっているような気がした。トレーニングをやめて二週間目に体重を測ったら、なんと一目盛り下がっていて愕然とした。それから銭湯へ行くのがこわくなってきた。そうかといって、やはり気になって、出かけないわけにはいかないのだった。
 ある夜のこと、行きつけの銭湯へ行くと、何があったのか「本日休業」の札が下がっている。そのまま引き返すのも癪(しゃく)で、私は何が何でも入浴したい気分になってきて、メーンストリートを横切り、居酒屋横町の隣にある、行ったことのない銭湯へ足を伸ばした。そして、番台にお金を払って脱衣場へ上がったとき、鏡の前にいた男の姿に瞠目させられたのだった。
 それは、すばらしく発達した上半身を持つ、明らかにボディビルで鍛えた肉体であった。私の胸が少女のそれに毛の生えたようなものとすれば、男のそれは年増女のお尻のように、段違いに逞しく、デラックスなのだった。彼はしきりにポーズを決めていた。腕を折り曲げて力瘤をきわだたせてみたり、両手を腰に当てて胸を張り、大胸筋をぶるんぶるん震わせてみたり……。そのたびに丘のような筋肉は一つ一つ緊張と弛緩を繰り返す。なかなか目鼻だちの整った美男で、歳は二十代半ばといったところ。鏡に映る己の美しさに陶酔しているように見え、それでいてちっとも滑稽な感じも嫌味もおきてこない。ギリシャ神話のナルシス少年は、水面に映る自分の姿に恋焦がれて死に、水仙になったというが、実は魔法が解けて、再び人間に戻り、青年に成長してこんなところに現れ出たのだろうか。
 この「ナルシス青年」の見事な筋肉群に圧倒されて、私はなかなか裸になれないのだった。しかし、着たままで入浴するわけにはいかず、手早くセーターも下着も重ねたまま丸ごと脱いで籠に放りこみ、浴場へ向かった。そのとき、ちらりと鏡を盗み見すると、彼はザリガニのような恰好のポーズをとっていて、ふいに鏡の中の私と視線が合い、「おっ」というような表情をした。けれども、私はとても太刀打ちできる体ではないので、犬がしっぽを巻いて逃げるのと同様のていで、浴場の磨りガラス戸の間に飛びこんだのである。
 少したって戸が開き、彼も入ってきた。タイルの床を踏んで私のほうへ近づいてくる。そして、浴槽の中へ入ろうとして湯の熱さに思わず足を引っこめた恰好の私に、声をかけた。
「すみません。ぶしつけですけど、あなたもボディビルをやってるんじゃないですか」
「え、ええ、まあ一応はそうなりますが」
 私はどぎまぎして情けない声を出した。
「やっぱり! ぼく、ちらっと見てそう睨んだんです。ただの体じゃないなって」
「いやあ、とんでもない。私なんか、君に比べたら月とスッポンです」
「いえいえ、デフィニションが見事です。それにしても奇遇ですね。この街でバーベルを押しているのはぼく一人かと寂しい気がしてたんですが」
 青年の涼やかな眼は、喜びを素直に表していて、私は負け犬の心境から解かれ、すぐさま心がなごんでくるのだった。そこで私たちは改めて挨拶を交わし、簡単な自己紹介をし合った。二人とも全裸で、前をタオルで隠しながら。
「本当に、こればかりは裸にならないとわかりませんからね」と私は言った。ナルシスも顔は普通の人と変わらない、いくらか頬がこけているくらいだ。バーベルは体形を変えることができるが、顔の形は及ぶところではない。
 彼は私の背中まで流してくれて、一方ならぬ好意を示した。
「どうですか先輩。上がったらいっしょに一杯やりませんか」
 肉体的には明らかにナルシスのほうが先輩であったが、彼は年齢に基準をおき、言葉づかいも目上を立てた折り目正しいものだった。私は快諾した。
 ナルシスの折り目正しさは、コップ酒を何杯飲んでも崩れることがなく、酔うほどに二人は胸襟を開き、共通の話題に飽きることがなかった。彼も体が弱かったのだそうである。それで一年前からボディビルを始め、当初四五キロしかなかった体重がなんと六七・五キロにもなったという。やはり半年のキャリアの差、また何よりも若さの違いが、この華麗と呼ぶにふさわしい筋肉をつくりあげたのに違いなかった。私は初対面の、しかも年下の者の前で弱音を吐くまいと耐えていたのだが、酔いで自制心をなくしたらしく、ついに、一カ月前バーベルでアパートの床を抜いた一件を洩らしてしまった。すると彼は、アハハハとせっかくの端整な顔をすっかり台無しに崩して笑い出し、少しく私をむっとさせたあと、
「ちょうどいい、それじゃあぼくのジムでいっしょにやりましょう。明日でも、先輩のバーベルを運びます」と実に感動的なことを言うのである。
 私はふいに目頭が熱くなり、ナルシスの手を固く握り締めた。その弾みで、彼の掌のなかの、焼いたホッケの開きを突ついていた割り箸が折れたほどだった。私の感激は、そんなことでは表しきれず、
「今夜は私がおごるよ。おやじさん、もう一本つけて」と叫んだくらいである。
「いや、過ぎると体に障ります。もう一本といきたい、その手前でやめておきましょう」
 彼はどこまでも折り目正しい。私はつくづく感心し、最後に大盛りラーメンを食べて、この運命の邂逅(かいこう)の夜のフィナーレを飾ることにしたのだったが……。
 ナルシスはラーメンを啜(すす)るとき、とてつもない騒音を立て、そのたびにそこら中に汁を飛び散らかすので、私は自分の丼を五〇センチもずらさなければならなかった。折り目正しく見えながら、これでけっこう酩酊しているのだろう。汁を丼の底が見えるまできれいに平らげて、唇から顎までびしゃびしゃに濡らしている。どうも、現実の世に生きのびて現れたナルシスの行動というものは、神話のごとくロマンチックにはいかない。

 明くる日、仕事が終わると、約束どおり私はナルシスのジムを訪ねた。彼の家は商店街のど真ん中にあり、「新古物センター」とやらを経営している。これは、消費者が一度使って不要になった電気器具、その他生活用品をきちんと修理して安い値段で売る、いわゆるリサイクルの店である。また新品もあって、ただし流行遅れでデザインが古かったり、倒産した店のものを格安で卸してきたりするので、同じ新品でも大変に安いとのことだった。そんな商売だから品数はかなりにのぼるし、店頭に並べきれないから、店の裏に離農した農家の納屋を解体して造ったという倉庫があって、ここにもたくさんの商品が入っている。ナルシスのジムとは、この倉庫の片隅であった。
 コンパネを敷きつめた上に、バーベルと、バーベルを随意の高さに固定できる鉄パイプ製のスタンド、角度を自由に変えられるレザー張りのベンチまであって、さすがに私の四畳半とは違う。壁に貼ってあるスケジュール表を見ると、トレーニング種目の多様なこと、バーベル負荷の重いこと、セット数の多いこと、どれも私とは格段の差がある。
 それから、いかにもナルシスらしいのは、正面に大きな鏡のついた衝立が置かれていることだ。おそらく彼は、トレーニング終了後、一人、鏡の前でさまざまにポージングしながら、おのが肉体美を堪能しているに違いない。それにしても、鏡に映った私の姿を見るに、背後に雑然と並ぶ中古のテレビ、石油ストーブ、洗濯機、冷蔵庫、炊飯器、餅つき機等々の在庫品と渾然となって、私もそれらと同様、中古品めいてくるのにはまいった。お世辞にもきれいな場所とはいえないが、しかし、思いっきりバーベルを動かせ、ときには叩き落としてもかまわないこの倉庫は、やはり大げさでなくジムと呼んでいいだろう。
 さっそくアパートの物置に監禁されていた私のバーベルも、新古物センターのワゴン車によって運ばれ、私は初めて密室から出てトレーニングを行ったのである。そこで見たナルシスの鍛え方は、まことに力強い筋肉の躍動に満ちたものだった。彼は呼吸法を大切にし、たとえばベンチプレスなら、息を吸いながらバーベルを下ろし、吐きながら押す。スクワットなら、吸いながらしゃがみ、吐きながら立つ。バーベルを握る腕は少しもふらつかず、ボディビルの本当のトレーニング法を、目の当たりにした感があった。
 私が行うときはバーベルの重量を、ナルシスに比べ五キロ以上、種目によっては一〇キロも落とさなくてはならないものがあり、力の差を見せつけられる思いがした。しかし、一人がバーベルを上げるとき、もう一人に「一(いち)ッ、二(にい)ッ、三(さん)ッ……」と数えてもらうと、その分、意識を集中できるものだ。事実、もう腕がだるくなっているときでも「それっ、最後だ」などと気合を入れられると、どこからか力が湧いてきて難なく上がってしまう。やはりトレーニングは密室なんぞで行うものではなく、複数の仲間がお互いに励まし合いながら行うべきものであるようだ。そしてまた、これほど励まし合う効果の歴然としたものもあるまい。
 途中、ナルシスの父親が倉庫に入ってきて、紹介された。ナルシスの晩年を想像させる彼にそっくりの当センターの店主は、
「若者よ、体を鍛えておけ、といいますからなあ」と歌の文句のようなことを言い、次に学のあるところを披瀝した。
「昔、インドで、狼に育てられた少女が救出されたことがある。ところがこの少女、いくら教育しても人間らしさを持てなかった。昼は部屋の隅にうずくまり、夜になると遠吠えをするわ、噛みつくわで、一生、狼の習性が抜けなかった。知能の教育も体の鍛練も、適期というものがあって、それを過ぎるともういけない。若いうちです、何事も」
 自分の年齢と私たちを比較して言ったつもりかもしれないが、私にとっては、ナルシスと私とが比較されているような気がして、皮肉ともとれる寓話だった。それにしても、父親がボディビルに理解を示しているのは大変ありがたいことで、私も心おきなく、このジムを利用させてもらえるのである。
 ところが問題がないわけではない。私の住むアパートは街はずれにあり、ナルシスのジムまで約三キロ離れている。少し遠すぎるこの道程をどうやって通うか、そのことを言うとナルシスは「走って往復したらどうです。ウォーム・アップに最適な距離じゃないですか」とアドバイスしてくれた。言われてみればもっともで、私は、このような地の利、人の利と恵まれた条件に、天に感謝する気持ちになりながら、さっそく帰途、わがアパートまで走ってみたのだったが……。
 いままでトレーニング前の体ならしや、終了後の調整運動としては、左右階下を気にしながら軽くラジオ体操をする程度にとどまり、走ることなど、ここ数年経験のないことで、心臓が爆発しそうに疲れ果て、アパートについたときは階段を上がるのもやっとで、部屋に入るやどっかと坐りこんでしまった。すると、家主が急いで上がってきて、
「ひどい音がしたけど、またバーベルを持ちこんだんじゃあるまいね」と疑わしい眼つきで部屋中をじろじろ探るのである。
「押し入れでも戸棚でも見てください。ただ坐っただけで疑われたんじゃあ、たまったもんじゃない」
 ナルシスの父親とあまりにも違う、この元消防団長の態度に、私は、まだ苦しい息のなかから憎しみを込めて言ったのだけれど、考えてみれば、しょせん、それは私が蒔(ま)いた種なのだった。
 ところで、どうにも私には無理であった。ナルシスのジムまで走ることは、もうそれだけで疲労困憊(こんぱい)し、バーベルのトレーニングが過重に思える始末だった。往復走れば六キロにもなるわけで、私はランナーとしてのトレーニングをしているのではない。いっそ新古物センターから、中古の自転車でも買おうと思って物色してみたが、あいにく子供用しかない。
 それでは歩けばいいようなものだが、私はこの往復のために素敵なブルーのジャージーを買ったのだ。新古物センターは商店街の中にあるから人目も多い。したがって颯爽(さっそう)と走らなければならず、途中でへたばるなんて醜態を断じて他人に見せたくはないのである。そこで、倉庫まで、あるいはアパートまで何が何でも完走し、そのあと人目のないところでぜいぜい大息をつく有様だった。

 こんな悩みが無意識に働いていたせいか、無理な姿勢で重いバーベルを持ってしまった。ベント・ローイングの最中、肩の深部に筋違いを起こして、もう書きたくないことだけれど、またまた整骨院に通うことになった。数えてみれば、これが五回目の通院であり、とても恥ずかしい。しかし、懇意になった整骨院の先生は、万事心得ていて嫌味をいわず、
「しばらく会わないうちに、また一段と逞しくなった」とほめそやすものだから、つい有頂天にさせられる。
 そうこうして整骨院に通っているうちに、同じく通院加療中の「ファンキー」と知り合いになった。日本人離れした顔立ちの男で、髪の毛を縮らせ、かつネギボーズのようにふくらませていることと、クリクリよく動く眼から、京劇の孫悟空を連想させられた。その印象的なことは服装についてもいえる。彼のつなぎの作業服はいくつもの原色を丹念に飛び散らかし、まるで色盲の検査表みたいなのだ。あとでわかったことだが、塗装工で十九歳、二階の壁塗り中に横板を踏みはずして落下し、大腿部を打撲したとのことだった。
 その彼が、治療室で私の上半身を一目見て驚き、ぜひ自分も仲間に入れてほしいと言い出したのだ。まだ少年の輝きを失っていない丸い眼を忙しくしばたたきながら、自分もそんな体になれるか、何カ月でなれるか、栄養摂取にお金がかかりすぎないか云々と、間断なく質問を浴びせて、私を閉口させた。ところが、整骨院をいっしょに出るとき、私を送って行くと言い、宇宙飛行士のようなへルメットをかぶった。そして入口の横に停車してある、とてつもなく大きなオートバイに跨がると、ドドーンという感じの快音を響かせ、一発でエンジンをかけた。
 服装はひどいといえばひどいけれど、オートバイは見事に磨きたてられていて黒光りしている。それは一頭の精悍な黒豹(くろひょう)を思わせた。私は彼の後ろに乗せてもらって、初夏になりかけた風のなかを通過しながら、ファンキーを仲間に入れてやってもいいな、と考えた。もちろん、その爽快な乗り心地、そしてスリリングなほどのスピードに対する打算が働いていたことは否めない。
 ナルシスに相談すると異存はなく、二人の体の故障が治るや、私はファンキーの黒豹号に乗せてもらって、ナルシスのジムヘ快適に通い、本格的トレーニングにいそしんだ。
 ファンキーは、整骨院では下半身しか、それも傷めた右脚しか出さなかったのでわからなかったが、上半身もスポーツ万能のようないい体をしていて、またトレーニングも私たち先輩二人の助言に一々「はいっ、はいっ」といい返事をして、真面目に取り組んでいる。
 また彼はどんなに注意を払っても、頭のてっペんから爪先まで塗料まみれになる因果な職業についている。ために、この中古品が山なす、どちらかといえば、うらぶれた気配の倉庫内に、とてもサイケデリックな色彩感覚を持ちこんできた。その日の仕事によって、日々違うペンキを服やズボン、靴に飛び散らかしてくるのである。住宅の壁塗りをした日は純白になり、スチーム・パイプを塗装した日は銀色に輝き、石油タンクを塗った日は真っ青の妖気を漂わせ、遊園地の遊具を塗った日は鮮やかな黄色を発散させる、というふうに。
 半身を炎のような赤色に染めてきた日は、橋の鉄骨をエアーコンプレッサーで吹き付けしたのだが、風が強くて、体の片側にペンキの飛沫が集中したということだった。こうなると、この孫悟空、キント雲の術や七十二般変化(へんげ)の術をマスターするにはほど遠いにせよ、少なくとも全身の二分の一くらいは確実に化けられるように見える。

第五章 ボディ・コンテスト

 ボディビルを行う者にとって、夏は歓迎すべき季節ではない。私の住む、この道北地方は典型的な内陸型気候で、冬はマイナス三十度以下に下がる日さえあるのに、夏は三十度を超える暑さが連日続くのだ。黙っていても発汗が激しく、夏バテ気味になる。だからトレーニングは、夜の涼しい時間帯に軽く行う程度にとどめ、猛暑が過ぎ去るのを待たなくてはならない。いわば夏は招かれざる客なのである。
 ところで、誰も彼もが薄着となるこの束(つか)の間は、日ごろ鍛えあげた体の各部分を露出するときでもあって、したがって「あら、あの人すごい体だわ」という具合に、他人から注目され、畏敬されるという点では、夏はビルダーにとって大いに歓迎すべき、またとない季節といえよう。
 それにしても、ボディ・コンテストに出場してみないか、とナルシスに誘われたときは驚いた。彼が購読しているボディビル専門誌で、北海道の男性美ナンバーワンを決める催しが、近く、オホーツク海に面したX市で開かれることを知ったのだった。正直いって私は乗り気がしなかった。いくら何でも、トレーニング歴まだ半年、人前に披露できるほどの体になっていない。よしんば、私が、世界のトップビルダーと同様の体格に恵まれたとしても、それだけは何となく躊躇(ちゅうちょ)する気持ちがある。体を鍛えるためにボディビルを始めたけれど、それを大衆の面前に誇示するのには抵抗を感じる。ファンキーは興味を示したものの、自慢できる体にまだ到達していないと考えているらしく、やはり戸惑いを隠せない様子だ。
 しかし、ナルシスはすっかり乗り気だった。三人の逞《たくま》し度を順にいえば、トップはナルシス、ついで私、ファンキーと、どうしてもキャリアの順となる。そして、私とファンキーの差は、同じ人間が厚手のセーターを着たのと薄手のセーターを着たのとの差くらいなのに、私たちとナルシスを比較するとその上に羽毛入りのアノラックを着たほども違う。彼我の体を見比べて優越感を持ち、その気になってしまうのも無理はない。実際、彼の胸および腕の肥大ぶりは私たちもほれぼれするくらいのものなのだ。そのことをいうとナルシスは「いやあ、先輩だって、ファンキーだって、いい体だよ。そりゃあ入賞はどうかわかんないけど、予選はきっと通過するって」と、このときばかりは日ごろの謙虚さを忘れ、一人自分だけが入賞者の顔をして励ますのだった。
 たび重なる熱っぽいナルシスの慫慂(しょうよう)に、二人は、ジムを借りている義理もあって無下に断るわけにもいかず、ついに、一応行ってみることにした。知らない街で出場するのだから、恥をかいてもかき捨てだ、そういう気楽さもあった。
 さっそく二千五百円もするビルダーパンツを買い、その日からトレーニングを早めにすませて、ボディビル専門誌のグラビア写真と首っ引きで、ポーズのとり方を学んだ。鏡の前で胸をふくらませたり、横向きになって腕を曲げ太くしたり、爪先を上げ気味にして脚を引き締めたりしては、互いに批評し合うのである。
 ──リズミカルに、流れるように、基本三ポーズを折りこみながら、自分の自慢の部位をアピールしていかなくてはならない──とナルシスは言うが、とても、そのようにいくものではない。私やファンキーは、自分の体を何となく逞しいと思っているだけで、ポーズをとってみると、とり立てて自慢できるところなど、まるで見当たらないのだ。そこで、できることは──戸惑いつつ、ぎこちなく、恥ずかし気に、そしてしだいに恥も外聞もなく、ただ滅多やたらにいろいろなポーズをとり続ける──しかなかった。
 ナルシスがやるといかにも華麗なポーズと見えるものが、私とファンキーが試みると、ふてくされた者が阿波踊りをやっているようにしか見えない。これはやはり筋肉の厚みの違いによるものだろうか。決定的なのは、ナルシスがつねにシリアスな表情を保ち続けられるのに対し、私もファンキーも、何とも眼のやり場に困ってしまって落ち着きがなくなることである。それは、そんな恰好をしても真顔でいられるということより、真顔をつくる下地に問題があるのかもしれない。
 ミスター・コンテストというからには、ミス××というのと同様、かなり容貌が物をいうだろう。スタイルを競うにしても、まず気にならない程度の顔というものがあっていえることではないのか。私自身、さほど不器量とは思っていないけれど、やはりナルシスの眉目秀麗と並ぶと、かなり落ちることは認めねばならない。それから、ファンキーの顔となると、これはもう既報のとおり、相当人間離れしている。このことは体形についてもいえる。筋肉のつき具合を競うにも、均整のとれた骨格というものがあっていえること。私もナルシスも幸いなことに割と足長なのに比べ、ファンキーは典型的な胴長短足なのだから。
 いや、こんなことを書くのではなかった。私の意識の底にひそむ競争心が、少しでも優位に立とうとして、大切な仲間であるファンキーの欠点をあげつらねていたようだ。ファンキーは心優しき友である。そんな己の面容、体形をおそらく知悉(ちしつ)していて、なお、一言も不平を鳴らさず、ナルシスの晴れの舞台に花を添えようとしているではないか。……しかし、それにしても私は、このように生まれつきというもので、勝負が決まってしまうかもしれないものに、いま一つしっくりしない気分が残るのだった。

 いよいよコンテストの当日がやってきた。三人は、新古物センターのワゴン車に乗りこみ、真夏の太陽が焼きつけるアスファルトの国道をひた走った。車中、皆、朝五時に起きてきたので、少々眠気を催した。ナルシスはバックミラーをのぞいて「昨夜はさっぱり眠れなかった。こんなに目蓋(まぶた)が腫れて、審査員の印象がよくないのでないか」とか、これはのぞかなかったけれど「コンテストの最中、男性自身が元気になったらどうしよう」とか、およそつまらぬことを心配し続けていた。
 三時間余の走行の末、やっとX市に到着した。潮の香がする街は、道路の両側に紅白のだんだら幕、頭上に造花をあしらった飾り電球が吊り下げられていて、私たちを歓迎していると見えた。しかし、その祭り騒ぎの真の理由は、途中で見た、鳥居の前に立っている二本の幟(のぼり)によって判明した。何のことはない神社祭典の真っ最中、本当の祭り騒ぎだったのだ。
 コンテスト会場に当てられた市営プールは、海に面した砂浜に建てられていて、内陸からはるばるやって来た者の感想としては、何で、せっかく海があるのにプールが要るのか、合点がいかない。鉄骨づくりの全長五十メートルという公認記録用プールは、天井が透明にできていて、青空が眺められ、むやみに広い気がした。コンテストはこの中に観衆を入れるのではなく、予選審査をここで行い、予選通過者による本審査は、プール横手にある野外音楽堂に観衆を集めて行うとのことだった。海浜は折から海水浴客でごった返しており、別に改めて人集めをする必要もないわけだ。
 受付には、半袖シャツの上からもはっきりわかる、凄い体つきの男たちがつめかけていた。私たちは急におじけづき、それでもナルシスを先頭に手続きをすませた。裸になると、彼らは極端に肩幅や胸が広く、かつ極端に腹の細い、まるでアメリカン・フットボールのプロテクターを着け、そのまま肉体になってしまったような、すさまじい筋肉の所有者ばかりだった。私たちは浮き足立つとでもいうか、どうにも体に力が入らない。
 予選審査は、審査員の前に何人かずつ並べられて身長、体重、それに胸囲、腕囲、大腿囲などを確認のあと、いっせいにポージングさせられた。一糸まとわずではなく、ビルダーパンツを着用しているものの、このハンカチほどの小さな服装ではどうにも恥ずかしいどころの騒ぎではなく、顔から火が出るようであったけれど、隣の者も見られているのだと思ってどうやら我慢した。実際、どの審査員も私なんぞには眼もくれず、私以外の者へ視線を向けているようだった。そんななかで、私は、やけくそになって、体操のように同一の動作を繰り返していたにすぎない。
 案の定、私とファンキーは、この予選をものの見事に落っこちてしまった。結果が知らされたとき、ファンキーは舌打ちをしたが、私はこのあっけない結果に内心ほっと安堵し、それからやっと足が地に着いた感じになったのである。
 ナルシスは、予想どおり予選をパスした。興奮を隠せず、
「ついに来るところまで来た」と上ずった声になっている。ファンキーが、高ぶる彼の胸をぴしゃぴしゃ叩きながら言った。
「頑張って。みんな肉づきはいいけど、ナルシスさんほどスタイルのいい人はいないみたいだよ」
 私も一言激励を言うべきであった。そこで、「最後は万歳のポーズで決めろよ。腕、肩、胸と筋肉が一つにつながって、ギリシャ彫刻のようになる。あれには誰もかなわないさ」と、自信をつけさせた。ナルシスは重々しくうなずき、眼で私たちに謝意を表してから、全身でガッツポーズをとってみせた。
 砂浜に巨大な帆立貝が口を開けていて、その周辺を小さな人間たちが右往左往しているように見える。この帆立貝はガリバーが巨人国から持ち帰ったものではなく、X市自慢の野外音楽堂なのであった。午後からの本審査はこの貝殻屋根のステージで行われた。
 司会の声がスピーカーを通して海浜に響きわたると、海水浴を楽しんでいた者たちがぞろぞろ集まってきた。私とファンキーは、ステージの真ん前にある審査員席のすぐ後ろに陣取った。しだいに風がとだえ、汗がにじみ出すので振り向くと、すっかりとりまかれるほど人だかりがしていて、なかには水着の女性まで混じっている。ファンファーレが吹奏されて、再び正面向きを促される。ステージには予選を通過した十人のビルダーたちがずらり並び、その前で誰かが挨拶をしている。ナルシスは中央の辺りで、隣の者の体を見たり、貝殻屋根の端を見たり、そわそわしている様子だった。
 それから順に名前が呼ばれ、呼ばれた者は中央の壇上にのぼりポージングを始めた。アガってこちこちの者、すっかり慣れっこになって派手なポーズでアピールする者、力みすぎて真っ赤なしかめっ面をする者、いろいろな男たちが壇に上がっては下りた。
 ナルシスの名が呼ばれたとき、彼は明らかに観衆の視線を意識した、ぎこちない歩き方で私たちをはらはらさせたが、蹴つまずくこともなく登壇し、あの華麗なポーズを次々と披露し始めた。私の眼には、他の九人のビルダーたちに比べ、均整は抜群にとれているが、どう贔屓目(ひいきめ)に見ても、筋肉の厚みがいま一つ劣る気がした。しかし、凛々(りり)しい顔立ちや、つきすぎていないしなやかな筋肉が、流れるようなポージングとぴたり合って、観衆の印象は意外によかったようである。私たちの横にいた、二人連れの水着の中年女性は、それまでの男たちの演技を「気持ち悪いわねえ」などと評していたのに、ナルシスが最後に正面を向いてポーズを決めたとき、二人とも思わず溜め息を洩らしたほどだった。
 ナルシスが終わってしまうと、やっと冷静な眼で演技を眺める余裕ができた。私の観察によると、男の体はみな決まった部分にしか筋肉がつかないのだが、誰一人同じ体はないものである。大胸筋一つとって見ても、丸みを帯びたの、角張ったの、山のようなの、丘のようなの、ぼってりしたの、きりりと引き締まったの、と十人十色なのだ。部分でさえかくも多様なのだから、それらが組み合わされて構成される全身となると、それぞれの人相のように、それぞれに個性的で微妙にどこか違うわけだった。
 ところで、さらに冷静に観察するならば、このボディ・コンテストにおけるポーズというものには、強者が弱者を圧する姿勢と同じ構図を発見するだろう。事実、あるポーズはゴリラのボスが群れの仲間を威嚇(いかく)している様を連想させたし、またあるポーズは代議士先生がふんぞり返っているパントマイムかと思わせた。肉体にせよ何にせよ、誇示するという行為には、この一種威丈高なものが伴うようである。
 さて本審査の結果、男性美ナンバーワンの栄光を手中に収めたのは新古物センターの長男坊ではなく、ボディビル歴五年という二十四歳の会社員だった。ナルシスは十位だったのである。それでも、予選で落ちこぼれた私たちからみれば羨ましい限りであるが、当人にしてみれば、衆人環視のなかで行われたコンテスト出場者のうち最下位となるわけで、文庫本くらいの楯をもらえたのに素直に喜びを表さなかった。帰途、すっかり黙りこくってワゴン車の後部座席に坐ったナルシスを、運転を交代した私と助手席のファンキーとで慰めなければならなかった。
「ポーズはよく決まっていたのになあ」
「胸の厚みはいい勝負と思ったけど、脚が長すぎて損をしたんじゃないですか」
「審査員の眼を惹くには、人並みじゃなく獣並みにならなきゃだめなんだな」
「観衆には、ナルシスさんくらいの肉づきが最も均整のとれた、理想的な体に見えたようだったけど」
「そうそう、おれの横で見ていた女性なんか溜め息をついてたもんな」
 いつまでもしょんぼりしているので、私は砂浜での光景を思い出して元気づけた。すると、やっと彼は口を開いた。
「で、その女性は若い人?」
「ん、……そりゃあ、わ、若いさ、なあ」
 とっさに嘘も方便、目配せしてファンキーの同意を求めた。
「う、うん、若い若い、いい娘だったよ。眼がきれいで、肌が小麦色で、それに髪が長くて」
「み、水着だったの」
「そうさ、それがすごいんだ。……プロポーションが見事で、日本人離れしてんだ。胸がボインボインと出てて、腰がキューッとくびれてて、レモンイエローのビキニがよく似合ってて、恰好よかったなあ」
 実際、私が見た水着姿の女性は二人いたが、両方とも中年のおばさんで、赤い服でも着ていたらポストと間違えそうな体形だったのだ。ファンキーは私に口裏を合わせたにしては、真に迫るものがあった。ほんとにそんな素敵な女性が近くにいたのかもしれない、そして彼は彼女をじっくり観察していたのかもしれない、と私には思われてきた。そうでなければ、未成年の彼が、想像だけでそんな眼に見えるように描写できるはずがない。
「ぼく、ステージヘ上がって、ぼおっとしちゃって何にも見えなかった。惜しいことをしたなあ」
 ナルシスは独り言のようにつぶやいた。私も同じことを考えていたらしい。──ファンキーめ、水くさい奴だ、自分だけいい思いしやがって、一言教えてくれればいいものを……。

 たそがれが迫るころ、私たちはやっとわが市へたどりついた。たとえ十位とはいえナルシスの入賞を、まずは生ビールで祝うことにし、店は汚いがとびきり安くてうまいジンギスカン鍋の店に入った。私もファンキーも面白くないことながら、話題はどうしてもコンテストのことにならざるを得なかった。
「あの人たちの体は、トレーニングだけの賜物じゃないね。おれも栄養について、根本的に考えなおさなくちゃあ」と、ファンキーが羊肉を鉄鍋の上に広げながら言った。コンテスト優勝者は司会のインタビューで、一日五回も食事をとり、さらに高蛋白質の粉末剤まで常用していることを述べ、給料のほとんどを食事代に注ぎこまなくてはならないから、いつも金欠病だと悩みをのぞかせたのだった。
「まったくだ」
 ナルシスはビールの泡を髭(ひげ)のように唇の上にのせて、一つ大きく息をついた。
「ぼくなんか、ここ数カ月、牛乳を毎日一リットルも飲んでいるのに、体重が止まっている。もっと上質の蛋白質を摂取しなくちゃだめだな」
「ほお、一リットルも……」
 ファンキーが眼をパチパチさせて感心する。
「とても、真似ができないね」
 私の気持ちは、少々、批判的になりつつあった。
「何でそんなことをしなくちゃならないんだ。え、今でも三人は普通の人に比べたら、群を抜いて優れた体だよ。健康を通り越し、強健と言っていいだろう。それでじゅうぶんじゃないか。必要以上に筋肉をつけなくたって」
「いや、それは違う」
 珍しくナルシスがさえぎった。
「必要以上か必要以下かは価値観の違いです。努力を積み重ねてある段階に達したら、また次の目標へ向かっていく。ぼくたちの前には限りない挑戦しかないんです」
「そうかなあ、おれはそんなことに命を賭ける気にはならないね」
「命を賭けるなんて、そんな大げさなものでないけど、始めた以上突き進むしかないですよ」
 長いことクルマに揺すぶられ、空きっ腹になっていたところへ、ビールを流しこんだものだから、すっかり酔ってしまったのだろうか。ナルシスはいつになく饒舌になり、私に反発してくるのだった。
「まあ、筋肉をつけるのはいいことにしておこう。しかし、人の前で裸を見せるってのはどうも主義に反する気がする。あれはどう見ても露出趣味のショーだな」
「じゃあ、なんですか、先輩。ぼくが露出症だとおっしゃるんですか」
 ナルシスは、ジョッキをテーブルにどんと音立てて置いた。
「いやいや、いちいち、そう突っかかれてはしゃべれやしない。おれだって裸を見せに行ったんだから同類だけどさ、早い話が……」
「でも、大衆の面前で裸をさらしたのはぼくだけだし、いまの言葉は明らかにぼくを差して言ったものですね」
「さ、焼けてきましたよっ」
 ファンキーがおどけた調子で間に入って、肉を引っ繰り返した。鍋の上でジュージューうまそうな音と匂いがはじける。
「……早い話が、なんです」
 ナルシスは、まだ裏側の焼けていない肉片を口ヘ放りこんで、なお食い下がる。
「まあ、その辺でやめましょ。ナルシスさん、ビールおかわりしたら」
 ファンキーは再び話題を他へ転じようと気を遣い、店員に追加を頼んだ。
 私は、冷たい液体が快く喉を通過するのを味わいながら考えた。今日初めて、バーベルにとりつかれた大勢の男たちを目の当たりにし、いま自分を、もう一人の自分が見つめている心境なのだった。
 ──早い話が、筋肉を肥大させることが目的なら、牛馬の品評会と何ら変わりがないではないか。体を鍛えることは、みずから志したものであり、現在もその意欲を保ち続けているけれど、肉体美の追求ということと少し違う気がする。鍛えていたらいつか美しい肉体になったというのなら、うなずける。しかし、恰好よくなるために鍛えるのなら、本末転倒ではないか──しだいに、私の五体にも酔いが回ってきて、深く考えるのが面倒になった。
 私は思考を中断して、肉を食べようと割り箸を出すと、いま鍋に載せたか載せないかの半生肉を、ナルシスの割り箸がひょいとさらっていく。私に逆らってわざとそうするのか、それとも、そういう食べ方なのか……。よく焼けていないのはどうも気味が悪いから、皿から大きめの肉片を鍋に載せて、今度は取られないように、ガスの炎で手が熱くなるのを我慢しながら、割り箸で押さえ続けた。したがって、ジョッキは左手で飲まなければならない。
 ナルシスは次に、ファンキーの前にある肉を取った。すると、これまで険悪になりそうになると優しい心づかいを示していたファンキーが、このとき、大声で怒ったのだ。
「何だい、他人(ひと)が焼いているのを横取りしてえ!」
 突然の豹変に私は少なからず驚いたが、怒られたナルシスもあっけにとられ、やがて猫なで声でこう言った。
「いや、ごめんごめん。ぼく、半生が好きなもんだから、つい。これ、返すよ」
 ファンキーは当然だという顔をして、ナルシスが元の位置に戻した肉片を箸で引っ繰り返して、赤みを下にした。その顔はもう酔ってしまったのか、それとも怒っているせいか、火焔山に飛びこんだ孫悟空さながらに真っ赤だった。思えば彼も内心、きょう一日、つくづく面白くないことばかりだったのだろう。酔って当然……いや、とんでもない、彼は未成年者であり、酒を飲んではいけないのだ、と私はそのときになって気づいたが、もう遅かった。

 次のトレーニングの日、予定の時間になってもファンキーは姿を見せなかった。乗せてくれるバイクがないので、私は雨あがりの道をナルシスのジムまで走らざるを得ず、おかげで大事なジャージーに泥が跳ね上がって、ひどく汚れた。久しぶりに肺や心臓もひどくいじめつけてしまった。トレーニングの最中にも、終了時間になっても、とうとう彼は現れず、先夜、肉一片のことで大声をあげたのを恥じて、来れなくなったのかもしれない、と思わせた。ナルシスも「そうだとしたら悪いことをした。謝りに行きたい」と言うので、二人でファンキーの家へ行ってみた。
 ファンキーはパジャマ姿で玄関に出てきた。そして、照れくさそうに言うには、あの夜、ナルシスの栄養見直しの話に感じ入り、自分も実行しようと、一度に一リットルの牛乳を飲んだところ、たちまち猛烈な下痢に襲われ、その後、お腹がゆるみっ放しで寝こんでいる、とのことだった。この話は、私たちをずいぶん笑わせ、気まずい思いは跡形もなく消しとんだ。

第六章 力比べの魔力

 いまや、私たちのトレーニングは変調をきたし始めた。これまで、わがグループは、いわば「ポーズ派」が主流を占めていたのだが、新たに仲間に加わった「パワー派」の出現によって、柔軟路線は方向転換を迫られている。
 事の起こりは、新古物センターにカー・ステレオの掘り出し物を探しにきたトラック運転手の「一番星」と、中古扇風機を物色にきたガソリンスタンド・サービスマンの「モハメッド」とが、目当ての商品を店頭で求められず、倉庫の中まで足を運び、そこでバーベルに眼をとめたことによる。客は二人とも、さっそくトレーニングの参加を希望し、気のいいナルシスは拒むことなく受け入れた。
 初めは二人ともナルシスの指導を忠実に守って、単調ながら着実にボディビルの基礎鍛練を積み重ねていた。ところが、一番星はがっしりした体躯でいかにも力がありそうだし、モハメッドは顎鬚(あごひげ)をたくわえた野性味あふれる男である。この二人が、ある夜のトレーニング終了後、その本性を現して、何十キロ持ち上げられるか、力比べを始めたのだ。体づくりのためのトレーニングは、何回か繰り返せる比較的軽量のバーベルを使用し、一回しか上げられない、あるいは一回も上げられないかもしれない未知の重量に挑むことは、危険なので厳に戒めているところだ。それを、彼らは六〇キロから試み、次々にディスクを増量して、七五キロまで上げてみせたのだ。いままでフロント・プレスでせいぜい五〇キロしか上げていないのだから、いかに下半身の反動も使った上げ方にせよ、この二五キロもの差は、他の者の眼をみはらせるに足る事件だった。
 たちまち、何にでも好奇心を示すファンキーが便乗し、これまた見事に成功してしまった。いかに戒めているといえども、こんなに後輩たちに次々に力を見せつけられては、自分の立場がなくなってしまうような気がしてくるし、また内心、自分がどれだけ持ち上げられるか、やってみたくてうずうずしてくるものだ。そこで私は「体の調子をこわすから、こんなことしちゃあよくないんだけど」と、言い訳しながら試みたら、難なく成功し、ついでに、さらに五キロ増量してこれもどうやら上げてみせた。後輩三人はさっそく同重量に挑んだが、それぞれ引きが足りなかったりバランスを崩したりして落とし、「やはり先輩は違うねえ」と唸らせたのであった。
 こうなるとリーダー格であるナルシスは抗しきれず「じゃあ、ぼくも一回だけ」と言って試みたのだが、クリーンしたもののジャークを失敗し、顔を紅潮させてもう一回挑み、今度はクリーンの段階で落としてしまった。「どうも、今夜は疲れちまって……」と首を傾げている。たしかにナルシスのトレーニングは、私たちと違って徹底的に体を酷使する方法をとり、終了後はがっくりくるほど疲労するのだろうが、連続の失敗は彼の自尊心を少なからず傷つけたようであった。とりなすようにモハメッドが「今度、体の調子がいいときに試してみたら」というのに対して、「いや、体づくりをしている者にとってこれが一番いけない。力ヘの誘惑に負けてはだめなんだよ」と冷やかに訓示を垂れる始末で、みんなはシラケてしまった。
 しかし、今にして思えば、この時から、私たちの胸の奥底に、リフターとしての魂が胚胎(はいたい)し始めたといえるであろう。私はその夜、夢のなかでとてつもなく重いバーベルに挑んでいた。やったるぞ! そんな自分の寝言で、眼が覚めたりした。
 あれほど毅然たる態度で力比べを否定したナルシスでさえ、心情は同じであったとみえ、次のトレーニングの日、「今夜だけ、力の限界のテストをしてみようか」と提案したのだ。先夜の雪辱をもくろんでいることは明白だったが、もちろん他の者に異存はなく、さっそく肩ならしに七〇キロをセットし、二・五キロずつ増量していく方法で銘々が挑んだ。その結果、ナルシスの意図に反して、トップは私と一番星が八五キロを上げ、彼はそれより二・五キロ下まわり、心中穏やかならざるふうだった。ファンキーとモハメッドは八〇キロの大台に乗っただけであったけれど、それでも両人は手をとり合って「やった、やった」と叫んだ。
 私の気分も、きわめて爽快であった。一番星と同記録とはいえ、体重では彼のほうが私よりはるかに重い。したがって私の優位は瞭然である。それだからいうわけではないが、この力比べというものは実に面白い。面白くてしようがないものだ。──バーを握ってしゃがんだときの一種異様に不安な重圧感、それに抗う緊張と気合、頭の中が空白になるようなフィニッシュの瞬間──この心身の圧縮と爆発は、ほんの数秒の出来事にすぎないのだが、これまでに体験したことのない魔力をもって私をとらえたのであった。
 ところで、仲間が挑むのに対する気持ちのありようをいうなら、それは、このように瞑想的ではなくなる。いままでのボディビルのトレーニングならば、「頑張れ、もう一息だ」と声援を送る気分になるものなのに、重量挙げの場合はまるで逆だ。気がつくと、「おまえなんか落としてしまえ!」と心のなかで念じているのだ。これはいったいどうしたわけだろう。勝負がかかっているとはいえ、スポーツマン精神とは裏を返せば、自分一人がいい子になることであり、心底に意地悪さを秘めたものなのかもしれない。私が失敗し、そして相手も失敗したときにのみ、心がなごみ、限りない友情といったものを感じるようなのだった。

 モハメッドがある日、何気なくテレビのチャンネルを回したら、ウエイトリフティングを指導している番組が放映されていた。これはぜひみんなにも見せたいと考えたが、あいにく彼はビデオデッキを持っていない。そこで、せめて音だけでもと考えて、健気にもカセットレコーダーのワンタッチボタンを押して録音したのであった。しかし、それを再生してもらいながら、耳で聴くだけのテレビ番組というものは、なかなか理解しがたいものであることを痛感せざるを得なかった。たとえば解説者の声が「ここのところは、このように。ね、こうではなく、こうやったほうが安定するわけです」などと言っているところなんか、何のことやらさっぱりわけがわからない。それでも、とりあえず、ウエイトリフティングという競技は、スナッチとジャークの二種目があり、私たちが先般、力の限りを尽くした上げ方はどうやらジャークの真似事であったらしい、と判断できた。
 旬日を経ずして、またもや新しい情報が手に入った。トラック運転手の一番星は、たまには長距離輸送にも従事するのだが、北海道南端のある町で待ち時間があり、パチンコ店に入ろうとしたらなぜか閉まっていて、やむなく向かいの書店に入り、そこで『入門叢書(そうしょ)ウエイトリフティング』という本を見つけて来たのだ。薄っペらなその新書判を、彼は読んだのではなく、私につきつけて「要点を教えてくれよ。あんた、図書館に勤めてるから読むのは得意だろ」と言うのだった。察するに彼は、本を読むことが苦手らしいのである。そこで私はその晩じっくりメモを取りながら熟読し、正しいスナッチとジャークについての知識を得た。次のトレーニングの日、仲間たちと、ああでもないこうでもない、と言いながら実技の学習に入った。
「スナッチ」とは「引き上げ」のこと。バーベルを広幅に握り、一気に頭上まで引き、しゃがみ込みながら受ける。「ジャーク」とは「差し上げ」のこと。肩幅くらいに握り、まず引き上げたバーベルを胸上に受けて立ち上がり、それから下半身の反動も利用して上げる。足の開き方は、前後に開くスプリット・スタイルと、その場にしゃがむスクワット・スタイルとがある。前者のほうが前後バランスが安定するが、バーベルを上げながら前後に跳ばなければならず、初心者にはむずかしそうなので、後者でいくことにした。さて私たちは、ジャークなら一応体得できたものの、スナッチを実際に行うのはなかなかにむずかしかった。タイミングとバランスの関係がうまくいかず、バーベルを前か後ろに落としてしまうのである。
 ところが、ここで異能ぶりを発揮したのがナルシスだった。彼だけはスナッチを難なくやってのけるのだ。その理由は、おそらくビルダータイプの彼の逆三角形の体は、広背筋が異常に発達していて、引きの力が並みはずれて強いことによるものらしい。こうして、他の者がせいぜい五〇キロどまりで、それもちょいちょい失敗しているのを尻目に、悠々と七〇キロも挙上してみせ、過日の雪辱を果たすのだった。
 またまた、私たちを緊張させる知らせが舞いこんだ。一番星が輸送の途次、今度はわが市の隣のQ市を通りかかったさい、道路沿いの板塀に貼られた一枚のポスターが眼に入った。それはバーベルを持ち上げる人のシルエットが描かれ、その上に「北海道ウエイトリフティング選手権大会」の文字があった。彼はトラックをバックさせて板塀に横づけし、あいにくメモ用紙も鉛筆もなかったので、それを引っ剥がして持ち帰った。端の千切れたポスターに印刷された大会開催日は、一カ月後に迫っていた。
 見に行くだけにするか、出場してみるか、論議した末、とりあえず話を聞いてみようと、ポスターの端に小さく書かれていた事務局の電話番号にダイヤルしてみた。すると、とても愛想のよい男が出て、「ぜひ参加してください。どうせ出場者は少ないですから、気楽にやれますよ。初心者? 大歓迎です」と、妙に人懐っこく誘われてしまった。そこで私たちは全員出場することにした。少々無謀かもしれなかったが、見るだけでは体得できない、出場すれば失敗しても得るものは多いだろう、との意見が多数を占めたのだ。
 それから猛烈な練習が始まった。新書判虎の巻によると、スナッチもジャークもトレーニング法はいくつかの部分に分けて鍛えるものらしいが、私たちはとにかく型のマスターが主であって、バーだけで基本的なフォームを繰り返したあと、前回上げられた重量とさらに若干負荷した重量とに、がむしゃらに挑んだのである。こんな無茶なトレーニングで、よく腕や肩を傷めなかったものだと思うけれど、これまでのボディビルで、みんな等しく体ができていたのだろう。それどころか、たった一カ月で、記録は著しい伸びを示した。それは練習のたびに順調に伸びる者もあり、何日も停滞していたのがある日急にぐぐっと伸びる者もありで、個人差はあったが、誰もが面白いほど上昇するばかり。短時日でこんなに効果があるのは、筋力だけが増すのではなく、またバーベルを扱う技術だけが完成してきたのではなく、その両方が互いに効果的に伸びていることの証左なのであろう。
 ところが、こんなふうにあまり記録が向上しすぎると、いったい自分のベスト記録はどのくらいなのか、皆目、見当がつかなくなってくる。大会前夜、その日はトレーニングは休みであったのに、みんなジムに集まり、明日の出場に各自が何キロの重量で臨むか、試してみることにした。これがよくなかった。気合が入りすぎて、とんでもないことになったのだ。
 ファンキーはスナッチがタイミングよく決まったかに見えたが、立ち上がりののちバランスをとるため二、三歩移動し、それでも決まらずさらに二、三歩あるいて、そこで堪えきれずに落とした。落下したバーベルの下に、商品である温風式石油ストーブがあったので、いかに賢い消費者でも絶対買う気になるまいと思われるほど、ぐっしゃり変形させてしまった。
 もう一人、モハメッドは、手首と膝にサポーターをして「これで身が引き締まる」と言って張りきりすぎ、ジャークのさい勢い余って、衝立の大鏡にぶち当たった。彼は鏡に映っている自分の姿が、鏡面から自分までの距離と同じだけ向こうにあるものと見て、鏡の存在を忘れ、不思議の国のアリスのように鏡の中に飛びこんだのである。アリスの童話の世界との決定的な違いは、実際に鏡の中に物理的空間はあり得ないということである。彼は自分の虚像を粉々に壊してしまい、また当の実像、いや実物の鼻の頭を強打して、思いきりよく鼻血を流した。
 他の者にとって、この二人の行為は非難できるものではなく、それどころか一歩誤ればどうなるかわからない、この競技の危険度をひしひしと感じ、かえって身の奮い立つような緊張を覚えるのだった。

第七章 大会初出場

 ついに夜が明けた。大会開催地のQ市は、わが市から六〇キロほど南下した同じ盆地内にあり、クルマで一時間も走れば着いてしまう。ゆっくり朝寝をしても間に合うはずであったが、みんな早ばやと新古物センター前に集まった。口笛を吹いたり、鼻唄を歌ったり、誰もがはしゃぎ気味である。それは、みっちりトレーニングを積んだ余裕というものではなく、昨夜来、眠れなかった興奮を鎮めようとしての必死のていと見えた。私の気持ちもまた緊張と不安が入り乱れていた。
 一番星の軽自動車に運転手の本人と、私、ナルシス、モハメッドの四人が乗りこんで定員いっぱい。一人余ったファンキーは、自慢のオートバイで行くのである。本日は、例の宇宙飛行士のようなヘルメットをかぶり、服装は革ジャンパーに革ズボンという黒ずくめで、暴走族と見まがうばかりだった。
「やったるぞーっ!」
 軽自動車が不完全燃焼の排気ガスを吐いて発進し、オートバイがタイヤで馬のいななきを真似て続いた。一番星の運転は、本職だけあって実に巧みではあるけれど、同乗者から安心というものをすっかり奪いとってしまう。何せ、ちっぽけなエンジンを搭載したおのが力を忘れたもののごとく、こちらの二、三倍はある普通車はおろか、十倍もありそうなトレーラーまで意に介さず片っ端から追い越して行くのだ。無謀としかいいようがないけれど、これが一番星の、気持ちの高ぶりを抑える方法なのかもしれなかった。しかし、乗せてもらっているほうはたまったものではない。
 後続するファンキーも、けたたましい音を轟(とどろ)かせ、濛々(もうもう)と青い煙を吐きながら驀進(ばくしん)する、この豆自動車に手をやいたのだろう。途中、街なかの信号待ちのときオートバイを横につけ、手を振ったりしていたのに、青に変わる寸前に一瞬早くとび出し、あっという間に私たちの前に回りこんだ。この野郎! 一番星はむきになってアクセルを踏みこんだが、ファンキーの黒豹号はスピードを緩めず先行する。助手席に坐っている私は、まったく生きた心地がせず、「おまわりさんに捕まるよ」とか「エンジンが焼けやしないかい」とか言い続け、足元にブレーキ・ペダルがあるわけでもないのに、ゴムマットの端をしきりに踏み続けたのだった。
 そんなわけで、私たちは、会場のQ市総合体育館までたった三十五分、通常の所要時間の半分で到着するという、本日の目的とはかなりはずれるが、とにかく未曾有の新記録を樹立してしまった。これはやはり誤算というものだろうか。
 したがって時間はまだ早かった。ロビーの案内板で、この広い体育館の全容を知り、スポーツの殿堂と呼ぶにふさわしい諸施設に眼をみはるばかりだった。「こんなところで練習できたらなあ」と、ナルシスには悪いが、薄汚い倉庫の隅からやって来た私たちは、今さらのように、わが境遇の惨めさを嘆かずにはいられない。何となく肩を寄せ合って廊下を渡り、競技場をのぞいてみた。四、五人の男たちが準備をしていた。学校の屋内体育館が三つ四つは入りそうな、とてつもなく広い空間。それを取り囲む何千人坐れるか見当もつかない段々の観覧席。正面ステージの真上に横看板が吊り下げられ、そこには「国民体育大会ウエイトリフティング競技北海道予選兼北海道ウエイトリフティング選手権大会」と、あまりに字数が多過ぎて二行に書かれていた。
「あれ、きょうは国体予選も兼ねてるのかい」
 ファンキーがそれを見て言った。一番星が引っ剥がしてきたポスターにそのことが印刷されていなかったのは、ちょうどその文字の部分が千切れていたからだろう。国体予選ということは、優勝者は本道代表として全国大会に出場することになる──もとより、そんなことは望むべくもないが、そんな大それた場へ出て来てしまったことの迂闊(うかつ)さに、私たちは二の足を踏む思いだった。
 ステージの中央に、バーベルを上げる人のシルエットをあしらった協会旗が、その左右に国旗と道旗が掲げられ、その前にトロフィーが十数本ずらり並べられている。それら派手な色彩の下に、そこだけがいやに質素な感じで、板敷きの試技台がしつらえられ、バーベルが一基置いてある。
「あそこでやるんだな」
「………」
 みんなの視線はその真四角な闘いの場所に注がれた。ふいに口の中が乾いてくる。……とうとうここまで来てしまった。思えば、まったくスポーツに無縁な私が、肉体改造を志してよりわずか十カ月にして、生まれて初めて、学校の運動会以外のスポーツ大会に出るのである。感慨というより、何か得体のしれないものに胸を圧迫され、息苦しくなって、私は大きく深呼吸をしなければならなかった。
「あれ、バーベルが違うよ」
 上ずったナルシスの声に、よく見ると、確かに私たちが使用しているバーベルより一きわ大きく思える。いよいよ心配になってきて、私たちはおそるおそる試技台に近づき、その競技用バーベルに触れてみた。それはバーがやたら長く、ディスクもかなり大きいものだった。
「重量まで違うことはないだろうな」
「それは同じだろ、同じ国だもの」
「外国へ行ったって、一〇〇キロは一〇〇キロだよ」
 隣の市に来ているのに、みんな見知らぬ異国に迷いこんだ気持ちになっている。一番星がバーベルをぶら下げてみて、手応えを確かめる。それから一気にクリーンして、差し上げた。
「バーの太さは変わらんぞ。それに回転が軽くて、手首の返しがすごくいい。何か仕掛けがあるんだな」
 そういえば、バーの端のディスクを差しこむ部分はずいぶん太くなっている。
「どれどれ……」私も上げてみようと傍らに寄ったら、ジャージーを着た高校生らしい少年に、「そこで練習しないでください。練習場は向こうにあります」と注意された。
 場違いなところに来てしまったとの念は、検量のとき、ますます募った。選手はパンツ一枚の姿で秤(はかり)に上がる。なかには、よほど何もかも自信があるのか、素っ裸になる男もいて驚かされた。どの男たちも肩が盛り上がり、腕は太く、それに臀部(でんぶ)と大腿部が異様に逞しい。かつてボディ・コンテストのときに集まった男たちは、胸の厚みの割にやたら腹が細かったのだが、今集まっている男たちに、その流麗さはない。皆、ポストのようにズン胴なのである。ビルダーを競走馬に例えれば、リフターはさながら輓馬(ばんば)だ。ずんぐりむっくりして不恰好ではあるけれど、いかにも実用的である。私たちは、検量室に充満する汗とわきがの臭いに閉口したが、それ以上に、彼らの寸の詰まった屈強そのものの体形に圧倒され、それはおびえに変わりつつあった。ふだん、裸になることの大好きなナルシスでさえ、顔色ない有様だった。
 検量の結果、わがメンバーの所属階級が次のとおり決まった。

 ファンキー フライ級(五二キロ級)
 私     バンタム級(五六キロ級)
 モハメッド 右に同じ
 一番星   フェザー級(六〇キロ級)
 ナルシス  ライト級 (六七・五キロ級)

 こうして、いかにおびえていても、階級別に分けられ、選手扱いされてしまうと、戦場へ送りこまれた兵士のように、闘う以外に道はなくなる。私たちは観念して、緊張で強張った体から上着を脱いだ。他の選手のように、恰好のよいつなぎのユニフォームなど揃えていない。皆、Tシャツにショートパンツというあり合わせのスタイルだった。ファンキーのシャツは胸いっぱいに真っ赤な唇のイラストが描いてあったし、ナルシスはさすがにビルダーパンツを穿(は)いてこなかったものの、ジーパンを腿の辺りでちょん切った、切り口の糸がほつれてぼさぼさになっている代物だった。
 また靴にしても、他の選手たちは、いかにも踏ん張りの効きそうなリフティング専用のシューズを履いているのに、そんなものがあることさえ知らない私たちは、たいていがズックの運動靴だった。一人、一番星は登山靴に似た革靴を履いていて、そのドタドタした感じは他の選手に決して劣らなかったけれど、靴下が柄物で、それも膝の辺りまであるのだから、何とも締まらない。もっとも、私とて自慢できるスタイルではなかった。上下ともジョギングの服装で、靴は古いバスケットシューズという、いまにも逃げ出しそうな出で立ちだったのだから。
 選手は練習室でウォーム・アップを行ってから競技に入る。そろそろ練習を始める者がいて、バーベルを落とす音が大砲でも撃つように館内に響いてきた。私たちも練習室ヘ行ってみた。三面用意された練習台で、選手たちが早くも真剣な眼つきでバーベルに取りついている。見るもの聞くもの初めてのことで、私たちは他の選手の動作を盗み見しては真似るしかない。一人の若者がポパイの漫画のついたシャツを着て、両膝の下に一個ずつ穴のあいたトレパンを穿き、毛脛(けずね)をのぞかせながらやってきた。これは、私たちの仲間かもしれないと思い、それにしてもあのトレパンの穴は何のまじないだろうと考えさせられたのだが、その謎は、若者がウォーム・アップを始めるとすぐ解けた。バーベルを床から引き上げる瞬間、バーが向こう脛にこすられる、このささやかな摩擦が何百回、何千回と繰り返され、ついにトレパンに穴があいたのだ。私たちは、気の遠くなるような彼の練習量を思い、その一事をもって、完全に打ちのめされてしまった。
 開会のセレモニーは上の空で聞いていた。整列した選手数からみて五〇人ほどが参加したようである。午前中にスナッチ競技、午後はジャーク競技が行われる。試技は三回ずつ。二回目の試技は五キロ以上増量でき、三回目の試技は二・五キロ以上増量できる。ただし、二回目に二・五キロを増量した場合、それは三回目の試技とみなされると、チーフ・レフリーが説明した。私たちもそれくらいのことは知っていた。要するに出番は午前三回、午後三回、計六回だった。一回の試技に費やす時間は数秒だろうから、闘いの時間は全部合わせても実質一分にも満たない。しかし、私には、計り知れないほど長い長い時間が始まろうとしているように思われた。

 午前十時、スナッチ開始。ファンキーは私たち仲間のトップであるばかりでなく、今大会の一番手として試技台に上がった。これはちっとも名誉なことではない。競技はバーベル重量の軽い者から始められ、順次加重されていく。したがって当然ながら、フライ級の、それも最も力の弱い者が最初の試技者となるのである。彼のスタートの重量は六〇キロだった。私は、自分の出番がくるまで、いや出番がきたらなおさら、つまりは私の全試技が終わるまで気持ちに落ち着きが得られなかったので、仲間たちの健闘ぶりをつぶさに見定める精神的ゆとりがなかったのだけれど、ファンキーの一回目の試技は記憶に残っている。彼は同情したくなるほどアガっていた。滑り止めの粉を手につけるのを忘れて、いきなりバーを引き上げた。伸ばした両腕の上にうまく乗せたあと、クッと鼻息を漏らして立ち上がり、少し体勢が前に崩れかけ、バランスをとるべく二歩ほど歩いた。ところがそこで持ちこたえられず、さらに歩み出したのである。
 ふと、昨夜の倉庫でのいやな場面が脳裏をよぎる。四メートル四方の試技台から足を踏み出すと反則をとられるのだ。彼は台の端に辛うじて止まった、と見えたのに、散歩癖は抑えられず、ついに場外に足を出してしまった。正面にチーフ・レフリーがいて、さっきから「ダウン、ダウン」と叫んでいたが、この危険な夢遊病者は制止を聞かず、なおもじりじり近づいて行くものだから、あわてて坐っていたパイプ椅子を持って後ろへ逃げた。そこで、やっとファンキーはバーベルを放り出し、ドーンと恥ずかしいばかりの轟音を会場いっぱいに響かせたのである。まったく、緊張すると何が起こるか予測がつかない。
 瞬く間に、私の番がきた。私の名前がアナウンスされ、スタート重量七〇キロと報じられる。にわかに胸の辺りに痛みが走り、顔がカーッとほてってくる。角材を敷きつめた固いはずの試技台がふわふわして、足元がどうにも定まらない。とりあえず広幅にバーを握った。ひんやりした鉄の感触が掌に快い。もやもやを吹っ切るように力んでみたら、バーベルは頭上に上がったものの、手首を返すに少し足らず、前へ落としてしまった。引きの不足である。当然ながら赤ランプが三つ点灯した。
 台を下りると、一番星に叱りつけられた。
「だめだよ。まだ気合が入ってない状態で上げたりしちゃあ。バーベルを睨みつけて、畜生めっ、上げたるぞってファイトしなくちゃあ」
「うん、何が何だかわからなかったんだ」
 第二試技は少し正気を取り戻した。しかし、今度は見られているという意識が強く起こってきた。実際、観覧席はガラ空きに近い状態だったのだが、このときの私はボーッとして何も視界に入っていなかった。ジョギングパンツの下から腿(もも)のつけ根まであらわにしている体が気になり、海水浴場でならともかく、こちら一人だけが露出し、あちらは完全に衣服をまとい、しかも大勢で見つめているとなると、どうも、私も、あちら側に紛れこみたくなってしまう。そんな心理状態でじゅうぶんに力が出しきれなかったのだろう。力いっぱい引いたつもりだったけれど、今度はバーベルがほんの数センチ前荷になり、バランスを崩してまたもや落下……。
 ファンキーがとんできた。
「何やってるの。あと一本しかないんだよ。今度は絶対にとってよ」
 あと一本……そのとおりだった。ウエイトリフティングはスナッチだけ、あるいはジャークだけの種目別競技ではない。両方をトータルして勝敗を決する。だから、もしスナッチを三回とも失敗したら、ジャークを行うことは許されるが、順位の対象からはずされることになるのだ。初出場で上位入賞は望めないにせよ、惨めな敗北を喫したくはなかった。
「いつもの力強い引きが見られないですよ、先輩。あれじゃ、バーベルの下に体が入らない。無心になって、思いっきり引くことです」と、ナルシスが助言した。
 私のスナッチは、牽引(けんいん)力はあるのだが、バランスに難点があった。その日の調子によって、前日七〇キロを上げられたものが、翌日五〇キロを立て続けに落とすこともある。要するに、力比べというよりはバランス比べ、まるで綱渡りと変わらない。その主たる原因は、私の足腰の関節の固さ、つまり柔軟性のなさからフォームが有効に決まらないようなのだ。加えて、今、それ以前の問題、アガるという予期せぬ現象に困惑していた。この心理はふだん鍛えたことがない。どうやって克服すべきか、皆目見当がつかない。私は崖っぷちに追いつめられた。顔ばかりほてっていた感覚は、いまや全身に広がっていた。私は両手で頬を打ち、大腿を叩きつけ、三回目の試技台にのぼった。今度は落とすわけにいかない。慎重に構え、瞑目して呼吸を整えた。
 思いっきり引く──ただそれだけを念じた。体の奥底に何かがわだかまっているようだった。そいつを吹き飛ばすように「いくぞっ」と絶叫した。……気がつくと、私は蹲踞(そんきょ)の姿勢で万歳をしている。バーベルは手の上にはなく、お尻の後ろに落ちていた。今度は引き過ぎだった。
 こうしてスナッチは七〇キロを三回とも失敗して、ゼロと記録された。予定では第二試技で五キロ、第三試技で二・五キロ加重して、あわよくば七七・五キロを挙上するつもりでいたのに、これは初っぱなから手痛い誤算である。
 他の者たちのスナッチの成績は、ファンキーが前述のように第一試技を失敗しながら、不屈のファイトで第二、第三試技を続けて成功、最終六五キロを記録した。しかし、私のゼロがあとに続く者たちの運を狂わせたようだった。モハメッドはサポーターを両手首、両肘、両膝の計六カ所に巻きつけて頑張ったのに、引きはともかく、バーをキャッチしてから左の支持力が弱く、左側からねじれるように崩れ、三回とも失敗。一番星は第一試技を成功したかに見えたが、腕力の強さに頼り気味になり、わずかな腕の屈伸をプレスアウトとされ、それを気にしてあとの二回もタイミングを逸し、すべて失敗。
 期待のナルシスは、一、二回ともぴたりと決めて、さすがにその広背筋の強靱さを示した。ところが、第三試技の九〇キロで、バランスを崩して尻餅をついてしまった。バーベルのバーはディスクの中心についているから、床に落としても、その半径の分だけ間隔があり危険はないはずなのに、この時、どうした弾みか、私たちのうちで最も体重のあるナルシスの体が宙に浮き、向こう脛にバーをぶち当てたのである。彼は見ているほうも痛みを感じるほどの呻き声をあげ、身をよじった。サイド・レフリーと私たちに抱えられて台を下りた彼の、美しい両脚は、ちょうど靴下の上端はここまでという目印のような青痣(あおあざ)の線がついていた。ギリシャ神話の美青年は、さながら弁慶の泣きどころを打った弁慶のごとく、顔を歪めて苦痛に耐えた。救護員の診察では幸い骨に別状なしとのことだったが、この事故で彼はまともに歩けなくなり、午後のジャーク競技を棄権せざるを得なくなったのである。

 ジャークは午後一時から始まった。今度はファンキーの前に試技をする者が数名いて、少々余裕をみせて彼が登場した。私たちのうちで唯一のスナッチ記録を引っさげてジャークに挑む彼は、張りきりすぎ、クリーンの段階でモーションが大きくなった。バーベルの下へ体を滑りこませようとしたとき、浮き上がってくるバーに顎をぶつけ、ちょうどアッパーカットを食らったようにKOされた。バーベルは体の前に落ちたので外傷はなかったが、倒れたさいに後頭部を打って脳震盪(のうしんとう)を起こし、しばらく立ち上がれなかった。正気に戻ってからも、体がふらついて使いものにならず、これまた棄権。
 こうしてわが仲間たちは、次々と五人中二人までが倒れ、あとはスナッチ・ゼロの、順位に入れてもらえない三人が勝ち目のない、ただ試してみるだけのジャークに挑戦するという、まことに虚無的な、徒労にも似た戦況となったのである。ところが、三人ともそろいもそろって天(あま)の邪鬼(じゃく)にできているらしく、こんなふうにどうでもいい状態になると、俄然力が出てくるのだった。私はジャークを三回とも成功し、最終試技では九〇キロを挙上した。これはバンタム級二位入賞者と同記録で、われながら驚いたが、しかし憎たらしいことに、同級のモハメッドもまた同重量を上げていた。一階級上の一番星は、私たちより二・五キロ上回る重量を差し、フェザー級三位と同記録だったのだから、彼もまた健闘したといっていいであろう。
 ところで、前述のごとくスナッチの失敗は事細かに説明したのに比べ、成功したジャークのほうはあまりに簡単な書き方になってしまった。読者のなかには、私が大変に謙虚な性格で、自慢というものをしたがらない、奥ゆかしい人物に違いないと推測される向きがあるかもしれない。しかし、私の実体は、自慢できるものならお金を払ってもしたい人間なのである。あいにくさっぱり美点に恵まれないものだから、今日まで控え目に過ごしてきたけれど、今回の身のほど知らずの冒険は、人目に立つ絶好のチャンスと考え、針小棒大でかまわないから書きつらねようと呻吟(しんぎん)しているのだ。だが、このウエイトリフティングというものは、失敗した場合には山ほど書くことがあるのに、成功の場合はすんなりと無駄な動きもなく終わってしまっていて、さっぱり書くべき事柄がないものなのである。まったくもって、この世は思惑どおりにはいかない。
 それにしても気になるのは、モハメッドのリフティングである。スタート時に正面を向いてしゃがんだ彼が、ジャークが決まって立ち上がったときには、かなり左側を向いてしまうのだ。この癖は午前中のスナッチにも現れていたし、してみると先夜、鏡にぶち当たったのも、このせいだったかもしれないという気がしてくる。なぜ左へねじれるか、子細に調べてみなくては明言できないが、耳の三半規管の故障ではなく、体の発達のアンバランス、すなわち左腕、左肩の非力を右腕、右肩でかばうためと思われる。それなら今までのトレーニング中、ちっとも気づかなかったのがおかしいけれど、心理的に緊張が増すと、それが顕著になるのかもしれない。試技は一回ずつで完結するが、私はふと、モハメッドに立て続けに試技を行わせたい衝動に駆られた。一回のねじれがほぼ四五度とみて、彼はちょうど八回試みたら三六〇度回転して再び正面を向くに違いない。
 仲間の試技が完了すると、私たちはやっと緊張が解け、どっと疲労を感じた。けれども同時に自分を取り戻し、試技台に入れかわり立ちかわり現れる選手たちの動作をつぶさに見、フォームや精神集中のありようを学ぶことができた。
 ウエイトリフティングというものは、床にあるバーベルを、ヤッと持ち上げる、ただそれだけの競技である。しかし、競技者にとっては、なかなかどうして、そのように単純なものではない。バーベルを持ち上げるには、バーを握らなければならない。そんなことは誰にでもできる動作のはずだが、上げようと思う者にとって、それすら容易な技(わざ)ではなくなる。ある者は試技台の端から端までうろうろと歩きまわり、ある者はこの世の苦しみを一身に背負ったような深刻な表情をする。「よしっ」と不安を跳ね返すように、きっぱり声に出して言ってみる者もいる。気持ちが決まったら、いよいよバーを握る段となるのだが、今度はどこを握るかでまた悩まなくてはならない。一ミリでも狂ったら左右のバランスが崩れるとでもいうように、バーの上を尺取虫が這うみたいに親指と中指を屈伸させて測る者、掌をぴたり密着させるため結んで開いてを繰り返す者、錆びついていることなど金輪際あるわけがないのに何度もグリップを回してみる者等々、みんな神経質になる。
 握ったからといって、これを即座に持ち上げるような軽はずみなことはしない。身構えたまま天井を睨みつけたり、静かに瞑想したり、口をぱくぱくして深呼吸をしたり、あたかも死に直面したかのように土壇場の気持ちを整理しなくてはならない。散々時間を費やした懐疑と憂悶のハムレットは、ある瞬間から、突然、向こう見ずのドン・キホーテに早変わりする。一旦、バーベルを引き上げ始めたら、あとは一気呵成だ。それまでの逡巡が嘘のように、競技者は自己の持てる気力と筋力を瞬時に爆発させる。その結果、バーベルを頭上高く支持することができたら、最高の代償が訪れる。ウエイトリフティングのフィニッシュは万歳の形である。それはそのまま勝利者のポーズである。
 しかし、バーベルを落としてしまった者は哀しいピエロにすぎない。それまで保ち続けた矜持(きょうじ)は消え失せ、ふいに、どこにでもいるつまらない若者に戻ってしまう。「あれえ」とか「ちくしょう」とか、上ずった声を洩らし、舌打ちをし、弱々しく照れ笑いをする。浅ましいくらい気も動転して、この世に確かなものなんぞ何もないことを思い知らされるのだ。
 試技台の上のバーベルは、もはや力で上げるものではない。一に気合、ただそれだけ。おれは力持ちだ、と必死で自己暗示をかけ続け、極限状況へ自分を追いこみ、──絶対に上げるんだ──それ以外、何も考えられなくなりきった者が、時には、持ち上げられるはずがない重量を上げてしまったりする。火事場の馬鹿力と同じ、神がかり的な、わけのわからないものに支配された時には。
「要するに、すべては精神力なのだ」
 選手たちのリフティングを観察するのに、それは、もっぱら力学的、技術的見地から行われるべきだったにもかかわらず、私の天の邪鬼はここでも頭をもたげ、こんな安手の教訓を得てしまうのだった。

 競技はすべて終了し、私たちは完全にがっくり疲れ果て、帰り仕度をした。ナルシスは両足に包帯を巻いて特大の白いルーズソックスを穿いたようだったし、ファンキーは顎に当てた冷やしタオルの上にもう一本のタオルを巻いて頭の上で縛り、おたふく風邪の女の子のような恰好だったから、人目につくのを嫌がっていた。他の者も閉会式なんていまいましい、見る必要なし、と控え室から出たところ、競技中、終始厳正な面持ちで正面に坐っていた、あのチーフ・レフリーに話しかけられた。
「君たち、よく健闘したね。立派だった」
 彼は確かにそう言った。私たちはあっけにとられ、他の人たちに話しかけたのかと周囲を見まわしたほどだった。しかし、館内の人々はてんでんばらばらに右往左往するばかりで、彼に対面しているのは私たちだけだった。そうだとしたら、何と皮肉の好きな男だろう。総勢五人中、棄権二人、スナッチ・ゼロ三人、誰一人順位に入れてもらえない、惨めな敗北だというのに……。
「みんな優れた素質を持っている。ただテクニックがなってないんだ。そのまずさがスナッチに出たね。引きの力はじゅうぶんあるのに勝利に結びつけることができなかった。それに比べるとジャークは実に見事だった」
 チーフ・レフリーはふざけているのではない。真面目な表情で私たちを見つめている。
「だ、だって……私もモハメッドも九〇キロしか取ってないですよ。一番星だって、それより二・五キロ多いだけだし……」
「いやいや、どうして」
 チーフ・レフリーは手で制し、話し続けた。
「東京オリンピックとメキシコオリンピックを連覇したゴールドメダリスト・三宅義信選手は、初めてフライ級で競技会に出たとき、ジャークは君たちより少ない八五キロだった。それが八年後のフェザー級では一五二・五キロという驚異的な重量を持ち上げている。君たちの体はほぼできているし、みっちりテクニック練習を積めば日本記録も夢ではないよ。われわれには飛躍は望めないが、這い上がることはできる。地道にトレーニングを重ねることによって少しずつ確実に伸びる。人間の力に限界はないんだ」
「……ほ、ほんとですか」
私の声は一オクターブ上がってしまった。
「それから、力の出る秘訣を二つ。まず一つ、靴はリフティング・シューズを履くといい。しゃがみやすさ、踏ん張りが全然違うからね。もう一つ、ジャークのときはベルトを締めたほうが力が出る。それに脊椎(せきつい)を保護し、脱腸の予防にもなる」
「はあ、脱腸の……」
 私たちはもっとくわしく話を聞こうと身を乗り出した。しかし、閉会式の準備が始まっていて、ステージの上の役員から呼ばれ、チーフ・レフリーは話を中断しなければならなかった。
「来年の大会でまた会おう。期待してるよ」
 私たちをキッと睨むように見てそう言うと、あたふたと行ってしまった。
 嬉しさは徐々に募ってきた。私たちの悪戦苦闘が、チーフ・レフリーに注目されていたとは……。私たちが、あの偉大なリフター・三宅選手の初出場のときより力があるとは……。人間の力に限界はない、努力は必ず報われる。ウエイトリフティングは、男がすべてを賭けてやるだけの価値があるものなのだ。
「よし、やるぞ。今度はやるぞ」一番星が握り拳を固めて言った。
「やっほう!」モハメッドが頓狂な声をあげ、ぴょんと跳んでジャークのフォームをとった。体育館の窓から射しこむ低い西陽のせいで、その姿はとてつもない大きな影になって、広い床に躍動した。

第八章 捨てる神に拾う神

 夢を抱いたのは束の間だった。その夜のうちに事態は急変したのだ。
 わが市に戻ってから、例のごとく生ビールとジンギスカン鍋で反省会を開いたのだが、未成年者のファンキーは、みんなの注意もあってジュースで乾杯しおとなしくしていた。それが帰宅後、オートバイに跨がって深夜の街を疾駆し、パトカーに見つかって追跡され、逃げまわった末に捕まってしまった。罪状はスピード違反、信号無視と二つ重なる現行犯である。
 思うに、私たちはチーフ・レフリーのほめ言葉に有頂天になって気づかなかったけれど、けっきょく、それは、スナッチはまずくてもジャークが強かったことをほめられたのであり、ファンキーにとっては、逆にスナッチはうまくいき、ジャークがゼロだったのだから、ほめられたなかに入っていなかったわけだ。前夜の温風式石油ストーブの破損、当日のジャークにおけるバーベル・パンチのKOと、己のぶざまな失態にほとほと嫌気がさし、相当に屈折した気分になっていたものと思われる。捕まったあと態度が悪くて、こっぴどく叱られたらしいが、両親と雇用主が出向いて懇願し、非行の前歴もなかったので家へ返された。それにしても、免許停止はまぬがれないようである。
 一方、ナルシスは、同様にスナッチはまあまあだったけれど足を傷め、ジャークは一本も試みていなかったのだから、ファンキーと大差ない心境にあったと推測される。彼はそんな無謀なふるまいで憂さ晴らしをしたのではなかったが、私たち全員の将来を危うくする問題を招いてしまった。それはこういうことである。新古物センターの倉庫において、温風式石油ストーブと衝立の大鏡を破損されたことを知ったナルシスの親父さんは、少なからず頭にきていたらしい。そこへ夜も更けてから、息子が包帯を巻いた足を引きずって、しかも泥酔して帰ってきたものだから、当然ながら叱りつけた。すると、ナルシスも日ごろの素直さはどこへやら、親に向かって相当に突っかかったらしい。とうとう怒り心頭に発した親父さんに、以後、倉庫内でのトレーニングは一切まかりならん、と申しわたされたというのである。
 翌日、そのことを知らされた私たちは、急遽(きゅうきょ)相談をして、清酒三本に熨斗(のし)をつけて差し出し、連絡の遅れたことを謝り、壊した物は元値を弁償することにして、ひたすら頭を下げ続けた。しかし、親父さんの機嫌はそんなことくらいでは直らず、再び商品をぶち壊されないという保証はないとか、最近、扱う商品が消費者の求めによって多様化し、倉庫が狭くなってきたとか、次々に理由を上げて許してもらえない。お金のかからない、こんな恵まれたジムをたたむことになったら、これまでの積み重ねは水泡に帰するわけで、いかにチーフ・レフリーに期待をかけられようと、来年の大会に出て行くことはできなくなる。私たちは執拗に食い下がって懇願したのだが、親父さんはにべもなく「そんなにやりたかったら外でやりなさい。裏庭なら許可しよう」と言い捨てて、席を立ってしまった。

 少し反り返ったりしている倉庫の波トタンと、罅(ひび)割れが目立つ隣家のモルタル壁とに仕切られた空地には、何となく立ち小便でもしたくなる雰囲気がある。私たちは否応なしに、倉庫内に運びこまれた中古品の山に追い出され、この限りなく開放的な一角でトレーニングをやるしかなかった。
 たしかに戸外は、バーベルを放り出そうが叩きつけようが、物理的には何ら支障がないけれど、屋根というものがないから雨が降ると状況は一変する。地面はぐしゃぐしゃになり、踏ん張る足が滑るのみならず、雨滴に全身を打たれては大切な筋肉を冷やしてしまう。めっきり涼しさを増した初秋の、しかも夕方ともなれば、ただでさえ肌寒く感じられるほどなのに。
 私たちのトレーニング日は、隔日の週三日間だから、そのように晴れてくれれば問題はないが、女心と秋の空の譬(たと)えのごとく、天気は意のままにならず気まぐれそのもの。こんな空模様に合わせてトレーニングをやっていたのでは、休みすぎて体がナマったり、練習しすぎて過労気味になったり、リズムは狂い、コンディションは崩れるばかりだ。それに、この空地の接するもう一方の面に横町があって、さほどではないがときおり人が通り、私たちが響かせるバーベルの音やかけ声に気づいて、立ち止まって見物する人もいる。見られたら見られたで、力のあるところを見せようと競ってスケジュール以上の重量を上げたりするものだから、これもやはり体調をおかしくする原因の一つになるのだった。
 体調だけではない。ナルシスの親父さんに一喝されて、このような戸外トレーニングになってから、ナルシスの態度に、私たちが押しかけて行くのを厭(いと)うふうが見え、それが私たちの心理的負担にもなりつつあった。おそらく親父さんに、あんな奴らと付き合うのはやめろ、とか、こんな狭いところにわざわざ小うるさい連中をつれてくるな、とか言われたに相違ない。彼はそんなことを口にしたわけではないけれど、それは態度の端々に感じられる。かつて私たちを圧倒するほど率先してトレーニングに打ちこんでいたのに、このごろは「のっぴきならない用事ができたので」とか「腰を傷めてしまって」とか、なんだかんだ理由をつけてすっぽかすようになったのだ。ナルシスがいないとなると、戸外とはいえ他家の敷地内で、伸び伸び思いきりよくトレーニングができる状況にはならないものである。持て余された同士が集まったみたいで、身の置きどころのない気分にさせられる。
 板ばさみ状態にあるだろうナルシスの心情を察し、もう重量挙げなんかきっぱり諦め、やめてしまおう、と思ったりもするのだが、一日バーベルを握らないでいると無性にバーベルが恋しくなり、ナルシスの気持ちなど踏みつけにして、やっぱり、のこのことこの空地へ来てしまうのだった。
 ある夕方、私たちはすっかり調子の狂った四肢をなだめすかしながら、トレーニングを続けていた。ナルシスは、この日も、配達とかで仲間に加わらなかったので、四人で、厚かましくもバーベルを引っ張り出して始めたのである。途中、倉庫へ用があったらしいナルシスの親父さんが現れ、気まずい思いにとらわれていると、「よう精が出るねえ」と言って母屋へ戻って行った。すっかりひがみっぽくなっている私たちには、その言葉が皮肉にしか聞こえず、モハメッドはこれから上げようと身構えていたのに力が入らなくなり、バーベルから手を離してしまった。一番星は逆で、やにわにバーをひっつかみ、続けざまに十回もパワー・ジャークを行い、「くそったれ、この!」と小声で吐き捨てるように言って放り出した。彼にこれほどの持久力があるとは、今の今まで、おそらく本人も知らなかったことだろう。気持ちのありようで人はさまざまに変化するものだ。
 ……そのとき、ふいに横町から境界の柵を乗り越えて入ってくる者がいた。四十歳前後のずんぐりした体格で、私たちより一回り大きい。頭にチューリップ・ハットをかぶり、酒屋の前掛けなんかをして、何となくちぐはぐな服装だった。
「ちょっと、やらしてもらっていい?」
 中年男は十年の知己にでも出会ったかのように、にこやかに、馴れ馴れしく言った。夕暮れが迫り、加えて厚い雲が垂れこめていたので気づかなかったが、さっきから見ていて待ちきれなくなったというような様子である。
「………いいけど」肩でまだ大息をつきながら一番星が答えた。「無理しちゃあ、体をこわすよ」
 男は彼の忠告をまったく無視して「一〇〇キロにするには、これと、これもいるんだな」と、その辺に散らばっているディスクを片っ端からバーに差しこみ、真ん中だけを食べてしまった串団子みたいなバーベルにした。それからおもむろにバーを握り、身構えて呼吸を整え、鋭く「やっ」と人を驚かすかけ声を発した。大柄な体が素早く縮んでクリーンを果たす。それが、あのダイナミックな前後開脚のスプリット・スタイルなのだった。バーベルは一〇〇キロを越えると、鉄のバーがしなるものである。男は胸上に支持し、直立姿勢からもう一度「やっ!」と叫ぶ。バーベルはしなって少し揺れながら、難なくチューリップ・ハットの上に差し上げられた。私たちはびっくり仰天し、みんな口が開いたままになった。
 男は、そのあとの動作も見事だった。挙上したバーベルを私たちのように下へ叩き落とすのでなく、一旦胸で止め、さらにぶら下げ、スタート前と同じ姿勢に戻り、静かに地面に置いたのである。先刻の言動とは別人のように、バーベルの扱いはまことに紳士的なマナーを身につけている。私たちの驚愕はたちまち畏敬の念に変わった。
「うー、久しぶりだと効くねえ」
 ほんの少しではあるが、ぼってりお腹の出た中年男は、そう言いながら全然疲れた様子も見せない。一番星が、今度は丁寧な言い方で尋ねた。
「あの……久しぶりって、以前やっていらしたってことですか?」
「うん、もう十年以上も昔だけど」
 男は遠くを見る眼つきをした。ファンキーが心底から感じ入った声を出す。
「そんな昔。……もういい歳でしょうに、すっごい力ですね」
「なあに、たったの一〇〇キロくらい」
 たったの、と軽く言い放つ男が何者か、まだわからないままに、私の気持ちはもう呑みこまれてしまっていた。
「あのう、御指導いただけないでしょうか。私たち、我流でやってるんで、正しいリフティングを覚えたいんです」
 やっと巡り会った指導者たるべき人物、この幸運を逃がしてはならない。私は高ぶった声で懇願した。すると男は「うん、いいよ」と、いとも簡単に引き受け、「いま配達の途中なんでね。すぐ行くから角の喫茶店で待っててくれないか」とつけ足した。私たちの熱い念願が、こうもあっさり、あまりに抵抗なく了解されると、何か安請け合いされた気分になり、前掛けをはためかせながら横町へ戻って行く男の後ろ姿を、へんに不安になって眺めるのだった。

 喫茶店で待ちながら、みんなの疑問は、たしかにあの男の力は並々ならぬものであるが、果たして指導者として適切な人物かどうかということであった。指導の要請は、彼が何者であるかを知ってからすべきであって、今の人数だけでもナルシスの親父さんにうとまれているのに、さらに騒がしいのが増えたりしては、いよいよ事態がまずくなる、と他の者から、私の感激しやすい性格と軽はずみな言動がたしなめられた。
 チューリップ・ハットに前掛けの男は、十分遅れてやって来た。そこで、初めて彼は「バッカス」と名乗り、そのあとは彼が一言いうたびに、私たちは「えっ、ほんとですか!」と一々大声をあげ、他の客たちの顰蹙(ひんしゅく)を買わなければならなかった。私たちにとっては、ここで驚かなくては一生驚くことなんかあり得ないというほどの出来事だった。なんと、このバッカス氏は、大学時代に斯界の名門・L大学ウエイトリフティング部に籍を置き、国際レベルとはいかないが、国内でライト級の選手として活躍し、国体および全日本選手権で優勝こそ逸したものの、両方とも二位入賞の実績を持つ人物だったのだ。私たちは、あわてて次々に自己紹介をし、次いでこれまでの経過を述べ、現在、トレーニング場に恵まれず難渋していることを訴えると、氏はまたもや心配になるほど簡単に、
「よし、それじゃ、うちでやろう」と事もなげに言うのである。
「適当な場所がありますか」
「うん、うちの倉庫を開放する」
 酒類販売業の新米経営者であるバッカス氏は、人口の割には酒好きな市民の多いわが市への立地が功を奏し、営業が好転したので、今春新しく倉庫を建設した。トレーニングくらい楽にできる余裕があると言うのだった。しかし私たちには、倉庫というものに対する払拭(ふっしょく)しがたい先入観があって、この話に顔がこわばるのを禁じ得なかった。バーベルを落として高級ウイスキーのボトルを割ったりしたら、目玉が飛び出すほどの弁償を強いられるのでないか。
「なんだい、不服そうだな。あとから見せるけど、立派なもんだぜ、うちの倉庫は」
 氏は自信たっぷりに説明した。それだけではない。氏はさらに、三十数万円もするウエイトリフティング用の公式バーベルをポケット・マネーで購入すると言い出した。バーにベアリングの入った専用バーベルでなければ、極限の重量になったとき、正しいフォームがとれないというのだ。ここに至って、私は猜疑(さいぎ)心にとらわれた。もしや、氏は何か企んでいるのではあるまいか。もしかしたら新手(あらて)の詐欺かもしれない。これではあまりに話がうますぎる。そこで質(ただ)してみた。
「……で、やはりあれですか、入会金とか月々の会費とかは相当高いものになるでしょうね」
「いや、そんなものいいよ。おれが好きでやるんだ」
「………」
 詐欺師というものは他人をだまして金品を巻きあげる人をいう。ところが氏は自分からお金を出したがっている。これが巧妙な手口というものなのか。それにしても、私たちには巻きあげられるものが何もないのだから、どうなっているのかわからない。あまりに怪しい気がしてきて、私はさらに質した。
「どうして、そんなに私たちのために、あなた一人が犠牲を払うんです」
「犠牲?」
 バッカス氏は、私の眼をじっと見つめ、それからおもむろにしゃべり出した。
「おれは犠牲とは考えていないよ。昔のバーベルの感触が忘れられないのさ。商売を始めたときは無我夢中だったが、商売がうまくいき出したら、いよいよ思いは募ってきてね。この北辺の地にウエイトリフティングの一大王国を築きたい、そんな夢がふくらんできたんだ。厳しい自然に育った人間こそ、厳しいトレーニングにも耐えられる。道北の、最も土地柄に適したスポーツとして普及できると考えた。ところが同好者を集めようと知人に話したって、誰も重量挙げ競技を正しく理解してくれない。見世物かなんかで、スポーツだとは思っていないんだ。若い者を誘っても、派手なスポーツばかりに憧れて、苦しみを克服する気がない。ずーっと幻滅の悲哀ってやつを感じていたのさ。そうしたら、今日、君たちの存在を知った。おれは嬉しくて仕方がないのよ……」
 熱っぽく語るバッカス氏の眼は潤んでいた。私たちは感激した。バーベルの魔力にとりつかれた大先輩がここにいる。いっときでも詐欺師かと疑った自分を恥じた。
 それから、みんなそろって氏の倉庫を見に出かけた。氏がスイッチを入れると、天井の蛍光灯が次々に輝き、鉄骨づくり耐寒構造の壁、コンクリートの床が現れた。清酒、ビール、ウイスキー、ワイン等の入った木箱やダンボール箱が乱雑に山積みされてはいるが、少し整理すれば、練習台のスペースは難なく確保できる広さだった。しかも、冬季に非アルコール飲料の凍結を防ぐため、廃油を燃やす大型ヒーターも取り付けられていて、願ったり叶ったりなのだった。モハメッドは感きわまって「やっほう!」と歓声をあげた。私は、バッカス氏に向かって改めてお願いした。
「私たち……と言っても私はもう歳ですから見込みはないですけど、みんな、先輩に全幅の信頼をおいてついていきます。厳しく指導してください」
 今度は誰も先っ走りだと咎める者はなく、いっせいに頭を下げた。氏は唇を引き締めてうなずいたあと、こう言った。
「歳だからって尻込みしちゃあいけない。ウエイトリフティングという競技は、他のスポーツに比べて選手寿命の長いものなんだ。若くて血気盛んな頃より、肉体的に鍛練の蓄積ができ、精神的に集中力がつく三十歳頃から力を発揮する者も多い。おれなんか、とっくに峠を越しているのに、夢よもう一度って気でいるんだぜ。みんないっしょに頑張っていこう」
 何という包容力のある温かい励ましだろう。私は嬉しくなってきて、視界がすべてバラ色に満ちた。氏もしごく御満悦のていで、その夜、一同うちそろって夜の街に繰り出し、氏のおごりでしたたかに酩酊したのであるが、さすがにあらゆるアルコール飲料の元締めである氏は、私たちが行きつけの汚れた縄暖簾(なわのれん)なんぞは見向きもせず、最初からまばゆいネオンが点滅するキャバレーに入り、ふかふかのソファーに坐り、魅惑的な若いホステスを何人もはべらせて、飲むのであった。そのとき、あのチューリップ・ハットも前掛けも身につけていなかったこともあるけれど、飲みっぷりといい、モテようといい、まさしく酒の神にふさわしく、磊落(らいらく)にして親しみのもてる好人物だった。
 ──ああ、今宵の酒はなんとうまいことか。われらの苦難を救いたもうバッカス氏は、酒の神なんていう端役ではもったいない。氏は、われらにとって救世主と呼んでいい。

第九章 酒倉ジム

 せめて練習台くらいは自分たちの手でつくろう、倉庫を損壊することがあっては、バッカス氏に申しわけない、とバッカス道場のにわか門下生たちで拠金し合う相談がまとまった。だが、一人ナルシスだけは「ぼくは、やはりボディビルを続けたい。無理して体をこわしたくない」と、先の青痣事故がいたく応えたような弱気なことを言い出し、これを機に脱退の意思を明らかにした。理由はそんな単純なことではなく、さまざまなしがらみが彼に言わしめたのだろうが、いまや私たちにとって肉体美追求は、誤れる観念と断ぜざるを得なかった。さはあれ、人それぞれに価値観や尺度が違い、それはそれで尊重しなければならず、強制することはできない。やむなく、ナルシスと袂を分かつことにした。
 それにしても、私たちは、彼と出会い、彼の親切を受けたればこそ、紆余曲折を経ながらも、これまでに高められてきたのである。私はいささか惜別の情にとらわれ、「今後、目的は違っても、同じバーベルを愛好する友として行き来し合おう」と言うと、ナルシスも眼をしばたたいて深くうなずいた。そこで、あと誰か一人くらいボディビルに残る者がいてほしいと望まずにはいられなかった。しかし、私自身は断じて、年甲斐もなくウエイトリフティングをやりたかった。そして、他の者たちも同様、一人残らず、力至上主義にとりつかれていたのである。
 練習台の材料として、私たちは厚さ一〇センチの角材を数十本用意しなければならなかった。昨今の建築資材の高騰、はたまたナルシスの欠落から、当初予定したおのおの一万円の負担が大幅に跳ね上がるのではないかと懸念されたが、幸いにも、一番星の叔父さんが隣町で野球のバットの材料を生産する工場を経営しており、そこから格安で、弾力性に富むヤチダモ材を購入できた。さっそく、それを酒倉の隅に搬入し、電気ドリルで穴をうがち、ボルトで締めつける作業を行った。これにはファンキーが器用な腕をふるい、みんなで手伝って、一日を費やしただけで完了した。最後に、バーベルを置く個所にゴムマットを敷いて出来上がり。これならば何百キロであろうと叩き落として絶対安全である。やがて、バッカス氏がへそくりを工面して購入した協会認定品の競技用バーベルが、運動具店から届けられた。それはバーが長く、ディスクが大きく、いかにも私たちの闘争心を挑発する形をしていた。また、いまや見劣りがする私のバーベルも補助用に運びこまれて、ここに準備万端が整ったのである。

 バッカス氏のコーチを受ける最初の日、私たちは期待に胸をはずませて酒倉に集合した。ところが、氏はサッカーボールを持って現れ、
「今日は、体ならしにサッカーをやろう」などと、呑気なことを言って、全員、不本意ながら、近くの公園へ連れて行かれた。
 初秋の、しかもたそがれの迫った公園というものは、若い父親が子供をブランコに乗せて揺らしていたり、高校生の男女が滑り台の陰で何やら秘密めいた会話を交わしていたり、老人が独り過ぎ去りし昔を追憶するように散歩していたり、概して物静かなたたずまいを呈している。私たちは、そんな光景をぶち壊すように、公園の端から端まで大声を張り上げて走り回ることになったのだ。
 まずはバッカス氏、ファンキー、私の三人チームと、一番星、モハメッドの二人チームが編成され、一人欠員のハンディキャップは、わが軍のゴールが鉄棒の支柱の間で比較的広いのに対し、敵軍のゴールは対面にあるベンチ一脚分のきわめて狭い間隔にすることによって相殺(そうさい)された。さて、四十五分ハーフということでゲームを開始したものの、メンバーの誰一人としてボールを正確に蹴ることのできる者がおらず、どこへ飛んで行くかボール任せという、無責任きわまりないプレーの連続となった。ということは、つまり無駄な走りが多くなるわけで、面白がる暇もなく私たちはあえぎ始め、すぐさまへとへとに疲れた。しかし、コーチがやめの合図をしないものだから、みんな命からがらのていで、敵味方入り乱れて、滅多やたらと走り回るのだった。
「なんで、こんなことせんならんの」
 一番星がきれぎれの声で不満を言いながらうろついていると、「止まるなっ」とバッカス氏は叱咤(しった)とともに敵の一番星に送球してしまったのだが、またしても、とんでもない弧を描いてボールは道路に飛び出した。「とって来ーい」指を差して怒鳴られた一番星は、もう阿呆らしいという面持ちで、のろのろ歩き出すと、今度は「駆け足っ」と絶叫する。若い者たちと目いっぱいに走っていて、この中年コーチは呆れるほどタフなのだった。
 しかし、それも時間の問題だった。氏は走っている最中、何かに蹴つまずくように転倒すると、もう立ち上がれず「前半終了」を告げた。どこかを傷めたのではなく、疲労困憊して立てないのだった。みんなも氏の周囲に集まってきて、崩れるように倒れこむ。しばらくは誰も何もいわず、ぜいぜい息をつきながら暮色濃い空を眺めていた。心臓はフル回転のエンジンみたいに響いていたし、脚の筋肉はぱんぱんに張っていた。
 しばらくしてファンキーが「足だけってのは不便だなあ。まったく思うようにいかん」と溜め息まじりに言った。両軍ともまだ無得点なのである。もっとも味方へのパスがつながれば奇跡と呼んでよく、シュートを決めるなんぞはほど遠い話だった。
「いや……」バッカス氏は一息大きく吸いこんで言った。「これでいいんだ。下手だからよけい走れる」
 なんてことを言うの、という顔つきで一番星は氏を見、それからみんなの気持ちを代弁するように抗議した。
「走ることなんかより、おれは早くバーベルを持ち上げたい」
 コーチは、意外に柔和な表情で口を開いた。
「ウエイトリフティングは、たしかにバーベルを持ち上げる競技だ。だからと言って、筋力強化のトレーニングだけを行っていたら、すぐに限界がくる。走りはすべてのスポーツの基礎だ。下手なサッカーは、これからのトレーニングに耐える持久力を養成する」
「………」
 私たちは、膝の間に顎を落として聞くしかなかった。
「目先の記録向上しか見ずにやっていたんではだめだ。おれに任せときな。君たちに本当の力をつけてやる」
 私は納得した。まだ苦しかったが「よし、頑張ろう」と言って立ち上がった。続いてみんなも……。しかし、一番星はまだ納得がいかないらしく、仏頂面をしてしぶしぶ立ち上がるのだった。
 次のトレーニングの日は、五〇メートル・ダッシュと、ゴム紐跳びをやらされた。いずれも瞬発力とスピードの総合的訓練ということである。
「八十回も世界記録を更新したスーパー・ヘビー級のアレクセーエフは、一〇〇メートルを十一秒フラットで走り、走り高跳びは一メートル八五センチをクリアーしている。想像がつくかい、あんこ型の力士のような体でだぜ。パワーというものは筋力だけでない。筋力プラス、スピードなんだ」
「………」
 理論的には誰も疑う者はなかったけれど、猛然と髪を振り乱してかけっこを繰り返し、女の子みたいにゴム紐跳びに興じている男たちの姿は、事情を知らない人には異様に映ったらしく、道行く人はバカじゃなかろうかとの眼つきで私たちを見た。私は、つるべ落としの秋の陽のほうも、もっとスピード・アップして、早く暗くなってほしいと念じたものだ。
 待望の、バーベルを握っての専門的トレーニングに入ったのは、二週間もあとだった。私たちは真新しいリフティング・シューズを履いて集まった。踵(かかと)の高いこの靴の紐を締めるとどこからともなく力が湧いてきて、いっぱしのリフターになった気分だった。氏は冒頭に、柔軟性について一くさり弁じた。
「ウエイトリフティングを知らない人たちに誤った見方がある。それは、リフターの体がひどく固いものだと思っていること。実際、とてつもない重量を持ち上げるのだから、筋肉硬化を起こしているとの感じを受けるのだろうが、リフターの必須条件は関節や筋肉のしなやかさにある。柔軟性をおろそかにしてはこの競技は成り立たない」
 そして、独特の柔軟体操をいやになるほど念入りにやらされた。私はもともと人間が固くできているので、体の諸関節も固く、ここでまたもや苦しい目に合わされた。とくに床上で股を開いて胸をつける体操は、ひいひい悲鳴をあげるだけで、脚も開かないし、体も前傾しないのに、ずんぐりタイプのバッカス氏が、ほとんど一直線になるまで両足を開き、少しぽっこり出たお腹を軽く床に触れさせてみせるのだった。
 それからやっと、バーベルを持ち出してきた。それが一五キロのディスク二枚とバー(二〇キロ)だけの、わずか五〇キロにセットして、
「みんなのフォームを見せてもらう。まずクリーン・アンド・ジャークをやってみろ」と命じた。そこでファンキーから順に行ったのだが、少なくとも大会出場の経験がある私たちにとって、そんなものは軽々と持ち上げられる重量であって、皆、不当にさげすまれた気分になりながら、それでも難なく、次々にやりおおせた。ところが氏は、
「だめだ、みんな腕で上げている。脚と背中で上げなくてはいけない」と言うのである。
 私たちは、バーベルは手で握っているのに、脚や背中でどう上げるのか、すっかり困惑してしまった。ここは、氏の詳細な説明を聞かなければならない。
「ウエイトリフティングは、体の裏側の勝負と言える。つまり、人間の体の中で最も太い、背中、尻、脚の筋肉を存分に使うのが合理的なんだ。バーベルが床から股ぐらの辺りを通過するまでは脚の立ち上がる力、股ぐらを越えたら背筋、臀筋の突き出しと脚の突っ張り、そこで初めて腕で引く。君たちは、バーベルが床にあるうちから腕力で上げようとしている。これでは体勢が前傾して、バーベルは垂直に上がってこない。ぎっくり腰の原因はたいていこれだよ」
 モハメッドが、自尊心を傷つけられたというふうに口を尖らせた。
「軽すぎるんです、コーチ。おれは九〇キロを差せます。重かったら、ちゃんとフォームも決まりますよ」
「いや」バッカス氏は穏やかに否定した。「いいか五〇キロ上げる時も一〇〇キロ上げる時も、フォームは同じだ。重量の増減で変わるのは力の加え方だけ。いかなる場合もフォームは不変、そういうリフティングをしなければ本物にならんぞ」
「………」
「最初から重いバーベルを使うと、持ち上げることに全力を集中しちまって、フォームがおろそかになる。軽くして、正しいフォームを徹底的に体に覚えこませるんだ」
 そう言って氏は、バーベルを上げる諸動作が、人体の骨格構造や筋肉配置から、どのような動き方をするのが最も合理的か、実際にバーベルを持って、スローモーションで敷衍(ふえん)して見せた。私たちはただ唸るしかなかった。まったく、私たちはズブの素人にすぎなかったのだ。一度くらい大会に出て、ちょいとチーフ・レフリーにおだてられただけで天狗になっていたらしい。サッカーやダッシュなどのフィールド練習では、私たちと五十歩百歩のバッカス氏が、ひとたびバーベルを握ると、かくも仰ぎ見る存在に変身してしまうのに驚かざるを得ない。さすがに完璧なテクニックを身につけたリフターであった。私たちは初心に返り、軽いバーベルでフォームの練習を何十回、何百回と反復し続けることにしたのである。……
 やがて雪が散らつく季節に至って、戸外のかけっこ練習はできなくなり、バーベル・トレーニングに重点がおかれるようになった。いよいよ筋力強化に入ったのである。しだいに重量が増すにつれ、高度のテクニックが要求される。一瞬のうちに決まってしまう、この単純きわまりない動作のなかに、私たちは今さらのように奥深いものを発見し、己のすべてを賭けて悔いはないのだった。トレーニングは苦しい。しかし、その汗まみれの苦痛の真っ只中に、陶然とした無我の境地がある。

 そんなある日、いつものように私たちが汗を流していると、どこからともなく、妙なる尺八の音が流れてきて、鋭いかけ声とともに、喉の張り裂けそうな唄が響き渡った。それは、こういう文句になるはずであった。

 鴎(かもめ)の啼(な)く音(ね)にふと眼を覚まし
  あれが蝦夷(えぞ)地の山かいな

「うるせえなあ、どこのステレオだ」
「それにしちゃあ、調子っぱずれでないか」
「ちょっと見てこいや」
 ファンキーが倉庫を出て行き、やがて戻ってきて報告するには、
「裏の家からです。〈追分(おいわけ)道場〉って看板が出てましたよ」
「え、あの空家にそんなのが引っ越してきたのか」
 バッカス道場の主は、バーベルを上げるフィニッシュ時のように顔をしかめた。
「おーおォォーおォーおォー」
 唄は一節さえまだ終わっていないというふうに、いつまでも引っ張り続けている。
「いくぞっ!」
 一番星がバーベルを握って構えたが、持ち上げる気になかなかなれないでいる。
 江差追分は北海道の民謡中、いな日本国内の民謡中、屈指の傑作といっていいだろう。若者たちには敬遠する向きもあるが、激越悲壮な節まわしを鑑賞するに、私はやぶさかではない。しかし、何にでも時と場合とがあるものであって、スポーツのさいの、とくにウエイトリフティングにおけるBGMとしては、不適切きわまりないものと断ぜざるを得ない。せめてソイ掛けだけならば、バーベルを持ち上げようと構えたときに発してもらえば、心身が引き締まり、気力が充実してくるかもしれないけれど、唄のほうは、張り上げるにいいだけ張り上げたかと思えば、今度は押し下げるにいいだけ押し下げ、ほんの一つまみの文句を延々と引っ張り続け、いつ終わるとも知れないではないか。これでは、どうにも気持ちが片づかない。いくら深呼吸をして精神統一をはかろうにも力が抜け出してしまうし、ファンキーならずとも、波間に漂う小舟のごとく、あらぬほうへ歩き出しかねない。
 私たちは、つくづくついていない星の下に生まれついたに違いない。せっかく卓越したコーチと完備したジムに恵まれ、好調にトレーニングを積み重ねてきたのに、またもや神経を逆撫でする厄介な問題が発生してしまった。

第十章 クラブ発足

 正月というものは、せめて元旦くらい、世事に振りまわされず、独り、わが来し方を顧み、行く末を思いめぐらす時でありたい。それでなくては、年がら年中、うろうろ走り回ってばかりいて、自分を見失ってしまいかねない。ことに昨年は、私の生き方を一新し、これまでにない波瀾(はらん)の道を歩み出したのだから、ここは一度立ち止まって、うなずいてみる必要がありそうである。
 新しき朝は、晴れてはいなかったけれど、明るい灰色の空から音もなく雪が降りしきり、静かに思索するのに向いた日だった。私はアパートの自室で、そのような窓外を眺めやりながら腕組みをした。三十歳の昨年は、二十九歳の次の年じゃないか、まだまだ若いさ、という軽い気持ちで、迫り来る三十代の重さをどうやら知らん顔してやり過ごしたのだったが、しかし、今年はもう端数つきの三十代になって、いままでしがみついていたものから、否応なしに振りほどかれた感じなのだ。
 ──そろそろ大人気ない態度や行動におさらばして、自覚とか、責任とか、安定とか、風格とか、とにかく三十代らしさを確立しなければならない──私は鏡に向かって、少しばかり眉根を締めつけ、三十代らしく渋い表情を浮かべてみたら、急に空腹なのに気づいた。──年の初めに当たり、雑煮を食べなければならない。それには、雑煮をつくらなければならない──私は冷蔵庫を開け、買い溜めしてある肉、蒲鉾(かまぼこ)、椎茸(しいたけ)、その他を取り出してみたが、元旦早々、三十代の男がそんなものを料理するのは沽券(こけん)にかかわる、と思い直した。そこで、インスタント・ラーメンの中に餅を入れれば、たちまちにして雑煮になるとのアイデアが閃き、さっそくガスコンロでお湯を沸かす一方、ビニール・パックから切り餅を取り出し、石油ストーブの上にアルミ箔(はく)を敷いて、焼き始めたのである。
 そのとき、階下の管理人から電話がきたことが告げられ、元旦早々いったい誰だろうと出てみると、声の主はバッカス氏であった。
「明けましておめでとう。さっそくながら、本日只今、われわれの新年会を開く。至急、拙宅に来られたし」
「は、もうはや……。いま、雑煮を作ってる最中なんですが」
「ふーん、君は独身だったねえ。うん、新しい年の課題に考えなくちゃいかんなあ。で、君に、うまい雑煮がつくれるのかい」
「ええ、まあ、そこそこのものは……」
 インスタント・ラーメンに餅を入れるとは、言いかねてごまかした。
「それじゃあ、悪かったかなあ。ワイフが諸君らのため腕に縒(よ)りをかけてるし、酒は何でも揃ってるんだが……」
「た、ただちに参上します」
 かくて私は、降りしきる雪の中を馳せ参じたのだが、他の仲間たちもたちまち集まって来て、バッカス邸の奥の間に通された。そこには、色鮮やかにして、まさに涎(よだれ)の出そうなご馳走がテーブルも狭しと盛りつけられ、かつ、さまざまな形の酒瓶が林立していて、私たちはどこから手をつけていいのか、迷ってしまうほどだった。しかし、ふだん、ろくなものを食べていない私たちは、がつがつと、それらを片っ端からむさぼり平らげていったことはいうまでもない。
 宴半ばにして、氏は、いつになく改まった、厳粛な面持ちでしゃべり出した。
「昨年は基礎体力づくりの年だった。二年目の今年は、全員もはや初心者ではなく、リフターと言っていい。トレーニングをいっそう強化して、力とテクニックに研きをかけるが、同時に競技会はすべて出場して成果を出していくことにする。そこで、われわれは、本日から正式なスポーツ団体として結束していきたい。何かユニークな名称を考えてくれ」
 私たちに誰一人異存はなく、さっそく、大いに頭をひねったのだけれど、山海の珍味をがっつき、和洋の酒をチャンポンにして飲んだあとだったので、さっぱりいい知恵が浮かんでこない。
 ところが、今年、成人式を迎えるファンキーは、あのいまわしい二重違反による免停事件のあと、健気にも将来のことを慮(おもんぱか)って、塗装だけでなく、レタリングやデザインの勉強も始めていた。モハメッドに「まず恰好いいマークを考えたらいい。世の中、ビジュアルの時代だ」とあおられて乗り気になり、バッカス氏の奥さんに紙とマジック・ペンを持ってきてもらって、急に大人びた顔つきで考案し始めた。しかし、眉間に皺を寄せるばかりで、手はちっとも動かないのだった。
「そうだ」一番星が口に含んでいたワインをごくりと飲んで言った。「酒倉ウエイトリフティング・クラブ、ってのはどうよ」
「うん」私は思わず膝を打った。「これはいい、絶対いいよ」
 バッカス氏も「ふざけてて、豪快さを兼ね備えてて、いいかもな」と言った。
 やっとファンキーの手が動き、デザインは瞬く間に、いやにあっさりと描きあげたのだが、紙に描かれていたものは、家形の中にウエイトリフティング・クラブの頭文字「W・C」がはめこまれているだけだった。これでは、どうも酒倉ではなく、公衆便所のようにしか見えない。すぐさま、上にバーベルの絵をあしらい、酒倉の頭文字も冠して「S・W・C」と改めてみたけれど、まだ何となく漂う臭気が消え去らないのである。
「仕方ない、バーベル・クラブと改称しよう」とバッカス氏が修正案を出した。
「B・C──これなら変な読み違えはないだろ」
「紀元前って意味もあるけど」と私が指摘したら、氏は眼を輝かせ、
「……原始人に返れ。男の本能に立ち返り、力を求め続ける。うん、こいつは悪くない。それに酒だって、古いものほど上等なんだぜ」とすっかり気に入ってしまい、みんなもシャンシャンシャンと手を打って、ここにめでたく「酒倉バーベル・クラブ(S・B・C)」が誕生したのであった。

 ウインター・スポーツの花形は、何といってもジャンプ競技だろう。地球の重力に逆らうことにおいては、私たちのウエイトリフティングと同工異曲であるけれど、鳥のように空を飛ぶ華麗な姿は、地に這いつくばり、せいぜい立って両手を伸ばすにとどまる私たちとは比較にならない人気である。とりわけ今年は、かの国で開催された冬季オリンピック大会に日本選手団が大活躍をして、上位を独占するほど多くのメダルを獲得したことから、わが市においても、期間中、話題はそのことで持ちきりだった。選手のすべてが北海道出身なので、なおさら親近感が強かったのだろう。
 世間の大騒ぎとは別に、この壮挙のなかに、私たちにとって耳寄りなエピソードが含まれていた。それは、ここ数年来、低迷を続けてきた日本のジャンプ陣が、今冬に至ってこれほど目ざましい実績を上げ得たのは、その陰にウエイト・トレーニングによる体力強化の特訓があった、との点である。この話を耳にしたバッカス氏は、メダリストたちの特訓に当たった日本体育協会の公認トレーナーを招いて、わが市でウエイト・トレーニング講習会を開く計画を立てた。この地に、重量挙げの隆盛をはかるには、まずバーベル運動の普及が先決と考えたのだ。自分さえ力持ちになれば事足れりとする私たちと、バッカス氏では、視点がこうも違うのである。
 公認トレーナーは、元L大学ウエイトリフティング部におけるバッカス氏の後輩であったところから、スムーズに了解が得られ、またバッカス氏の働きかけで、わが酒倉バーベル・クラブと教育委員会との共催、その実、費用はすべて教育委員会持ちということで実現した。氏は、このように、バーベルのみならず、市当局者を上手に持ち上げることにも堪能な、政治的手腕とでもいうべきものを備えているのだった。
 それは、大型寒気団が道北地方の上空に蟠踞(ばんきょ)し、午後になってもシバレのゆるまない日であったが、オリンピックの興奮がまだ覚めやらぬ時機だったので、会場の市民会館には、わが市の各種スポーツ競技者、指導者が一〇〇人近く参加して開催された。地方都市のこの手の行事としては、上々の入りといってよかろう。
 会場にはナルシスの顔も見え、雪に閉ざされがちな季節ゆえに、同じ市に住んでいて、ずいぶん久しぶりの再会のように思えた。
「相変わらずやってるかい」と私は声をかけた。私たちが新古物センターの倉庫を出たあと、ナルシスは再び商品を片づけてボディビルを始めた、という情報を耳にしていた。彼は眼元を少し寂しそうにして答えた。
「ええ、でも、このごろはシバレがひどいから、倉庫の中も冷えこんじゃって。こないだなんか、掌がバーにくっついちまって大変だった」
「そうかい。バッカス氏の酒倉ジムは暖房完備だし、ウエイトリフティングをやる気なら」
「いや、やっぱり、ぼくは……」
 ナルシスはあまり言ってほしくない、というふうに言葉を濁した。
「じゃあ、ま、お互いに頑張ろう。今日は来てくれて、とても嬉しいよ」
「ええ、じっくり勉強させてもらいます」
 そして彼は、私がいっしょに坐ろうと誘ったのに、後ろのほうへ行ってしまった。会場は出席者の引っこみ思案な心理が働いてか、皆、後ろから順に坐ってくるので、前の席が空いている。講師に失礼にならぬよう、私たちバーベル・クラブのメンバーで前列を占めることにした。
 講義が始まった。トレーナー講師は、元リフターと思えぬほど知的な風貌をしており、しゃべり出すとなかなか立て板に水だった。
「日本のスポーツ界には、ウエイト・トレーニングに対する偏見がありますね。バーベルを上げると体が奇形になると思っている体育指導者がまだいるんです」と憤懣やる方ないというように前置きして、人間の筋肉に無駄なものは何一つないこと、それを鍛えれば動きがスムーズにこそなれ、決して邪魔な肉にはならないこと、外国ではスポーツ競技者にとってバーベルによる鍛練は常識であること、を諄々(じゅんじゅん)と説いた。高名なオリンピック・ジャンパーのエピソードをまじえて話すので、興味深く漸進性負荷運動の理論が学べた。それはバッカス氏の指導と本質的に同じものであった。私たちの前列、つまり最前列に席を占めたバッカス氏は、氏が私たちに教えたのと同じことを講師が言い出すたびに大きくうなずき、後ろを振り返って「なっ」と言い、私たちにもうなずくことを強要するのだった。
 バッカス氏と並んで、私たちの前にいる一番星も、静かに頭を下げ、急に大きくうなずいたと思ったら、これは納得したのではなく、居眠りをしているのだった。彼にとって人の話とか本とかいうものは、睡眠剤以外の何物でもないらしい。よろけたあとハッと気づいて、さも首筋が凝ってしょうがない、というふうに首をねじって見せたりしてごまかしている。しかし、再び立て続けに首がよろけるので、こんなに近い講師の面前で、しかも話のポイントでもないところで、やたらうなずいて見せては、講師も面食らってしまうだろうし、S・B・Cマークの付いたお揃いのジャージーを着ている私たち主催者としては、面目丸つぶれとなってしまう。それから、私たちは、絶え間なく一番星の脇腹をど突いたり、脚の裏側を蹴とばしたりしなければならなかったので、とても講師の話のさわりに一々うなずいている暇がなくなった。
 しかし講師が、オリンピック選手全員の体力テストを行ったさい、最もジャンプ力があったのは、バレーボールの選手でも陸上競技の選手でも体操の選手でもなく、ウエイトリフティングの選手だったと明かし、──ずんぐりむっくりして、一見、不細工に見えるリフターたちこそ、実は最も均整がとれた体なのです──と強調したときには、私たちの誰も彼もが、何度も何度もうなずいたのであった。
 講義に引き続き、ロビーで実技指導が行われた。器具はわがクラブのバーベルを真ん中に置き、そのほか教育委員会が用意したショート・バーベルも何本か並べられた。実技指導を受ける参加者は三十人ほどで、あとの参加者は壁ぎわに立って見物していた。
 ジャージー姿になって現れた講師は、ロビーの中央で、ぶらんと両手を下げ、オランウータンが立ち上がったような姿勢になって、声を張りあげた。
「これが、バーベルを上げるスタート姿勢です。この中腰の形はあらゆるスポーツの構えに共通している。考えてごらんなさい、野球でも相撲でもテニスでもジャンプでも、構えはみな中腰です。バーベル運動をやると、まずこの基本姿勢が正しくなる……」
 講師は、それからハイ・クリーンの動作を事細かに解説しながらやって見せ、次いで参加者に実際にバーベルを取り扱わせた。もちろん誰もが上げられるように軽くしてある。ところが、こんな単純なハイ・クリーンさえ、初めてバーベルを持った者にはさっぱりうまくできないようなのだ。引きは腕力だけで持ってくるし、クリーンしたあと腹を突き出し、へんに力んでしまう。また手首が固くて完全に返せず、鎖骨の上にバーを乗せられない者も多くいた。
「ヘヘっ」と一番星が、さも軽蔑したような声を出したが、しかし、振り返ってみれば、かつての私たちの動作もこんなものだったに違いないのである。「体が固いですねえ。それではスポーツマンとは言えませんよ」と、講師がある参加者に柔軟性の必要なことを説くのを、私たちは腰に手を当てて、したり顔で同調するのだった。
 それから、バーベルの本数だけ班に分かれて、参加者が交代で実技を行ったのだが、講師一人では回りきれないので、わがクラブの面々が、補助員として指導に当たることになった。私たちはナルシスもメンバーに誘ったら、彼はちょっとためらったのち、存外嬉しそうな表情で協力してくれた。こうして、日ごろは人目のない、薄暗い倉庫の隅で黙々とバーベルを上げてきた私たちが、今日は堂々と他のスポーツ選手たちを指導するのである。おもはゆさを伴ったけれど、悪い気はしないものだ。
「床から垂直に、体の最短距離を上げることが最も合理的です」「腕で引いてはいけない。脚と腰で上げる要領です」などと、私たちはいっぱしのコーチ気取りで教えた。参加者のなかにはバレーボールやテニス、卓球などの女性選手たちも混じっていたので、彼女たちがバーベルを握ると、このにわか指導者はやたらと親切になり、手幅はこれくらいね、とか、背筋をもっと伸ばして、とか言って、直接、体に触れたがるのだった。けれども、女性たちが熱烈に教えを希(こいねが)っているのは、ファンキーでもモハメッドでも一番星でもなく、はたまた私でもバッカス氏でもなく、お目当てはハンサムなナルシス一人なのだった。本日の講師の知的風貌からも推量できるように、普及宣伝を効果あらしめるには、ある程度、指導者のルックスのよさというものが必要であるようだ。
 こうして逐次、ハイ・クリーン、フロント・プレス、スクワット等々、バーベルを使った十数種の基本運動が指導され、参加者たちは戸外の樹氷花咲く酷寒の風景をよそに、額に汗して、ウエイト・トレーニングの概要を体得したのであった。
 この講習会の開催で、これまで無名だったわが酒倉バーベル・クラブの存在は、市内スポーツ関係者の間に大いに喧伝されるところとなった。しかし、ウエイトリフティング競技への志願者は一向に増える気配がなかった。何事も楽をして過ごそうというオートマチック全盛の昨今、わざわざ重い物を持ち上げようとするのは時代遅れの行為なのだろうか、それとも、よっぽど世の中からはみ出した物好きということになるのだろうか。

第十一章 持久力の誤算

 そんなこんなで、私たちが本格的トレーニングに入ったのは、はや三月になっていた。室内競技にシーズン・オフはないのだが、一月は新年会だクラス会だファンキーの成人祝いだと、飲み通しに飲んでいて、二月はウエイト・トレーニング講習会の準備と後始末であっという間に過ぎ去り、協会の会報で今年の競技会のスケジュールを知って、あわててバーベルを握り始めたら、南国から桜前線の上陸が伝えられる三月だったのである。
 さて、今年の競技会の開催は、五月に選手権大会、七月に国体予選と、いままで兼ねて行われていたものが二分され、さらに新しく十月に北海道体育大会ウエイトリフティング競技会が設けられることになった。競技人口の増加に伴い、私たちの出番が増えて年三回となったのである。このうち最後の競技会は、先般の講習会の実績が評価されたのか、競技普及を北上させる目的か、協会本部はわが市を開催地に選んできた。
 まず、当面の目標は、五月の選手権に向けられた。今年の緒戦だから、お互い体ならしと、敵情偵察の意味もあって、全道各地から大勢が集まるという。
 戸外はまだ深い雪に閉ざされていたが、目標を得て、にわかに酒倉ジムは熱気を帯びた。ところが、練習を始めると、決まって、あの江差追分が魔法の笛かなにかのように聞こえてきて、私たちの四肢を弛緩させるのである。酒倉の周囲は降り積もった雪で軒下まで埋もれていたから、夏ほどの音量ではなかったが、しょっちゅう耳にしていると、かすかな音が一部分聞こえただけで、節まわしの細部まで、おのが聴覚で増幅してしまうものだ。それに、このごろは相当繁盛しているらしく、門人の数がぐんと増え、ときどきは大合唱までやらかして私たちを悩ますのだった。
 バッカス氏は、──競技会は、いつも自分に都合のいい条件で行われるとは限らない、悪い条件下でトレーニングすることも一法である。精神集中の鍛練として、むしろ歓迎すべき障害と思え──と、私たちの軟弱な精神に活を入れるのだったが、誰もが、バーベルに挑む緊迫した状態とはまるで似つかわぬ、悠揚迫らぬ調子にイライラして、「どたま、かち割るぞ!」だの、「喉、かき切っちゃる!」だの、と聞くにたえない罵声を発してバーベルを上げる始末。こんなトレーニングを続けていたら、これが習慣になってしまって、本番の競技会でも試技するたびにそんな文句を絶叫するのではないか、と要らざる心配までしなくてはならない。
 私たちの恨みがあまりに激しかったせいか、幸いにも、間もなく街に悪性の風邪が流行し、追分の先生は呪われたみたいに高熱を出し、喉を痛めて当分休業するという嬉しいニュースが入ってきた。かくて私たちは、まったく何者にも邪魔されることなく、心おきなくトレーニングに精励することができた。魯迅(ろじん)の言葉を借りるまでもなく、人は皆、他人を食って生きているもののようである。
 トレーニングは、四月に入ると試合向けの調整に切り替えられ、全体のセット数は減らされたが、使用重量は増加させられた。つまりスナッチとジャークの二種目にしぼって、各自のベスト記録に近い重量に、がんがん挑むのである。バッカス氏は「練習と思うな、試技台の上にいると思え。一本、一本が真剣勝負だ」と気合を入れた。
 私は伸び悩んでいた。もっとも、バッカス氏の名コーチによって、このところ驚異的に力がつき、スナッチは昨年のベストに比べ実に一〇キロも、ジャークだって七・五キロもアップしてはいたが、高みを目指す者にはいつも壁が立ちふさがるものだ。私は、スナッチは八〇キロをとれることはとれるが、コンスタントにいかないのが悩みだった。足腰が固くてフォームが安定せず、何でもないところで落としてしまったりする。どうにも綱渡り状態から脱しきれないのだ。反面、ジャークは安定していて、九七・五キロまでならいつだってとれる自信があったけれど、これも一〇〇キロの壁がどうしても破れない。
 大会における各人の試技重量を決める測定は、大会十日前に行われた。この結果、私はスナッチはベストを第三試技として、それ以上の冒険をしないことにしたが、ジャークはベストを第二試技におき、第三試技で一〇〇キロに挑戦する計画を立てた。大会の異様な雰囲気のなかへ自分を追いこみ、突破口を見出せ、とのバッカス氏のアドバイスによったのだ。同時に、ライバルのモハメッドに大差をつけ、一番星に迫りたかった。モハメッドは左腕のダンベル・プレスを熱心に続けた効果が現れ、このごろ左を向く癖がかなり矯正され、私と鼻の差くらいのところまで追い上げてきていたし、一番星は、体重が私より一階級上ではあるものの、すでにジャーク一〇〇キロを超える力量を見せていたので、私としては安閑としていられない心理状態だった。
 ともあれ私たちは、バッカス氏の指導よろしきを得て、大会三日前から完全休養をとり、まず全員、絶好のコンディションに調整されたのであった。

 出発は大会前日の午後、汽車で出かけた。開催地である道央のP市まで、わが市から乗り換えなしの急行列車を利用しても三時間半を要する。闘いまで時間はたっぷりある。私たちは汽車が動き出すと同時に、用意の缶ビールの口金を開け、ピーナッツの袋を破り、氷下魚(かんかい)の皮を剥いで、一献傾けた。夕暮れのP市に到着したとき、みんないい機嫌になっていた。かねて予約しておいたビジネス・ホテルに入ったが、長い冬から解放された五月、この大都会に出て来ると、はや初夏の気配が感じられ、何となく手持ち無沙汰で落ち着かない。バッカス氏が電話番号簿を開いて、この街に住む、かつての重量挙げ仲間を探し出し電話をしたところ、再会を祝して軽く一杯やろうということになり、私たちもぞろぞろくっついて、繁華街の、とある寿司屋へ出向く仕儀となった。
 ところで、世の中は何と狭いものだろう。このバッカス氏の旧友という人物が、誰あろう、昨年、私たちが初出場の国体予選兼選手権大会で散々な目に合ったとき、力強く励ましてくれたチーフ・レフリー、その人だったのである。お腹が少しふくらみ始めた二人の中年男は、激しく手を握り合い、肩を叩き合い、そしてウイスキーの水割りで旧交を温め合った。
「君はもう、この世界をお見限りかと思ったよ」
「許せ。しばらく家業が忙しくてな。しかし、今回からカムバックする。まだじゅうぶんの仕上がりでないが、試合に慣れるために出て来た」
「うん、君がコーチなら万全だろう。この若手の力量は、前の大会でしかと見たよ」
「若い者だけでないぜ。おれも出場する」
「え、正気かい。いくつになったと思ってるんだ。もうガタがきてんだろうが」
「いや、口先だけのコーチじゃいかん。ともに進む、これがおれの信条だ」
「相変わらずだな。……君は昔からそうだった。つねに率先してトレーニングに励んだ。挙句の果てがいつもオーバー・ワークだった」
「うん、それで、ベスト・コンディションが得られなかった。万年二位なんて言われて……」
 四十代同士の話というものは、すぐにも過去へさかのぼりたがるものらしい。それはそれで面白くもあったが、私たちは軽くビールを飲み、寿司をたらふく食べて満腹してしまうと、そろそろ話に飽きてきた。いつまでも尽きそうにない二人の間を割って、「明日のこともあるんで、もう帰って就寝したいのですが」と促すと、チーフ・レフリーは「えらい。みずからを律する者が勝利を手中に収める。明日は、本道ウエイトリフティング界に新しい星が誕生するだろう」と、またもや、おだて癖が出たのであったけれど、私たちもいささか酔っていたから、この言葉が当然のように思われ、「きっとやります!」などと、政治家の選挙公約みたいに大言壮語するのだった。バッカス氏は「おれは別に新しい星じゃないから、もう少し彼と話して行く。先に帰って休んでくれ」と言うので、私たちは一揖(いちゆう)して外へ出た。
 大都会の夜空を彩るイルミネーションは、わが故郷の親不孝横町の赤い灯に比べようもなく、何十倍もの魔力をもって誘いかける。私たちは、一向にホテルヘ帰りたくならない気分を持て余し、何となく歓楽街のほうへ歩いて行った。まばゆい光の洪水のような通りで、腕を抱えて強引に呼びこみをする男たちや、入口に立って妖しく微笑みかける女たちを、どう見ても田舎者にしか見えない私たちが、ドギマギしたりポカンと見とれたりしながら歩いて行くと、やがて光の束がとだえる盛り場のはずれへ至ってしまった。一同回れ右をして、再び歩き出そうとしたとき、一番星が、人影のあまりない横手の通りの、あるピンク色のネオンを指さして言ったのだ。
「……なあ、みんなで入ってみないか。おれ、一度でいいから行ってみたいと思ってたんだ」
 私は一瞬、体の奥にどきんと痛みが走ったように感じた。一番星だけではない、私も同様、まだそんなところへ足を踏み入れたことがなかったのである。図書館関係の出張で、このP市を訪れ、夜の街にさまよい出てスナックで水割りを飲んだりもするけれど、いつも一人で度胸がないものだから、あのネオンを横目で見ながら、指を加えて素通りするしかなかった。はからずも今夜は、仲間がいることから気が大きくなって、本能の食指が動き出し、みんなの反応を横目で見渡した。ファンキーも同様らしく、私と眼が合って、お互いに何となく卑しい笑いを浮かべてしまった。このとき、モハメッドの顎鬚が動いた。
「……いったい、おれたちはこの街に何しに来たんだい。ウエイトリフティングに来たんだぞ。戦場に入ったんだ。そりゃあ、眼の前にあのネオンを見たら、健康な若い体だ、その気になるのはわかるけど……な、今夜は堪えよう」
 この耳に痛い忠言で、他の者は何も言えなくなり、そして故郷をちょいと離れると、すぐにも羽根を伸ばしたがる自制心のなさをつくづく恥じたのである。それにしても、見るからにエピキュリアンの風貌をしたモハメッドが、実は強い意志の持ち主であったことを見直し、明日のために一同感謝の念を禁じ得なかった。
「その代わり、もう一軒、女の子がいる店でパアッと飲みなおそうや」
 さっそく、割り勘でバーヘ入ることに衆議一決し、適当なところで、洒落たモザイク模様の扉に入った。ボックスに座を占め、果たしてどんな美女が現れるかと期待していたら、現れたのは、愛想は実にいいけれど、おばさんと呼んで叱られないほどの二人の超年増だった。一人は厚化粧では隠しきれない眼下の隈が妙にわびし過ぎるし、もう一人は器量はまあまあだけれど、やたら胴が太く、かつ、けたたましい笑い声を立てるのに圧倒されて、みんな就寝前の安息が得られる状態にならない。かくてこの辺から、聖人・モハメッドの堅固な意志はねじ曲がり始めたようだった。
 彼は、ボクシングを例に引いて、節制と体力との相関関係についてしゃべり、マラソンと変わらない持久力が要求される格闘技にとって、酒と女は禁物であるとの話が、いつかウエイトリフティングにおいて要求されるものは、持久力より瞬発力だから、酒はそれほど害にならない、はたまた女も同様である、との結論に達したのは何時ころだったろう。
「……賛成の諸君の挙手を求めます」とのモハメッドの声に全員が手を上げたのも成り行きというものだった。
 しかし、再び引き返したピンク色のネオンの前で、ファンキーが「おれ、やっぱり帰る」と言って尻込みし、それで私も当惑させられたのであったが、「あいつはウブだからしょうがない。しかし、先輩がいなくちゃ困るよ」と一番星に強い力で腕をとられ、今さら拒めなくなった私は是非もなく、モハメッドのあとに続いてネオンをくぐった。
 ……あの不夜城における出来事について、多くを記すことは憚(はばか)られるが、予想外にモテモテだったということは、ちと書いておきたい気がしないでもない。仲間の誰もが、人相はともかくとして、裸にさえなれば、筋肉もりもりの逞しい体つきなのだから、サービス嬢を驚かせ、すっかり気に入られ、ビジネスを離れてとことん徹底した歓待を受けたとしても不思議はないか。それはともあれ、この世にこんな世界があることを私は初めて体験し、ふと、病みつきになりはしないかと案じたほどだった。まったく、健全なる身体に健全なる精神が宿るとは限らない……。
 こんな場所では、とても知人とは顔を合わせたくないものである。それが帰りしなに、待合室でばったり、事もあろうに、バッカス氏に会ってしまったのだ。
「き、来てたのかい……」
 頬を上気させて氏は低い声で言った。チーフ・レフリーの姿は見えず、彼の終わるのを待っていたのかもしれないが、それを聞く雰囲気ではなかった。
「ええ、みんな、行こ行こって言うもんだから、つい」
 私は小声で口ごもりながら答えた。一番星は天井を見、モハメッドは床を見ていた。
「それで、終わったの」
「ええ。……コーチは」
「いま済んだところだ」
「じゃあ、帰りますか」
 私たちはタクシーを拾って、ファンキーが一人寝しているビジネス・ホテルに帰った。時計の針はとうに十二時を回っていた。

 さて、明くる日の選手権大会は、……願わくは、この日の試合経過を詳述することを差し控えさせてもらいたい。わがクラブのメンバーは、ワイン・レッドの揃いのユニフォームを着て出場したのであるが、ファンキーを除く他の者は、皆、気合が入らなかったのだ。
 いうまでもなく、昨夜の深酔い、深遊びで、体の芯を抜かれたような虚脱状態に陥っていた。足腰に力が入らないと言っていたモハメッドは、スナッチで左を向く前に床に膝をついてしまったし、眼がかすむと訴えていた一番星は、ジャークのさい立ちくらみを起こした。バッカス氏は無言であったけれど、引き不足でいつものようなダイナミックなスプリットが決まらない。私はといえば、ジャーク一〇〇キロヘの挑戦どころか、試技台に上がってさえ、まだ昨夜のさまざまなシーンが眼の前に思い浮かんで、体中がほてり、バーを握る力すら湧いてこない有様だった。一人ファンキーだけが、堅実なリフティングを続け、フライ級で五位に食いこんだのである。これほど厳然たる審判があろうか。

第十二章 絶体絶命

 私たちは、わが市へ帰還したあと、さすがに、しばらくはバーベルを持つ気が起こらず、仲間同士が顔を合わすのもいまいましい思いであった。けれども、初入賞のファンキーばかりはえらく張りきって、トレーニング再開について何度も電話をかけてよこしては、やる気のなさをなじるので、けっきょく、この最年少者に尻を叩かれる恰好になり、一週間もたたないうちに、いやいやながらジムに出向かざるを得なくなった。商売が忙しいと顔を見せないでいたバッカス氏も、十日ほどあとにやっと現れた。そして、私たちと視線を合わせず、ファンキーにこんなことを言った。
「今回はなかなか頑張ったな。下位といえども、わがクラブの記念碑的壮挙だった。おれをはじめ他の者は、大いに君を見習っていかなくちゃならん」
 自戒を込めた重い声だった。ファンキーは「ヘヘヘ」と照れ笑いをし、首筋を掻いて単純に喜んでいた。他の者は唇を噛むしかなかった。捲土重来(けんどちょうらい)を期して二カ月後の国体予選に立ち向かおう。今度こそ一〇〇キロの壁を破るのだ──私は内心ひそかにそう決意した。
 別に一〇〇キロを持ち上げたからどうなる、というものではないのだけれど、一〇〇キロの大台にのぼれば、常人以上の力を保有するリフターとして自他ともに許せる気がする。とにかく、他人から「ウエイトリフティングをやってるんですってね。最高で何キロ持ち上げられます?」と尋ねられたとき、「はい、一〇〇キロです」ときっぱり答えるのと、「うーん、九七・五キロだったかな」と口ごもるのとでは、ハクのつき方が全然違うのだから。
 それにしても、あの耳障りきわまりなかった裏の追分道場からの歌声が、どうしたことか、このところぱったり途絶え、聞こえてこなくなった。いつも身をすくませたくなる思いで聞いていたものが鳴らないと、逆に物足りない気分になったりするのだから、人間の神経なんて勝手なものだ。何日かたって、バッカス氏が小耳に挟んだ噂によると、追分道場の先生は、その後、門人の一人であった妙齢の婦人とねんごろになり、高じてどこかへ駆け落ちしてしまったとのことだった。男が堕落する原因は一に女にある。いい年食って何とだらしのないことか。私たちは、己のことは口を緘(かん)しながらも、この愚かな小事を他山の石として胆に銘じ、バーベル修行に徹することを誓い合ったのである。
 自制心のもろさをさておくとすれば、私たちの力量は短期間のうちに着実に伸びている、とバッカス氏は言う。ここで将来を考え万全を期すには、もう一押し、おのおのの弱点を補強していくことが望ましい、とも言う。
 そこで、私たちはトレーニング・スケジュールのなかに個別の補強種目を加えることにした。すなわち、ファンキーはフィニッシュ時の散歩癖をなくすため、鴨居(かもい)を両手で支え満身の力で踏ん張る動作。モハメッドは左への方向音痴を正すため、左腕片手によるスナッチとジャーク。私は固い股関節に柔軟性を持たせるため、バーベルを担ぎ、広い足幅を保って行うハーフ・スクワット。一番星はジャークの立ちくらみ防止のため、呼吸法の練習と循環機能を鍛えるジョギング。そしてバッカス氏は、さすがにフォームに狂いは見られなかったから、スケジュール変更の必要はないと思えたが、氏いわく「少年老い易く、寄る年波に勝てず」と。しかして、持久力の落ちこみをカバーするため、練習量を極力減らし重点種目にしぼった、いわゆる量より質のトレーニングを採用することにしたのだった。
 しのぎやすい初夏に入り、私たちは体調も良好で、快適に汗を流していた。だが、この世は一寸先は闇である。私は、少々重すぎると思われたが、トレーニングの効果を大ならしめるべく、一〇〇キロのバーベルをラックから肩に担ぎとり、前述の補強種目、広い足幅のハーフ・スクワットを試みた。これは足を開けば開くほど筋が伸び、柔軟さがより増す理屈なので、力士が四股を踏むときのように思いきり外股に開いて、二、三度屈伸を繰り返した。と、その時、負荷が重すぎたのか脚を開きすぎたのか、突如、両脚が突っ張り、ずるずると靴底が外側に向かって滑り始めたのである。かくてはならじと立ち上がろうとしたが、肩の上の一〇〇キロの重圧がいかんともしがたく、私の両脚は否応なくしだいに押し広げられ、みるみる歩幅の限界を超えて行く。まるで股裂きの刑だ。ついに内股が床に接すると、バリッと不気味な音が股間から起こり、同時にすさまじい激痛が突き上がってきた。
「カッ、クーッ!」
 言葉にならない悲鳴に、異常を知った仲間たちが駆け寄り、すぐさまバーベルを取り除いてくれたが、私は瀕死の白鳥を踊るバレリーナのように、一直線に開脚した足を戻すことができず、そんなあられもない恰好で呻(うめ)くばかりだった。実際、私の男としての機能が一瞬にして失われたのでないかと思われるほどの、とてつもない痛みだった。即刻、救急車が呼ばれ、病院に運ばれた。診断するまでもなく、私の股関節は開きっ放しで、大腿二頭筋および靱帯(じんたい)がじゅうぶんに伸びていた。この部位は可動範囲が広く、かつ筋肉群が太いから、筋や腱が切れることはまずあり得ないのだそうだが、とにかく立つことも歩くこともできず、そのまま入院。完治まで五週間と宣告され、国体予選出場の望みは、ここにあえなく絶たれたのである。
 一度も華々しい記録を残さずに再起不能となったら、私のこれまでの努力は何と報われることのない、惨めな徒労であろう。すでに年甲斐もない私の行動が周囲に知られ始め、もはやあとに引けない状態の今ごろになって、こんな災難に遭遇するとは……。いったい、この先どうなることか。不安にさいなまれる私を、見舞いにきた仲間たちは「滅多にないチャンスだから、ゆっくり休息したらいい。うらやましいなあ」と、とってつけたように元気づけた。バッカス氏は逆で「おれたちはどんどん進む。一人、取り残されて悔しいだろう。うんと悔しがれ、そして治ったときの計画を立てろ」と、ベッドの中まで叱咤した。また図書館の上司、同僚たちは「そろそろ自分の年齢を考えて、無理をしないことですよ」と、爺むさい忠告をした。私は口応えができず、憤懣やる方ない思いで天井を睨むしかなかった。
 二週間が過ぎると、やっとテスト歩行に入った。けれども、足を持ち上げる動作が難儀この上なく、己の脚が己のものでないような、ギクシャクした感じだった。それでも壁にすがって廊下を渡り、トイレまで自力で行き着いた。喜び勇んで用を足し、さて立とうとしたら、どうしたことか、脚にまったく力が無いのである。場所が場所だけに助けを呼ぶわけにいかない。私は必死の形相で水洗タンクのパイプにしがみつき、やっとこすっとこ立ち上がることができたものの、全身汗みずくで、ハアハア大息をつく始末だった。こんな情けないていたらくで、果たして再びバーベルを支持して立ち上がれる日がくるのだろうか。はたまたジャーク一〇〇キロの夢を遂げられる日がくるのだろうか。一生、挫折感にとらわれて生きていかなければならないとしたら……。真っ黒な迷妄が私の脳裏いっぱいに広がった。
 パワーリフティング大会参加の話が持ち上がったのは、ちょうどそんなときだった。パワーリフティングとは、耳慣れない人もいるだろうから注釈しておこう。ボディビルから派生した力比べで、バーベルを仰臥して押し上げるベンチプレス、担いで立ち上がるスクワット、床からぶら下げて立つデッドリフト、の三種目を競う。ウエイトリフティングとは違い、テクニック無用、力だけの勝負だから、スポーツというよりはギネス・ブック向きのゲーム的趣(おもむき)が濃い。
 事の起こりは、見舞いにきたナルシスからこの話を聞いた私が、別な日に訪れたファンキーに話したところ、さっそく出場してみたいと言い出し、バッカス氏に伺いを立てた。国体予選向けのトレーニングの最中だが、試合度胸をつけるために軽い余興のつもりで出てみるのもよかろうと許可が下り、ファンキー、モハメッド、一番星の三人が行くことになった。それならナルシスと同行したらいい、と私が提案し、ここにビルダーとリフターの共同戦線が組まれることになったのだ。しかし、その仲を取り持った肝心の私が行かれないわけで、これは、ベッドに横たわっている身にとって、はなはだ矛盾した形容になるけれど、まったく地団太を踏む思いであった。
 やがて、彼らは報告がてら再び病室を訪れた。興奮して話すところによると、何と、最近とみに力をつけてきた一番星が一七〇キロを担いで、スクワット第一位に輝き、また驚くべきことに、あのスタイリストにすぎなかったナルシスが一二〇キロを押して、ベンチプレス第二位に入ったというのだ。あとのメンバーもそれ相応に持てる力を発揮し、並みいる強豪を震撼たらしめた、とのことだった。
 ……ああ、私だけが取り残されていく。みんな健康な汗を流し、確実に力を蓄えているというのに、私一人がこの絶好のトレーニング期間を、ベッドに無意味に横たわり、汗疹(あせも)だらけになって萎(な)えていく。──われに力を与えたまえ、脚の回復を早めたまえ、せめて筋力の退化だけでもとどまらせたまえ。それがだめなら、われらが仲間たちのトレーニング効果がまるで上がらぬようブレーキをかけたまえ──いつか私は胸の上で合掌して、そんな不埒なことを祈願していた。
 焦燥だけが私の支えだった。マッサージ、低周波通電、エキホス湿布、そして機能回復訓練に明け暮れる単調な日々が続き、国体予選に仲間たちが勇んで出発した日、ようやく私に退院許可が下りた。
 彼らの反省会と私の全快祝いを兼ねた小宴が、翌日の夜、ジンギスカン鍋の店で催された。わがメンバーの国体予選における戦績は、一番星が三位に入ったほかは目立った成果を上げられず、前回の汚名返上というには程遠かった。張りきった大学ウエイトリフティング部の選手たちに、上位をすべて独占されてしまったという。
「畜生! あんな親の脛(すね)かじり連中に負けるなんて」
「仕方ないよ、やつらは仕事もしないで、毎日バーベルに取っ組んでいられるんだから」
「土壇場の底力はおれたちのほうがあるはずだが、少し焦りが出てしまった。もっとじっくり精神を集中するんだった」
「おれも引きのフィニッシュで目いっぱい力が出るよう、フォームとタイミングを工夫しなきゃなあ。反省してるよ」
 溜め息とともに仲間たちから発せられる自責の言葉は、なぜか私にとっては、少なからず安堵をもたらす作用があった。しかし、子細を聞いていると、ファンキーはたび重なる人前での競技で試合度胸がつき、全然アガらなくなったらしいし、モハメッドは左向きの癖が矯正されて、フォームが安定してきたらしい。今回の功労者である一番星に至っては、パワーアップ著しく、いずれも失敗したが、最終試技でスナッチ九〇キロ、ジャークで何と一二〇キロに挑んだというのだ。また監督兼現役選手として出場したバッカス氏は、ミドル級とはいえ齢(よわい)四十にしてなお一一五キロのジャークを果たし、「次は一番星を追い越すぞ」と快気炎を上げている。
 飲むほどに酔うほどに、おしゃべりは誇大にふくらむのであったろう。しだいにホラ話めいてくる仲間たちの、もっぱら聞き手にまわらざるを得ない私は「そりゃあ大したもんだ。秋の競技会が楽しみだねえ」などと笑顔で相槌(あいづち)を打っていたのだけれど、気を抜くと、すぐにも顔が強張ってきてしょうがなかった。

第十三章 必死の挽回

 百日を少し切る──私はカレンダーをめくって、大会までの日数を数えてみた。十月末、わが市で開かれる北海道体育大会ウエイトリフティング競技会は、今年最後のチャンスである。これを落としたら、来年の春がめぐってくるまで出番はない。歩くのがやっとの体調で、大腿囲は入院前よりも三センチも縮小している。果たして、この日数内に元のように筋肉を肥大させ、パワーアップさせることが可能だろうか。……しかし、手をこまねいている暇はなかった。私の周囲の騒がしい連中は、皆、異常に燃え上がっており、私もともに進むしかなかったのである。与えられた期間、最善を尽くそう。その結果、万一、無残にバーベルの下で圧死しようと悔いるものではない。
 トレーニング再開の日、私は早ばやと酒倉ジムヘ出かけた。倉庫内の様子は以前とちっとも変わってなく、昨日休んで今日出てきたといった気分でバーベルを握った。ところが四十日ぶりの対面に、バーベルはいやに他人行儀だった。ウォーム・アップ用の重量でさえ、冷たく私をあしらうのである。私は何とか取り入ろうと苦心惨憺(さんたん)したのだけれど、ふらつき、息切れ、動悸、果てはめまいまで起きてきて、今さらながら、体力の低下に愕然としてしまった。
「しばらく無理しないほうがいいですよ」
 背後の声に振り向くと、いつの間にかモハメッドが立っている。
「……ああ、すっかり、体がナマっちゃって」
 せわしい息づかいで声がとぎれる私に、彼はとても優しい眼ざしをして近づき、彼の真新しいタオルを突き出した。
「ん……?」
 受けとってから気づいた。なるほど、私の顔から首筋からびっしょり汗が滴(したた)っているのである。モハメッドの好意を素直に受けて、その洗濯したてのタオルで拭ったのだが、何となく、いい気持ちがしない。
「十月まで、時間はたっぷりあるんですから、じゅうぶん調整できますよ」
 そう言って彼は、いま私が全力を傾けたバーベルを使って、いとも簡単に軽々とハイ・プルアップを始めた。にわかに私は、どこにもぶつけようのない屈折した思いに襲われた。入院前には、同じバンタム級であっても、モハメッドなんか歯牙(しが)にもかけなかった。スナッチでもジャークでも私のほうが一歩も二歩も先んじ、むしろフェザー級の一番星をライバル視してトレーニングに励んできた。それがわずか一夏のロスで、私の体は、若いモハメッドの成長においてけぼりを食ってしまったのだ。
 彼はその後も、私のトレーニング重量に合わせてディスクの増減を手伝ってくれたり、フィニッシュ時に「それいけ!」とかけ声をかけてくれたり、細かい心づかいを示した。しかし、それらの行為は、仲間として対等の意識から出たものではなく、たとえていえば、バスの中で若者が老人に席を譲るような、どこか弱者に対するいたわりとでもいった、優越感が潜んでいる気がしてならない。そんなわけで私は、モハメッドに親切にされればされるほど、かえって腹立たしく、鬱屈してくるのだった。
 実際、モハメッドはすでにスナッチ七五キロ、ジャーク九二・五キロを達成し、かつての私のベスト記録に肉迫していた。一番星に至っては、スナッチ一〇〇キロ、ジャーク一三〇キロを当面の目標として、スピード感あふれるリフティングに研きをかけており、私にとっては、もはや遠い存在といわねばならなかった。
 みんなと同じトレーニングをしていたのでは、敗北は必至である。私は病院のベッドでの屈辱に打ちのめされた日々を思い起こし、是が非でもこのピンチを乗り越えなければならないと考えた。そこで、仲間には内緒で週六日間の特訓コースを設定し、みずからに課すことにした。といっても、オーバー・ワークが体を傷めることは過去の体験でいやというほど知っていたので、まず月、水、金の三日間はみんなとともにバーベル・トレーニングを行い、みんなが休息する火、木、土の三日間をバーベルなしのトレーニング、つまりストレッチ体操、ジョギング、ウサギ跳び、アヒル歩き等々の、柔軟性と持久力を高める運動をみっちり行う。そして残り一日、日曜だけは断じて何もせず、まるまる完全休養をとった。この方法は初めは目立たなかったけれど、三週目あたりから体力の回復がすこぶる顕著に現れ、それにつれてバーベルもしだいに持ち上がり始めたのである。
 寸暇を惜しみ図書館勤務の休み時間にさえ、腕立て伏せやらフォームだけのシャドー練習やらに精を出した。もちろん、人目にたたぬよう閉架式書庫への渡り廊下や裏庭の隅で行った。そんなところヘ、ナルシスから電話がかかってきた。
「あのう、先輩にこんなこと頼んじゃ、迷惑とは思うんですけど……」
「え? ずいぶん水くさい言い方じゃないか。入院中はすっかりお世話になったし、何なりと話しなよ」
「はい。でも、いまさら、こんなことを言えた義理じゃないんです」
 いつになく、おずおずした口調で要領を得ないので、私はじれったくなった。
「いったい、何のことだい。君の頼みなら、たいていのことは相談に乗るぜ。早く言っちゃえよ」
「じゃあ、言いますけど、……もしもし、実はぼく、ウエイトリフティングがしたいんです」
「ウエイトリフティング? 君はボディビルに徹するんじゃなかったの」
「あの、今度こそ挫折しないで頑張り通します。誓ってもいい。だから、先輩の口添えでバッカスコーチに了解を得ていただけませんか」
「よし、わかった。お安い御用さ」
「それから、これ、一番言いづらいんですけど……仲間たちへの取りなしも」
「何だ、そんなこと気にしてたの。みんな大歓迎さ。今晩ジムヘ来いよ。ちゃんと話しておくから」
「本当ですか。じゃあ、くれぐれも頼みます」
 電話の向こうで、深々と頭を下げているナルシスの顔が見えるようだった。電話を切ってから、私は頬に微笑が浮かぶのを禁じ得ず、こう独りごちた。
「あいつめ、パワーリフティング大会に出て、力の魅力にとりつかれたな」
 旧友の復帰に誰一人反対する者があるはずはなく、その夜のうちにナルシスはわが酒倉バーベル・クラブのメンバーに加わった。しかし、かつてウエイトリフティングの何たるかを熟知していなかったころには、スナッチの第一人者を自認していた彼も、その後のトレーニングの違いで、みんなとは格段の差がついていた。何しろナルシスは、その見事な見かけの筋肉に似ず、かつまた私より二階級も体重が重いにもかかわらず、持ち上げる重量は、近ごろとくに調子を取り戻しつつある私と、どっこいどっこいというところなのだ。私がナルシスの再参加を心から嬉しく思うのは、遅刻した者が、さらにそのあとに遅れてやってきた仲間を見つけて、ほっとしている心境と同じものなのかもしれない。

第十四章 古豪と新鋭

 トレーニング中の私たちのもとに、バッカス氏が、背の高い初老の人物を伴ってやってきた。坊主刈りに近い頭髪ながら三つ揃いの背広を着こなし、いかにも品格があるこの人は、つい数カ月前わが市に移り住み、開業したばかりの内科医だった。これまで十五年間も、太平洋戦争の賠償関係から、東南アジアのある島国で医療救護に当たってきたという。
 なるほど、こんがり日焼けした肌色であると同時に、熱帯雨林気候がよほど体によかったらしく、マンゴーの樹のごとく背が高く伸び、顔もその果実のごとく長楕円形だった。かような「マンゴー先生」の風貌から見て、バーベルとの結びつきは思いもよらず、てっきり、病み上がり状態の私が体力検査でもさせられるのかと思っていたら、さにあらず……。なんと、マンゴー先生の今は亡き厳父殿は、かつてわが国の重量挙げ界がスナッチを牽挙(けんきょ)、ジャークを扛挙(こうきょ)と呼んだ草分け時代に華々しい活躍をしたリフターであり、先生もまた、少年の頃からバーベルに親しみ、大学時代は一花咲かせたリフターだったのである。バッカス氏が、地元新聞の開院広告でマンゴー先生の名を見つけ、まさかと思って電話をかけてみたら、正真正銘のまさかだったとのことだ。
 紹介のあとバッカス氏は「本当に、ドクトル・マンゴーをわが市に迎えることができるなんて、夢みたい。……とても心強く思います。ぜひ、力を貸してください」と感激して述べた。それに応えてマンゴー先生は、終始、微笑をたたえながら感想を述べられた。
「こったら北(きだ)の果でに、バーベルを持つ上げる男達(おどごだづ)が居(え)るってのは、実(じち)に欣快(ちんかえ)この上(え)ねえごどだっちゃ!」
 ジムに入ってきてからの貴公子然とした容姿、身ごなしから予想もできない、すこぶる強い東北訛りがあった。開拓以来、全国方言の雑居状況にあった北海道といえども、いまやテレビの普及によって、私たちの話す言葉はほとんど標準語化されてしまったが、先生は長い外国生活で日本語を使わなかったせいなのか、こんな感情をあらわにするときには、つい幼い頃の郷里の言葉が出てしまうらしかった。しかし、東北地方は昔から重量挙げの盛んな土地柄であって、数多くの名選手を輩出していることはかねて聞きおよんでいたので、そのズーズー弁こそが、まぎれもない本場の直系であることを証明している、と私たちは思った。
 それにしても、南国の楽園で過ごした人が、何ゆえにわざわざ、こんな北辺の小都市へやって来たのか、ロマンめいた数奇な運命とでもいったものを想像させる。私のひそやかな好奇心をよそに、その理由を明らかにしたマンゴー先生の話を標準語に訳す。
 ──島は年がら年じゅう暑くて、頭も体もボケーッとしてきたので、この辺で少し冷やしておこうと考え、北海道のどこか適当なところへと当てずっぽうでやって来た。そうしたら、この街は食べ物はうまいし、飲み屋は多い。加えて、バッカス君は住んでいるし、重量挙げをやる若者はいるし、大いに気に入った。日本に帰って来ても、わしは中央医学界の仁術を忘れた連中と付き合うのは真っ平御免なのだから、ここを墳墓の地に決めたいと思っている。……とはいうものの、やはり北海道は寒い。秋だというのに、毎日、鼻水が出てしょうがないわい。──
 チーンと洟(はな)をかみながらマンゴー先生は、さっそく、わが酒倉バーベル・クラブの顧問兼トレーニング・ドクターになることを快諾された。
 以後、先生はときおり、ふらりとジムを訪れては、なかなかに適切な指導をしてくださる。朴訥な口調で何気なくいう一言が、哲人の吐く名言のように、含蓄に富み、示唆を与えるのである。たとえば、いつぞやのたまわれた「重量挙げは簡単にして微妙なり」との一句は、この競技のすべてを言い得て妙というしかないし、またある日の「フォームは力を制す」との言葉は、ジムの壁にでも掲げて、常々私たちが復唱して自己に言い聞かせる千金の価がある。
 いつも、そんな新体詩のような古めかしい表現ばかりではない。当意即妙、時にはこんなふうに、すこぶる平易な言い方もする。難解なスナッチの要領を、「剣玉と同(おんな)ずだ。サーッと引っ張って、チョンと乗っけれ」
 そこで私は、上げあぐんでいた八〇キロのスナッチを、教えられたとおり、サーッと引っ張ってチョンと乗っけてみたら、物の見事に決まってしまった。引き上げたバーベルは最上限に達して落下に向かう直前、一瞬停止する。それはほんの何十分の一秒にも満たない時間だろうが、その無重力状態の瞬間に素早く跳びこんで受けるのである。理屈はわかっているのだが、いままで、いつもぴたりとこなかった。それがマンゴー先生の剣玉説法で、豁然(かつぜん)と悟入してしまったのだった。
「よろすい、その調子(ちょうす)」と、マンゴー先生が満足気にうなずいている。
「ちょっとよすぎるな。もう一度やってみろ」と言ったのはバッカス氏。
 よすぎる──それは私自身がよく感じていた。退院後、引きの力が弱まってバーベルが重く感じられるのに、次の腰入れの動作は体が深く沈み、バーが確実にキャッチできるのだ。これはスナッチだけでなく、ジャークにおけるクリーンにもいえることだった。私はバッカス氏に命じられて、もう一度挑んだ。先の試技と同様、体がバーの下へすいと入っていく。
「完璧なフォームだ。よすぎて悪えごどはねっちゃ」とマンゴー先生が評した。
 バッカス氏は、首を傾げながら答える。
「いや、奴はいままでスナッチが下手でして。腰高だし、バランスは崩すし、見られたもんじゃなかったんです。それが……」
 私はバーベルを床に置いたあと、今度は何も持たず、スクワット・スタイルをとってみた。これまで股関節が固くて深くしゃがめなかったのが、すっかり脚が折りたため、しかも、その状態で前後左右に微動できる、しなやかな余裕があった。バッカス氏は、私の両肩に手をかけ、のしかかるように押さえたり揺すったりしていたが、「ふーん、こんなことってあるかなあ。股裂き事故のせいで足腰の安定がよくなるなんて、まさに怪我の功名だなあ」と感心し、私の頭をイイコイイコするように撫ぜて励ました。
「すごく柔軟になった。これなら期待できるぞ」
 私は急に嬉しくなり、全身に力が湧いてくる気がした。筋力はまだじゅうぶん回復していないので、デッドリフトもスクワットも、モハメッドに一歩遅れをとっている。しかし──フォームは力を制す──である。これからは、モハメッドのアンバランスな左ねじれフォームよりも、私のほうがより安定した、低い姿勢でバーベルが受けられるだろう。スナッチのみならず、ジャークの一〇〇キロ突破もあながち夢ではない。病院のベッドに横たわって以来くすぶり続けてきたものが、今、ようやく点火した思いだった。

 わがジムのメンバーは、これまで短躯タイプの者が圧倒的多数を占めていたが、このところ、長身タイプの男たちの訪れが相次いでいる。マンゴー先生が現れてひと月もたたないころ、今度は、雲を衝く大男といえば大げさすぎるけれど、何から何まで大づくりの「ヘラクレス」が、わがジムの門を叩いたのだ。見上げると、むっつり無愛想な顔があり、細い眼とへの字の唇にやんちゃな雰囲気も漂わせていた。そして、その体つきは、いかにもパワフルな厚ぼったい筋肉に被われ、とりわけその脚ときたら、トレパンを穿いているのに乗馬ズボンを穿いていると思わせるほど、見事に発達した大腿四頭筋でふくれあがっていた。この巨人・ヘラクレスが「ぜひ仲間に入れてください」と神妙に頭を下げ、それから「多少の経験があります」と自信たっぷりに頭を上げたのだ。
 待ちに待った新入り第一号の来訪である。バッカス氏はさっそくバーベルを上げさせてみた。彼は入念に柔軟体操を行っていたが、すぐさまやんちゃぶりを発揮し、一五〇キロに増量したバーベルを、一気に顎の辺りまで引くハイ・クリーンでとって見せた。そのあとのジャークも、ややプレス気味になりながら、しゃにむに上げてしまったのである。私たちは唖然とするしかなかった。
 一五〇キロというような重量は、よほど体格に恵まれた者でも、テクニックが万全でなければ挙上できるものではない。まずクリーンだが、この場合のテクニックは、バーを力いっぱい引いても重量が重量だから、せいぜい臍(へそ)の辺りまでしか上がらないので、バーの下にすっかりしゃがみ込むくらい低く受けるのでなければ、つまり、どうしてもロー・クリーンでなければ取れないものなのだ。だが、この大男は、鉄のバーが竹のようにしなる重量を爪先立ちになるほど高い位置でクリーンし、しかもそのあと息も乱さずジャークをやってのけたのである。このような滅茶苦茶なフォームは、とても「経験があります」といえる代物でなかったが、しかし、その物凄い怪力は、素質以外の何ものでもない。バッカス氏は即座にヘラクレスをメンバーの一員に加え、嬉々としてマンゴー先生に電話をかけた。
「フォームさえ矯正すれば、わがクラブから全国制覇の選手派遣も夢ではありません」
 息をはずませて、そう言った。
 口数少ないヘラクレスを、質問攻めにして聞き出したところによると、都会に憧れて故郷を出奔し、ある自動車メーカーに就職した彼は、せせこましく、やるせないサラリーマン生活に嫌気がさし、父親の稲作経営を手伝おうと再び故郷にUターンしてきたのだが、昨今の農業情勢の無気力にならざるを得ない仕組みに生き甲斐を見出せず、青春を燃やし尽くせるものを探し求めていたというのだ。けれども、私たちの関心はそんな身の上話ではなく、彼の並みはずれた怪力の秘密──この異様に発達した体形は、薬物使用か何か特別な裏があるのではないかと疑い、それを聞き出そうとしたのだったが、都会にいたときアスレチック・クラブに通っていた、と答えるばかりで、肝心のことにはまるでとぼけたように何も吐かないのである。得るところなく質問を打ち切ろうとしたとき、彼は妙なことを言い出した。
「そういえば、一度、フグの毒に当たって死ぬ目に遭ったことがあります。あれ以来、力がついた気がする」
「……フグの毒!」
 私たちは絶句した。もしそれが、本当に筋力強化の特効薬になるとしても、そんな命賭けの方法を試みて死んでしまったりしては、元も子もありはしない。誰しも思いどおりにいかない毎日だけれど、まだこの世をはかなんではいない。少なくともバーベルを持ち上げる行為の、この目いっぱいの緊張は、いかに苦しくとも、生きているからこそ味わえるものなのだから。
 急患でとりこんでいたため、その夜、こられなかったマンゴー先生は、次のトレーニングの日に姿を見せ、われらが金の卵の特訓に当たった。しかし、ヘラクレスは、バッカス氏の思惑を裏切って、いくら名コーチが二人がかりで理論を説き、手足をとって教えても、しまいには頭にきて怒鳴りつけても、いっかな我流のフォームを変えようとしない。やむなく、じっくり時間をかけて馴致(じゅんち)していく方針に切り替えられたのだった。
 ……あれから、もう一カ月以上も経過しているのに、ヘラクレスのフォームに進展は見られない。トレーニングを積み、力が増すにつれ、バーベル重量は加重される。いかに負荷が加わろうと、彼はやっぱり満身の力でバーベルを高く引き上げ、高腰のままのクリーンをやめようとしない。それにしても、ウエイトリフティングというものは、つまるところ、フォームを競うのでなく、力を競うのであって、いかに無理無駄の目立つ不合理きわまりないフォームであろうと、反則しない程度にちゃんとバーベルが持ち上げられてしまっては、文句のつけようがないのだ。マンゴー先生の名言──フォームは力を制す──も、ヘラクレスの試技に関する限り──無理が通れば道理が引っこむ──とでも言い直さなければなるまい。

 ヘラクレスの出現は、このところ、大会に出るたび徒労と呼べそうな成績で、心底気落ちがちになっていた私たちに、大きな刺激を与えた。目前に迫る北海道体育大会には、地元開催の有利さを生かして、今度こそ栄冠を手中にしたい。私たちはお互いに気合をかけ合い、肌寒い晩秋に至っても、ジム内は熱気にあふれていた。
 体にずしりとのしかかるバーベルに反抗することは、男の闘争本能を呼び覚ますものらしい。一番星はある夜、酔った街のチンピラにからまれ、そいつを眼よりも高く差し上げて草むらに叩きつけ、文字どおりダウンさせるという武勇伝をつくった。本質的には軟弱な性格の私でさえ、このごろ、いやに武張った言動をしていて、われながらびっくりすることがある。過日、私の上司である図書館長が、顔見知りの出版セールスマンから、十数巻にものぼる盆栽の豪華本シリーズを購入する約束をし、その支出書類をつくるよう指示したとき、私は、図書購入は市民ニーズに基づく地方図書館の主体的発想を持つべきであって、出版社の商業主義に踊らされるべきではない、と三十分間にわたり激論を闘わしてしまった。けっきょくは、やはり買うことになったけれど、こんなふうに上司に口応えするなんて、いままでの私には考えられなかったことである。

第十五章 シジフォスの道

 さて、いよいよ北海道体育大会ウエイトリフティング競技会の日はきた。大会々場は、わが市を眼下に一望する高台に建つ、V高校屋内体育館である。早朝から続々集まった出場選手は約七十人に達し、新設の競技会らしい活況を呈した。
 大会運営は、胸に特大の赤いリボンをつけたマンゴー先生が取りしきり、地元体育協会の全面的な協力で進められた。アナウンスは水泳関係者が担当したので、あの間延びしてプールに響き渡るのと同じ節まわしだったけれど、これはこれでローカルカラーというものだろう。午前九時、その声で競技開始が告げられ、館内に緊張がみなぎった。
 スナッチで冒険するな。練習時に上げられた重量を確実に取れ。勝負は、ジャークの第三試技に賭けるべし──これが監督・バッカス氏の戦術だった。そして団長・マンゴー先生は「最初の一本(えっぽん)は、どったらごどすても取れ」とアドバイスした。それは私たち自身が、これまでの経験で痛いほど知っていることだった。一本目を落とすと心理的に苦しくなり、ひどく疲労する。したがって私たちは、スナッチのベスト重量を第三試技におき、一本一本、絶対落とさないとの信念で臨んだ。
 私の気持ちは平静ではなかった。やみくもに突き進んだ昨年の大会、本格的トレーニングを積みながら恥ずべき結果となった今春の大会に次いで、三度目の出場である。ふと「二度あることは三度ある」との嫌なジンクスが頭に浮かび、あわてて「三度目の正直」という言葉で打ち消した。他の仲間たちは、私が入院中に一回よけいキャリアを積み、パワーリフティング大会も含めれば五回目の出場なので、皆、度胸が坐り、落ち着き払っているように見えた。彼らが冷静であると、なおさら私の不安は募るのだった。吐き出しても吐き出しても、重苦しい空気が胸に溜まってくる。いまトイレに行ったのに、はや小便がしたくなる。モハメッドが試技台に上がるころから、私の視界はかすみ始めた。
 ……ついに私の名がコールされた。登壇すると、チーフ・レフリーが器具員にバーをきれいにするよう指示した。気持ちの高ぶった選手たちが、次々に滑り止めの炭酸ナトリウムの粉を掌につけ過ぎて握るので、バーのローレットが埋まるほど真っ白になったのだろう。器具員が金ブラシでバーを擦っている。「続行」の合図があって、私は正面へ進み、バーを握って構えた。すると、何たることか、我慢できないくらい鼻の奥がむずがゆくなり、くしゃみを続けて二回もしてしまった。滑り止めの粉が埃(ほこり)のようにバーベルの周辺に立ちこめていたのを、吸いこんだらしい。どっと笑い声が沸き上がり、私もいっしょに笑ってしまった。それがよかった。再びバーを握りしめたとき肩の無駄な力が抜け、足腰で上げることができた。スナッチは三試技とも成功して、ベストで八五キロを上げた。とはいえ、私の所属するバンタム級ではモハメッドも同記録だったし、トップクラスは九五キロを上げ、私たちに早くも一〇キロの大差をつけていた。
 健闘がひときわ目立ったのは、一番星とヘラクレスだった。フェザー級の一番星は、すっかり場慣れした感じでリラックスし、フォームも安定して、スナッチ第三試技で悠々一〇〇キロを達成した。もう一人、同記録の選手がいたので、同一線上に並びながら、トップ争いは午後のジャークに持ち越された。
 本日の最重量級であるミドルヘビー級(九〇キロ級)の新鋭・ヘラクレスは、相変わらず力だけが頼みの、テクニックの拙劣さをさらけ出したリフティングを演じた。反面、それだけに荒々しい野性に満ちあふれ、しかもいつ落っことすかわからないスリルにも満ちあふれていて、一身に観衆の眼を集めた。第一試技は難なく成功したものの、第二試技一三〇キロを立ち上がるときに落とし、同重量での第三試技となった。これは少しぐらついたが、審判灯は赤ランプ一、白ランプ二で辛うじて救われた。
 このクラスには数年前オリンピックで活躍した強豪・アポロン選手が出場していて話題を呼んでいた。ライトヘビー級だった全盛時に比べ、かなり肥り気味で一階級上がり、練習不足か力量も落ちているように見受けられたけれど、さすがに国際級のリフターらしい風格を持ち、峻厳とも見える精神集中を行う。ヘラクレスと対照的な、まったく無駄な動きを排したフォームで、全試技を成功した。もちろん、スナッチのトップはアポロン選手、ヘラクレスは二位につけていた。

 午後、ジャークが開始されると、館内は熱狂してきた。選手たちのピリピリした緊張が肌で感じられる。試技の一本一本の成否のたびに勝敗が明白になってくるので、皆、気が気ではない。ホームグラウンドの安心はどこへやら、私たちの精神状態は千々に乱れ出した。
 私はモハメッドといっしょに、練習場でウォーム・アップを行ったが、どうもしっくりした手応えがつかめない。中途半端な気分で競技場に向かうと、出番を待つファンキーが、祈るような恰好で廊下の壁に額を押しつけて立っていた。呼吸のせわしなさが、切なく肩を上下させている。「頑張れよ」と声をかけると、彼はいつもの陽気さを失い、いじめられた少年の眼つきをしてうなずいた。観覧席には、午前中にはさっぱりだったのに、いつの間にか人影が増している。「どうしよう。こんなに集まってきた」モハメッドがぼやき、隅を走り回る幼児の声に「うるさい、うるさ過ぎる」と過敏になった神経をなだめかねている。
 思いっきり引く──私はそれだけを念じて雑念を払い、第一試技に成功。さらに第二試技で、練習時のベスト九七・五キロを決めた。傍目には順調に経過していたけれど、頭の中は空洞のようだった。どこか上ずっている感じが抜けない。最終試技が、私にとって本当の闘いなのだ。私はかすれた声で「一〇〇キロ」と掲示員に通告した。
 バッカス氏が「軽いぞ。上がるに決まってる」と励まし、私の大腿部をピシピシ叩きつけて活を入れた。とても役員席に坐っていられなくなったらしく、マンゴー先生が傍らにやってきて、「さ、男(おどご)なら、やってみろちゃ!」と厳しい声で言った。
 私は、滑り止めの粉を掌と鎖骨の辺りにたっぷり擦りつけ、ベルトをぎりぎり締めつけた。──人間とは、乗り超えられるべきあるものである──唐突に、どこからともなくツァラトゥストラの言葉が聞こえてくる。私は、一〇〇キロのバーベルを睨みつけた。そいつは床に転がっている鉄の器具にすぎない。そいつを床から引っ剥がし、頭上に差し上げる。ただそれだけのことだ。わけはない。もっとも、こんなものを持ち上げたからとて、お金が儲かる仕掛けはない、女にモテる道理もない、ましてや人類に恒久の平和をもたらす作用だって、全然あるはずがない。畢竟(ひっきょう)するに生きるということは、無意味なエネルギーの浪費なのだ。だが、しかし、この息苦しいばかりの高ぶりはいったい何なのか。畜生! 上げてやる! 断じて高々と上げてやる! 名状しがたい倨傲(きょごう)が全身にみなぎった。私はバーベルを引っつかみ、気合もろとも立ち上がった。
 ──何も聞こえず、何も見えない。私は、私の存在を押し潰そうとするものに必死で抗う。この宇宙の中で、私が一人ぼっちであることを自覚する。意識は戦慄の頂点に達し、苦役の時間が無限に続くように感じられる。……
「ダウン!」
 いやに遠くからレフリーの声が耳に届いた。私は身を引いてバーベルを放り出し、やっと重圧から解放された。審判灯は、じらすように少し間をおいて点灯した。白ランプが三つ、きれいに並んだ。成功だ! ついに一〇〇キロ挙上! 躍り上がりたい気持ちを押さえて、試技台を下りると、「やったな、こいつ!」バッカス氏が両手を広げて私を迎え、肩を抱きすくめた。「おめでとう、先輩!」ファンキーがとんできて、掌を揃えて差し出し、私が打ちつける掌に合わせた。マンゴー先生、一番星、ナルシス、ヘラクレスが次々に強く手を握り締め、肩を打つ。
 試合の流れからみれば、バンタム級における一〇〇キロジャークなんぞ、大騒ぎするほどの記録ではなかった。しかし、私が長い間苦しんできた目標。もしかしたら、一生持ち上がらないかもしれないと、幾夜も私をさいなんだ厚い壁。そいつを、とうとう突き破ったのだ。それを知っている仲間たちの笑顔、これほど嬉しい祝福はなかった。スポーツとは何と爽快なものだろう。この世は何と愉快な楽しみに満ちていることだろう。たった二・五キロ、ちっぽけな小皿ほどのディスク二枚をよけい持ち上げたに過ぎなかったのだけれど、私の魂はこの上なく高揚していた。
「………!」
 私の前を、血走った眼つきのモハメッドが一人、例によってサポーターだらけの脚を突っ張りながら歩いて行く。彼の出番なのだ。私は、このとき、初めて胸の奥底からフェア精神というようなものが込み上げてくるのを感じた。精いっぱいやった。あとは負けてもいい、おまえも全力を出しきれ。私は大声で叫んだ。
「ガッツだ、モハメッド!」

 午後四時すぎ、館内は興奮の坩堝(るつぼ)と化した。競技終了間ぎわになって、ミドルヘビー級で、ヘラクレスとアポロン選手の一騎討ちという見せ場が生まれたのだ。午前のスナッチで、アポロン選手はヘラクレスに二・五キロの差をつけていた。貯金があるから逃げきろうと思ったのか、それとも体力の低下は隠せずというところか、スタートはヘラクレスより先で一五五キロに挑んだ。むろん、フィニッシュ後は微動だにしない完璧なジャークだった。次いで試技台に上がったヘラクレスは、今のアポロン選手の重量より二・五キロアップした一五七・五キロを第一試技としたのである。これは明らかに挑戦状を叩きつけたと同じだった。そしてへラクレスは、例の無茶なハイ・クリーンでバーベルを受け、難なく差してしまった。すると、次にアポロン選手は一六○キロに挑む、ヘラクレスはさらに一六二・五キロに挑むというふうに、お互いに相手の重量に上積みしていく、息づまるデッドヒートとなった。問題の第三試技を、アポロン選手は一六五キロとした。普通なら第二試技より二・五キロ加重にとどめるところを、若僧ごときに負けてなるかと五キロ増量し、しかも、顔を相当に紅潮させはしたが、前二試技と寸分たがわぬフォームで成功してしまった。
 最終試技を迎えたヘラクレスは、苦境に立たされた。彼が、アポロン選手と同じ一六五キロを行えば、これは彼の練習中のベストだから成功の可能性は高いが、トータルでスナッチの差の分だけ負けてしまう。また一六七・五キロを行えば、これは彼にとって未知の重量であり、万一成功したにしても、トータルではアポロン選手と同じ記録になる。もともと骨格自体が大きいヘラクレスのほうが、最近肥って一階級上がってきたアポロン選手より、体重が三キロほど重い。同記録の場合、体重の軽いほうの勝ちとされるのである。いずれにしてもヘラクレスに勝ち目はない、それほどに決定的なアポロン選手の一六五キロジャークだった。
 ところがここで、乾坤一擲(けんこんいってき)の作戦をさずけたのがバッカス氏だった。ヘラクレスの第三試技を「一七〇キロでいけ」と命じたのだ。掲示板の横に屯(たむろ)して成り行きを見守っていた私たちはもちろん、当のヘラクレスも胆をつぶした。マンゴー先生も「無茶こぐな。ここは手堅(てがだ)ぐ取って、ジャークだけでも元(もど)五輪選手と分げられれば重畳(ちょうじょう)っちゅうどごだべ」と戒めた。しかし、いつもはマンゴー先生に絶対服従のバッカス氏が、珍しく反抗し「奴に勝負根性をつけたい。イチかバチかやらせるべきです」と、あとに引かない。氏の説くところによると、なるほど無謀と思えるこの作戦に可能性らしいものがあるにはあった。
 バッカス氏は、ヘラクレスが練習中においても、今大会の前二回の試技においても、腰高のハイ・クリーンでバーベルをキャッチしている悪癖を、今、この土壇場で、思いきってロー・クリーンに改めるならば、一七〇キロといえどもクリーンできるかもしれない。もしクリーンできたなら、そのあと立ち上がることも彼の並みはずれた脚の太さからみて可能かもしれない。そして立ち上がれたとしたら、ジャークすることも彼の超人的なスタミナとパワーからみて、もしかしたらもしかするかもしれない、と力説するのだった。
「そったらこど言(ゆ)ったって……」マンゴー先生は一息ついてから続けた。「こいつぁ、なんぼ口(くず)すっぱく言ったって、てんでしゃがもうとすねんでねえか」
「だから、実戦で矯正するしかありません。いまこそ、チャンスというものです」
「んだけっと、将来性ある体を傷(えだ)めでもすたら、とっかえすつかねえがらな。医者(えしゃ)とすて、許すわけにえがねっちゃ」
「今は医者ではなく、わが選手団の団長として発言してもらわなくては困ります」
「んだって、ベストより五キロもアップすんだぞ。常識で考(かんげ)えられねえ重量だっちゃ」
「常識の問題ではねっちゃ。気合が不可能を可能にするんじゃねえのすっかっちゃ!」
 バッカス氏は興奮のあまり舌がもつれ、一瞬、マンゴー先生の口調が移ったようだった。実にニーチェの分析したとおり、バッカスの本領は衝動であり、激情であった。睨み合う二人を見下ろして、ぼそりとヘラクレスが言った。
「……やってみます。おれ、決めました」
 アナウンスがひときわ高い声で「重量増加、一七〇キロ……」と報じると、館内にどよめきが起きた。さらに「これに成功しますと北海道新記録であります」と解説するにおよんで、盛んな拍手が沸き、口笛がとんだ。
 バッカス氏が、ヘラクレスにぴったり身を寄せて、執拗にアドバイスを繰り返す。
「いいか、力いっぱい引っ張ったら、地べたに坐る気でしゃがめ!」
 ヘラクレスは大きくうなずいて、試技台に上がって行く。観戦する私たちも、体が強張ってくるようだった。
 彼は、台の端をうろうろ左右に歩き回った。ときおり、バッカス氏に言われたとおりの、プルしていきなり低くしゃがむフォームをとった。固い決意が蒼白の顔に出ていたが、口をへの字にして、今にも泣き出しそうだった。競技者の精神統一に向かう息苦しさが観衆にも伝わるのか、ざわめいていた館内はしだいに静まり、やがて、肩で大息をつくヘラクレスの呼吸が聞こえそうな、シーンとした時がきた。彼は再度、滑り止めの粉を掌につけ「よし、来い!」と一声叫んで、両手でパチッと頬を叩いた。彼の両頬はおしろいを塗ったようになったが、誰も笑うものはいない。皆、固唾(かたず)をのんで、この挑戦者の挙措(きょそ)に見入るばかりだ。バーの位置を測ってきっちり握る。足の位置を確かめて床を踏みしめる。背筋を伸ばして構えに入る。落ち着きなかった視線が、観念したかのように正面の一点に据えられる。……やがて眼が輝き、体はおもむろに上へ向かった。ディスクの重さにバーがしなり、その下に彼の長身が素早く折りたたまれた。と、横合いから鋭い声がとんだ。
「肘を出せ、肘を!」
 バッカス氏だった。ヘラクレスはほとんど尻が床につかんばかりにしゃがみ込み、両肘を突き出して重圧に耐えている。
「立で、立づんだ!」
 別な声がした。今度はマンゴー先生である。先生もまた両手を拳にしてわめいている。ヘラクレスは顔から首筋まで真っ赤に染め、歯を食いしばって、じわじわ立ち上がった。胸に支持したバーがたわみ揺れた。そして何とか立ってしまった。少し拍手が沸いた。彼は直立姿勢をとると、唇を口笛でも吹き出しそうな形にして呼吸を整えている。あまりそうしていては体力を消耗し、貧血を起こすおそれがあった。二呼吸ほどのち、機を見て、「やれっ!」同時にバッカス氏とマンゴー先生の声。ヘラクレスの顔が歪み、体が反動をつける。バーンと音を立てて前後開脚の足を踏ん張る。バーベルは一気に上昇し、伸びきった腕の上に静止した。
「どうだ! どうだ! どうだ!」
 ヘラクレスは、力みのあまり、全身をぶるぶる震えがくるほど硬直させて叫んだ。
 どっと館内を揺るがす歓声、そして豪雨のような拍手、まるで地震が起きたような騒ぎだった。……私たちはあわただしく涙ぐみ、こぞって彼のもとへ駆け出した。頬におしろいを塗った新しいヒーローは、にやにやしながらこっちへ歩いてきたが、ちょっと困った表情になり、そのまま精も根も尽き果ててへたり込んでしまった。

 競技記録表より
選手名 スナッチ ジャーク トータル 成 績

 ファンキー

 82.5kg                     92.5kg   175kg                    フライ級第4位

 私

 85kg  100kg  185kg  バンタム級第3位

 モハメッド

 85kg  97.5kg  182.5kg   バンタム級第4位

 一番星

 100kg  120kg  220kg  フェザー級第2位

 ナルシス

 95kg  115kg  210kg  ライト級第5位

 バッカス

 102.5kg                120kg  222.5kg               ミドル級第5位

 ヘラクレス

 132.5kg                
 170kg
 北海道新記録
 302.5kg               ミドルヘビー級第1位

 閉会式で、私たちは改めて感激を一つにした。わがメンバーは全員入賞したのである。私とモハメッドのように、同級の優勝候補が不調で、ジャークを三本とも落としたため順位が繰り上がった、棚ぼた組もいるが、何よりもへラクレスの手に汗を握る逆転優勝には、北海道新記録というオマケがついたので、細かいことを詮索する者はなかった。表彰のあと、皆そろって賞状とトロフィーを持ち、日ごろの行いとは別人のように謹厳な顔をして、新聞社カメラマンのフラッシュを浴びたのだった。
 引き続き、バイキング料理の店で祝勝会が催された。といっても予定をしていたのではなく、本大会の運営に当たった体協関係者の打ち上げが、急遽、名称を変えただけのことである。とにかく、わがメンバーがこんなに入賞するなんて、誰も考えてもみなかったに違いない。
 会場には、わが市の市長まで体協会長に伴われて姿を見せた。市長はさっそく、お祝いの挨拶を述べることになり、われ先にジョッキに口をつけようとしていた私たちは、マンゴー先生の厳しい目配せにたしなめられて、立って静聴させられることになった。
「わが市で開かれた北海道体育大会ウエイトリフティング競技会に、地元から、ほとんど無名といっていい皆さんが出場され、道内各地の強豪を相手に、全員入賞という快挙を成し遂げられましたことは、私の最も欣快とするところであります。とくにヘラクレス選手の北海道新記録の樹立は、あの手に汗を握る逆転シーンとともに、スポーツ史上永く讃(たた)えられるでありましょう。
 重量挙げという競技は、一般にそれほど馴染みのあるものではないようであります。実は私も、じかに観戦させていただいたのは本日が初めてのことでありますが、しかし、これほどに見応えのある、豪胆と巧緻が渾然となった競技がほかにありましょうか。まさに力の世界、闘う男の厳粛さに、私は深く感動を覚えたのであります。
 物を持ち上げるという行為は、人間にとってきわめて基本的なものであり、諸外国におきましてはウエイト・トレーニングがスポーツ競技者のイロハ、いやABCとされているそうであります──このあたりは、観戦中、ときおり解説をいただいたマンゴー先生の受け売りでありますけれども──いうなればウエイトリフティングは、あらゆるスポーツのふるさとと申せましょう。私は、この道北の自然に恵まれたわが市を、住みよいまちにするため、すべての市民がふるさと意識を高め、わが市はわが手でつくる、そういう能動的なまちづくりの気運が醸成されるよう、つねに訴えているものであります。
 その意味からも、スポーツのふるさとであるウエイトリフティングが、わが市においてますます盛んになっていただくことが、何よりも意義深いことであります。これまで指導に当たってこられたマンゴー先生、バッカス氏をはじめ、本日大活躍の選手諸君が、今後もよく切磋琢磨されて、文字どおり北海道一、日本一の力持ちとなって、天下に雷名を轟かせていただきますよう、心から御期待を申し上げ、私の祝辞といたします」
 拍手が沸き、次いで体協会長の音頭で「酒倉バーベル・クラブの栄光のために乾杯!」が捧げられた。私たちはいままで、こんなふうに、正式にほめられた経験が一度もなかったので、すっかり面食らってしまった。どちらかといえば、世の中の隅のほうに位置を占め、少々すねながら、時にはアウトロー気取りでやんちゃぶってきた連中ばかりなのだ。真顔でいたらいいのか、笑ったほうがいいのかわからず、しまいにお尻の辺りがこそばゆくなってきた。それでも飲んでしまえばこっちのものだった。いつしか宴はたけなわとなり、市長が私の傍らにきて「図書館の仕事はどうかね。君の場合は、まさに文武両道というわけだな。まあ頑張りたまえ」と言って、ビールを注いでくれた。こんなことで何となく嬉しくなってしまうのは、やはり、私の内なる官僚主義のゆえであろうか。
 やがて、マンゴー先生の誘いで、私たちメンバーと、市長、体協会長も連れだって夜の街へ繰り出した。私たちは気のおけないリフター同士で飲みたいと思っていたのだけれど、いっしょにマンゴー先生行きつけのキャバレーに入った。先生はまず、店のママさんに対し「われわれは今夜、この店(みしぇ)を乗っ取るがら、入口(いりぐず)閉(す)めてけれ」とキャバレー・ジャックを通告し、次に私たちに向かって「みんな、無礼講(ぶれえこ)でいぐぞ」と宣言し、みずから率先して背広を脱ぎ、ネクタイをゆるめ、靴を脱いでソファーに胡坐をかいた。かくて、ここから、雰囲気はガラリ変わってしまったのだった。
「歌おう!」やにわに体協会長がマイクを取り、一番手に指名されたのが、名前にちなんで一番星。いやだいやだというのをマンゴー先生に一喝されて、しぶしぶ歌うは「一つ出たほいのよさほいのほい……」歌詞の下劣なことはもとより、あまりの悪声に座がシラケてしまったところ、次にバッカス氏が「硝子のジョニー」を切々と歌い上げて持ち直し、次いで私が「北国放浪」を、これも切々と、といいたいところだが、実はキーが高すぎ聞かせどころが金切り声になって雰囲気をこわし、そこで体協会長が「地球の上に朝が来りゃ、その裏側は夜だろう」と声量たっぷりに熱唱してカバーするという具合に、一進一退ながらしだいに興が乗ってきた。ほどなく市長が立ち上がり、こんなところになぜそんなものがあるのかわからないが、三度笠に長脇差、それに縞の合羽まで用意させて、何やら古い股旅物の曲に合わせて踊り出した。その思い入れたっぷりの科(しな)は、なかなかの芸達者に見え、モハメッドが思わず「いよっ、色男」と叫んだくらいだったし、ファンキーまで「さすが市長だ」と妙な感心をしたくらいだった。
 今夜、最大の出し物は、何といってもナルシスのマッスル・コントロールだったろう。彼は上半身裸になり、その見事な大胸筋を、乗りのいいハービー・ハンコックのジャズに合わせて左右交互に律動させ、やんやの喝采を浴びたのだ。ホステスの一人が「すっごい筋肉ねえ」と感嘆したのに端を発し、「おれだって負けない」と、われらリフター連中は、大人気なくも、皆、上半身をあらわにして、飲むわ、踊るわ、わめくわ、まったく正気の沙汰とも思われない、支離滅裂の状況となった。かく申す私も、そのうちの一員であるのだけれど、私たちにとっての結末は、いつもこのような乱痴気騒ぎになってしまうのはどうしてだろう。さすがに呆れ果てたものか、気がつくと、市のお偉方はいつの間にか姿を消していた。
 こうして、本年最後の最良の夜は更けていき、通りが寝静まったころ、私たちはくたくたに疲れ果てて帰途についた。晩秋の澄み渡った星空から降りてくる夜気が、ほてった頬に快かった。
「栄光は消えた。諸君、また来年を目指して頑張ろう!」
 バッカス氏が腕を振り上げて言った。
「やっほう!」と、モハメッドが叫ぶ。
「こんなに飲んじゃって、明日の仕事、大丈夫かな」
 心配しているのはファンキー。
「おれもよ。朝から長距離走るんで早めに帰ろうと思ってたのに、つい乗ってしまった……」
 一番星は、自動車のハンドルを握る仕草で、左右に揺れながら歩く。
 ヘラクレスは「また来てねえだって、可愛い××ちゃん」とホステスにもらった名刺を街灯にかざし、それにキスした。
 ナルシスは電柱に小便をひっかけている。
 何やら低唱する声が聞こえた。先刻、指名にあずからなかったマンゴー先生が、今ごろ、顎を突き出して唸っているのだった。「よォみのォォさァがずゥのォォ……」──これは先生の十八番、替え歌ならぬ替え謡なのだが、強い訛りとビブラートの効きすぎる節まわしで意味がわからないだろうから、次に正しく翻訳しておこう。

 黄泉(よみ)の坂路(さかじ)のさかしきに
  とわに磐石(ばんじゃく)押し上ぐる
  シジフォス王の姿かな……*

 呂律(ろれつ)のまわらないひどい声だったけれど、それは一種悲壮にして粛然とした気韻を漂わせていた。私はふらつく体を立て直し、酔眼を据えて前方を眺めた。暗い夜道が続いている。電柱の裸電球が円い光をアスファルトの路面に落とし、それはしだいに小さく連なっていた。何の変哲もない眺めなのに、私はそれを、われらに試練を与える険しい前途、というようなものに見立て、もうほとんど残り滓(かす)ほどしか残っていない力をふりしぼって、気勢を上げ、よろけながら歩いて行った。


*上田敏『牧羊神』から引用、「シジフォス」は「シシュフォス」と表記されています。
 なお、ウエイトリフティング競技のルールは、この作品を書いたのち若干変更されました。体重別階級名、試技増量キロ数等は旧ルールに拠っています。




初出 :『士別市民文芸』第三〜五号 一九八〇年六月〜一九八一年十一月

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